第05話「その遺跡に手を出すな」(1)
大陸中西部のとある大平原に作られた町が巨大な怪物に蹂躙されかけたのは、僅か数日前の事。
だが、そこに居を構えている住民達にとっては、何時、大陸の何処に現れるのかが分らない。
正体不明の存在に怯え続ける事よりも、日々の生活の方が大切であった。
故に――。
「怖かったわね」
「でも、誰一人、怪我一つしないで帰ってきてくれたから、良かったわ」
「そうそう。鍋底に穴が開いたから、旦那さんに直して欲しいんだけど」
動き回り易いように、脛のあたりまでの長さに整えたスカートを履いた婦人達が雑談のネタの一つにするまで、時間はかからなかった。
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町のほぼ中央に位置する診療所は建てられてから、まだ数年しか経っていないが、夏季の陽射しの強さもあって、外壁のレンガには少なくない変色が発生していた。
藁で覆われた屋根の痛みも少なくなかったが、町長は見栄えよりも、住民の増加に合わせての増築と設備の充実を優先。
使えるものは使い続けようと補修を続けた結果、診療所内外で継ぎ接ぎ部分が遠目にも目立つようになってしまった。
だが、だからこそ、長年大切に使われてきた事も分かる木製のベッドの上に一人の女性が寝ていた。
彼女の下半身を覆ったシーツの端から、ベッド脇に置かれた木製の桶へと一本の管が伸びている。
きちんと閉めきっていない水道の蛇口のように、管の先から、アンモニアの独特の臭いを漂わせる水滴が不定期にピチャ、ピチャンと桶に落ちていく。
だが、その臭いは桶の中央に置かれている石造りの花弁――とある魔法使いが作った魔法具によって、瞬時に何事もなかったかのように掻き消される。
「今回のお仕事はね。少し前に見つかった遺跡の調査のお手伝い」
ベッド脇に置かれた日焼けで変色した椅子に腰かけていた少女は横になっている女性の手を握りながら、静かに語りかける。
肩に新雪のような毛色のミミズクをとまらせ、黒髪を左右に分けている彼女とベッドの女性は顔立ちが良く似ていた。
「組むのはジャルレットさんとサージェさん。あと、イディ」
二人にだけ敬称を使うことが少女の心情を語る。
それでも、仕事は仕事と割りきれるし、この先、仲良くなれる可能性に期待も抱いている。
そのような表情で少女は椅子から、そっと、腰をあげた。
「ママ。行ってきます」
白音は優しくも悲し気な声で挨拶をすると、「行ってらっしゃい」と返してくれない母親の手を静かに離した。
少女が必死に涙を堪える光景に、彼女の肩にミミズク姿でとまっている蛇原研介の顔も無力感に打ちのめされたものへと歪んだ。
(垣鍔さん。白音ちゃんはどんな事をしても、俺が守るから)
だが、それは一瞬の事。
決意とともに、猛禽類らしいキリっとした顔つきへと変わった。
** § **
「あの巨人の羽角はもっと鋭かったぞ」
「そっちだって嘴が丸まってるじゃないか」
手作りの粘土面を被った子供達が、碁盤目に配置をしたように等間隔に立ち並ぶ石造りの家々の間を駆けまわるのを見て、ランスポー運送商会の軒先にいた三人組の一人。
精悍な顔つきで、がっしりとした体格に似合う分厚い皮鎧を着た若者が頬を緩ませる。
「町の危機を救って、ただ去って行く鋼鉄騎士か」
「甘ぇ。無償で誰かを助ける奴なんていねぇんだよ」
小狡そうな雰囲気を漂わせた小柄で軽装の男が悪態をつくと、それを聞いた子供達がさっと逃げ去った。
「イディ。少しは子供に優しくしなさいよ」
胸部や腹部などの致命傷に繋がりかねない箇所のみを分厚く。
コストと動きやすさを重視した鎧を着けた赤毛のショートカットの女性の言葉に、イディと呼ばれた男が不満げにふんッと鼻を鳴らす。
皮鎧の男は何か言いたげにするも、近づいてくる人影に気づくと、商会が準備してくれていた荷馬車の方へと歩き出した。
「やぁ。シロネ」
「おはようございます。ジャルレットさん」
「ヒヒィィッン」
「オニキスもおはよう」
黒曜石と名付けられる程の黒光りする巨体で、触ると刺さりそうな程に先端が尖っている体毛の黒馬は白音の顔をペロリと一舐めした後、自分とは正反対のミミズクをじぃっと見つめ始めた。
(あッ! こ、この目つきは!!)
