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赤い村

作者: 相川 健之亮

私の実家は、岩手県の山中にある。

平屋でそこまで広い家ではなかったが、それなりに風情のある家屋であったと、今でも思う。


玄関の前の小さな庭には梅の花が咲き、甘酸っぱい香りを周囲にふりまいていた。

近くの道の端にも柿の木が並び、実が落ちたり、雨が降ったりするとほんのり甘い匂いがしたのを思い出す。


また、家のそばを小さな川が流れており、夜寝ていると、川の流れる音がザーっと鳴り続けていた。

幼少の頃は、夜中にその音に紛れて何か怖ろしいものがやってくるのではないかと怯え、隣で寝ている母によく泣きついたものだった。


そんな、良く言えば自然に恵まれた、悪く言えば寂れたど田舎の実家で育ったのだが、社会人になって働き始めた今でもときどき思い出す、不思議な体験をしたことがある。

今日はそのことを話そうと思う。



小学生の時分、私は一人で遊ぶのが好きだった。

友達がいなかったわけじゃない。何人かいたが、一緒に遊ぶよりは一人で土をつついて遊んだり、川で釣りをしているほうが好きだった。


山の散歩も好きで、その日も一人で木の枝を拾ったり、遠くに石を投げたりしながら山中を歩いていた。


山の中は一本道で続いていて、30分ほど歩くと湧き水が出ている小さな池に行き当たる。

そこから先は道がより狭く、険しくなっているため、池に着くと引き返すというのがいつもの散歩ルートだった。


ただ、その日はなんとなく池の先の道を進んでみようと思った。


道の両脇には草木が生い茂り、体にまとわりついてきたが、なんとか進むことができた。

初夏の日光は木々でほとんど遮断されていて、涼しかったのがせめてもの救いだった。


しばらく進むと、赤い頭巾を被せられた地蔵が左手に現れた。その地点を堺に山の雰囲気が変わり、周囲に厳かな空気を感じたような気もする。

おそらくは、地蔵を見たことによって、神様だとか仏様だとか、そういった神秘的な類を連想したからだと思う。


道は段々と険しくなっていった。

坂の勾配も増し、足に疲れが溜まってきた。


突然、目の前に石で作られた階段が現れた。段差が大きく、疲労していた足腰にはこたえたが、子どもでもなんとか登ることができる階段だった。


登り切ると、今度は開けた場所に出た。木々がその場所を避けるように脇に寄り、日光が地面まで降りていた。 


そして、臭いを感じた。

糞尿や腐った食物よりも強烈な臭いで、不快感よりも驚きのほうが勝っていた。

鼻を押さえながら進むと、すぐに臭いの正体が現れた。


巨大なイノシシだった。

大人よりも大きかったと思う。

茶色い体躯を地面の上に横たえていた。

私は驚愕し、草木に身を潜めたが、イノシシは全く動こうとしない。


イノシシは死んでいた。

恐る恐る近づくと、巨大な体の周りを見たこともないほどの大量のハエが飛び交い、集っていた。


突然現れた異様な光景と臭いに驚いたが、好奇心は折れることなく先に進んだ。


イノシシの死体は1体だけではなかった。

その後の道でも5匹ほど、間隔をあけて現れた。

いずれも巨大で、目立った外傷は無いように見えたが、力なく横たわってハエに集られていた。


開けた道をしばらく進むと、また目を引くものが現れた。


それは看板だった。

古びた木製の看板で、真っ赤に塗られていた。

その看板から先はさらに開けた場所になっており、家と小屋が立ち並んで集落のようになっていた。


奇妙だった。

こんな山奥に人が住んでいるなんて聞いたこともなかった。並んでいる家々は木で組まれた非常に古めかしいものだったが、煙突から煙が出ていたり、人の声が微かに聞こえていたため、廃虚ではなく、きちんと人が住んで営んでいるということが分かった。