そして、研介の予想したとおりに馬の信愛表現を。
鼻のこすりつけをするつもりで、一突きをして白音の肩から転げ落ちさせた。
** § **
夏の日差しの中、一台の荷馬車が大平原を駆け抜けて行く。
御者席側に寄せて積まれた木箱は荷崩れしないように麻のロープで固定され、反対側に作られた空間に座っている二十代前半の男性二人と女性一人は広げられた地図を見ている。
肩に真っ白なミミズクを乗せながら、手綱を握るのは若者達よりも一回りは若い少女だが、髪をなびかせる風を楽しむ様子と無駄が無い。
その正確な手の動きから、馬車のコントロールになれている事は明らかだった。
彼等を乗せている筋骨逞しい黒曜馬達も、荷馬車を牽く事を苦にしないとばかりに、街を出てからは一度も足を止める事なく、風を切りながら、蹄を鳴らし続けていた。
「何事も起きなければ、野宿は二回で済む距離だ。二、三時間隔で交代をする事にしよう」
「はい。ありがとうございます」
木箱越しにジャルレットに声をかけられ、白音は元気に返事をした。
「甘やかし過ぎじゃねえか? ガキとはいえよ。俺達は金を払っているんだぜ」
イディの不満げな声に、白音の肩にとまっているミミズク姿の研介が猛禽類の鋭い目を向ける。
「お前の言う事にも一理ある」
ジャルレットは手で制した後、腕を組みながら言葉を続けた。
「だが、馬車を走らせながら、戦うはめになった時の為、シロネには万全の状態でいてもらいたい」
最初、研介は白音の負担を減らす為の詭弁だと思っていたが、イディが嫌な事を思い出したという顔をしているのに気づき、全身を強張らせた。
「けどよぉ」
納得しきれないという顔でイディは口を開いた。
「そもそもだな。立替をするのであって、立場的にはフォルジュロン卿に直接雇われている我々と同じだ」
「いい加減、自分の物と他人の物の違いを理解したら?」
黙って、二人のやりとりを聞いていたサージェが、我慢しきれなくなったとばかりに、ピンと伸ばした指をイディに突きつける。
「また、盗みをやるような事があれば、いくら昔からの腐れ縁だからって」
怯えた顔で後退り、荷台の端に追い詰められたイディは唾を呑み込むとチィと舌打ち音を鳴らした。
「わかったよ」
「納得してくれて助かるよ」
それは彼等と初対面の研介でも気づける程の爽やかさな笑みだった。
ジャルレットは嫌味で言ったではない。本心から、そう言っているのだと分かるほどに。
** § **
夜明けを合図に出立の準備を始め、陽が沈む前に、事前に調べておいた候補地で野営の準備を始める。
長いようで短い三日の旅の間、研介が恐れていた野盗の襲来も、飢えた野獣との遭遇も無かった。
ただ、日本で暮らしていた人達の感覚からすれば、ガスコンロの火を消しに走りなどはしても、慌てふためく事は無いだろう。
しかし、地震に馴れていないならば――な揺れが何度となく発生。
夜間の見張りの交代中に仮眠をとっていたサージェが悲鳴をあげ、荷台から転げ落ちる事故が起きた。
しかし、それだけだった。
テントポールを中心とする八角錐形で、遠目にも分かるように赤味がかったオレンジ色や黄色の屋根を持つテントの一群。
その東端に馬車が近づいた時、あまり近くに寄られたくない臭いをさせる皮鎧を着て、使い込まれてきた事がわかる鞘を下げた髭面の男が出てきた。
「こんにちは。ランスポー運送商会の者です。こちらの責任者の方はどちらにいらっしゃいますか?」
素早く、御者席から降りた白音は風下に立たないように気をつけながら、何事も無かったかのように話しかける。
すると、最初は訝し気な顔をしていた男も納得顔になった。
「ッ……ォ」
男は大きく息を吸い込むと、大気を震わせんとばかりに大きな音をさせながら吐き出した後、口に手を添えてメガホンのように形を作った。
「ナハニさぁぁぁん」
叫びというよりも爆音の如き声が轟くと、緩やかな丘に沿って、並んでいるテント群の一番端。
百メートル先程のテントの陰から、スコップを担いだ男達が現れ、その中の一人が。
白衣のような――土で汚れていようと、白さのほうが目立つ麻の服が知性を感じさせる風貌の男が、手旗信号するようにスコップで宙に円を描いた。
「あの人が指揮をしているナハニさんだ」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、白音は逃げるように御者席へと戻った。
** § **
夜間であり、離れているとはいえ、焚火の灯りに照らされる為に目立ってしまう半裸の男性達。
酒を片手に盛りあがる彼等が視界に入ってしまう事に困り顔をした白音の前で、元々浅黒い肌を更に日焼けさせたナハニが受領書に署名を入れていく。
夜風が彼の頭を彩る華麗な鳥達の羽を使った髪飾りと、白音の肩にとまっている研介の羽を揺らした。
「ありがとう。君のおかげで彼等に一休憩をとらせる事が出来る」
ナハニは心底申し訳なさそうな顔をしながら、右手をゆっくりと伸ばした
「ええっと……。あの……。大工さん達とかが、大きな仕事を片づけた後に盛り上がるのを見ているので」
手を握り返した白音は酔い潰れた職人達が道端に転がっている光景を思い出し――。
(絶対、あんな駄目な大人にはならない)
決意をあらたにするのであった。
「どうだろう? 明日、町に戻る前に遺跡の見学をしていかないかね? 崩落対策が済んだ範囲までだから、あまり、多くは見られないが……町では学べない事を学べる良い機会だと思う」
ナハニは純粋な好意というより、子供であれば、自分達の分野に興味を持たせやすいのではないか? という思惑を隠せていない顔で語りかけた。
(ママが心配だし、それに)
研介が少女の可愛らしい顔に憂いが薄っすらと浮かぶのに気づけたのは、彼女の肩に乗っていたからだろう。
(垣鍔さんが心配なのは分かるけど、たまには気分転換も必要だ)
白音が返答を迷っていると、瓶を片手にした身長二メートル程の巨漢がナハニに後ろから覆い被さった。
「飲んでるかー」
「飲んでる! 飲んでるよ!!」
ナハニは男から逃れようとするも、プロレス技のコブラツイストのように腕を絡まらせられてしまう。
「嘘つけ! 飲んでないだろ!? 俺達とは飲めないって言うのか?」
「痛ッ! い、痛い!!」
酒臭い息を吐く男は申し訳なさそうな顔をして、組みつきを解くが、ナハニが逃げようと膝を曲げた瞬間に掴みかかる。
「うぉッ! お、降ろしてくれェェェ」
男は暴れるナハニを無視して、肩の上に担ぎ上げるや、盛り上がる一団の方へと走り去った。
「私、お酒は絶対飲まない」
「うん。お酒は怖いね」
呆れ顔をした白音の呟きを聞き、ずっと黙って、ただの猛禽類のふりをしていた研介が口を開いた。
「さっきの話だけど、君がお母さんを心配するのは分かるが、発掘中の遺跡の中に入れる希少な機会は逃すべきではないと思う」
「でも、昔の人達が住んでいたお家だったり、お墓だったりするんだよね?」
死者を埋葬した施設は、厳密には墓地遺跡と呼ばれ、一般の遺跡とは別のモノに分類される。
だが、普通の生活施設からも、古代の人々の遺骨が見つかる事もある。
埋葬施設ではないからと、故人が眠りについていないとは限らない。
「埋蔵品を目当てにするのではなく、先人の生活を知る為であれば、彼等も許してくれるのではないかな?」
「うーん」
白音は興味を持ち始めたのだろう顔になるも、少なくない迷いを抱えているのも明らかだった。
(結局は自己満足かもしれないけれどな)
白音が腕まで組み始めた時、研介は少し離れた所にいるサージェが手を振っているのに気づいた。
「呼んでいるようだよ」
研介の言葉で白音は腕を解くと、調査隊の女性陣と一緒にいるサージェの方へと歩き始めた。