私がその集落の入り口で立ち尽くしていると、後ろから声が聴こえた。

うー、という、どこか間延びした唸り声だった。


振り返ると、自分と同じくらいの背丈の少年が立っていた。

ボロ布を下半身にまとったその少年の肌は褐色で、赤黒い絵の具で肌に塗り込んでいるかのようだった。


だが、不思議と恐怖心は湧かなかった。

少年はまた、うー、と妙な唸り声をあげて、集落の中に入っていったが、途中で私の方へ振り向いて手招きをした。

私はその少年のあとに続いた。


集落は高い柵で囲まれていた。

また、柵だけではなく、中の家々も異様に大きかったように思う。


少年は私を集落の端にある、藁で作られた小屋の中に通した。その小屋は三角帽子のような形で、中にはいくつかの椅子と、大きな仏壇のようなものが置かれていた。


少年はまた、うー、という声を出して、私に何かを伝えようとしているようだった。

そして、私の体のあちこちを触り始めた。顔や手や足、服をつついて、もの珍しそうにじっと見てくる。


会話もできないし、どうしようかと途方に暮れていると、戸口の方から声が聞こえた。


うー、という、野太い唸り声だった。

戸口のほうを見ると、大きな男が立っていた。


少年と同じ赤い肌をしていて、ボロ布をまとっていた。そして、身長は少なくとも2メートルはあったと思う。


その大男は私に近づくと、急に私の頭を掴んできた。

ものすごい力で掴まれた私は足が浮きそうになり、思わず悲鳴をあげた。横にいた少年も大きな声をあげていたと思う。


私が懸命にジタバタしていると、大男の力が緩んで体が自由になった。

その瞬間、私は小屋の出口へ走った。このままでは自分は殺されてしまうと、本能的に察した。


小屋を出て、集落の出入り口まで全速力で走った。


私の悲鳴を聞いてか、家々からは何人もの人が顔を出していた。

普通の人間より明らかに大きな体で、赤褐色の肌をした彼らは、全員同じ唸り声をあげて、私を捕まえようと迫ってきた。


いくつもの、うー、という異様な声が背後から響いて、私は何度も転びそうになりながら走った。


赤い看板を通り過ぎ、あのイノシシが横たわっている道を抜け、私はとにかく走った。


あの大男たちは鬼に違いない。捕まれば、食べられてしまう。そんな思いが足の回転を早めた。


気づけば、私は獣道を抜け、湧き水が出ている池にたどり着いた。

だが、安心できなかった。

まだ、うー、という声が私を捕らえようと近づいているように感じ、そのまま家まで全速力で駆けた。



家に着くやいなや、私は母に自分が体験したことを話した。

そして、自分は食べられてしまう、助けてくれと懇願した。


母は苦笑いしていたが、私を抱きしめ、大丈夫だよと言ってくれた。


夜も、しばらくは安眠できなかったと思う。

あの赤い大男たちがいつ襲ってくるかしらん。

山から私達の家を彼らが見下ろしているのを想像すると、背筋が寒くなった。

震えている私を、母は赤子をあやすように眠らせてくれた。





とまあ、話はこんなところで終わり。

別段、変わった後日談もない。


感じていた恐怖も次第に薄れ、山奥で見たあの集落のことは記憶の端へ寄せられ、思い出すことも少なくなっていった。


ただ、なぜ今さらこの話を文字に起こそうと思い至ったか。

その理由を最後に付させていただきたい。


私は読書はあまりしないのだが、つい先日、出身地の岩手県の伝承や風俗について書かれた柳田国男の『遠野物語』を読む機会があった。

その中にこんな記述があった。



__________________________________

和野の何某という若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りしに、愛宕山の上より降り来る丈高き人あり。誰ならんと思い林の樹木越しにその人の顔のところを目がけて歩み寄りしに、道の角にてはたと行き逢いぬ。先方は思い掛けざりしにや大いに驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は耀きてかついかにも驚きたる顔なり。山の神なりと知りて後をも見ずに柏崎の村に走りつきたり。

__________________________________



目次では「山の神」と表記されていた。


私はこれに記されている山の神なる、丈高い顔の赤い男と、私が遭遇した赤い村の人間たちは無関係ではないと思わずにいられなかった。


神を信じるわけではない。しかし、少なくともあの山の中には人のような何かがいる。

それを見た人は私以外にもいるらしいし、自分の記憶にこびりついた彼らの赤い姿が、その存在を否定しようとするのを許さない。


今でもきっと、彼らはいるのだ。

山の中で、あの赤い看板のある村の中で、あの奇妙なうめき声をたてているのだ。


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