8 幕間 源義経について
司馬遼太郎によれば、明治時代、日本に軍事教官といて招聘されたメッケルは、様々な分野で、常人には及びもつかない才能をもった天才が出現するが、
その様々な分野の中でも最も出現率の少ないごくごく稀にしか出現することがないのが軍事的天才であると語った。
そして、世界史全体でも数人しか出現しなかった軍事的天才の名を挙げた。
これに倣って、もちろん私が知る限りという限定はありますが、世界史上における軍事的天才としては、私は、
アレクサンドロス。
ナポレオン。
チンギスハーン。
一般的な知名度は、前記三人に劣るが、漢の武帝の時代に、数度にわたり、匈奴征伐戦に大勝し、その本拠を撃滅。二十四歳で夭折した霍去病。
そして、源義経。
この五人を挙げたいと思います。
カエサル(シーザー)については、警句、名台詞などにみられるその弁論の才。その明晰な文章により、文学的評価も高い「ガリア戦記」を著したこと。
さらには、とにかく女性にもてたというエピソードなどから、最高度の人間的魅力に溢れた人物と感じます。
また、軍事の面でも高く評価すべき業績を挙げていますが、その天才性という点では、前記五人にやや劣るのでは、と思います。
が、上記は、私が、各人物から受けるイメージで、そのように感じているということであり、具体的に論証することはできない、ということは特にお断りしておきます。
天才と感じる人物を描くというのは、精神的にひどく疲れます。その内面も色々と想像してみましたが、常人の身には難しい想像で、結局、観念的な言葉を連ねることしかできなかったかな、と思います。
また、若い頃は、ここに書いたように、歴史的人物の天才レベル、英雄レベル、その言葉からもたらされるイメージなどというものを色々考えてしまっておりましたが、今はそういう定義に対しては、意味はないし、歴史というものをゆっくりと虚心に考察する上では、むしろ邪魔な概念であろう、と思っております。
そういう気持ちがありますので、実は源義経は、どうしてもそういうイメージに縛られてしまうので、書きたくなかったのです。
が、このあとの時代を描くにあたっての必要性から、書かざるを得ないと感じることだけ、これまでのイメージの延長線上にある形での義経を書かせていただきました。
そういう事情ですので、もし、歴史において、源義経という人物が登場しなかったらどうなっていたか、
IFの架空歴史小説にしようかな、という気持ちもかなり強かったのです。
義経無き源氏は、どのようにして平家と戦ったのか。一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いはどうなっていたのか。そもそもそれらの戦いが起こるのか。
そして、奥州藤原氏はそれにどう絡むのか、三国志的展開になりそうですし、朝廷も絡んで、かなり複雑な歴史的様相を呈しそうです。
さて、軍事的天才、英雄義経。
もちろんその形容詞は、物語的歴史における義経に対して捧げられるものかと思いますが、いずれにしても本小説の中で、英雄源義経は、退場しました。
また新たな気持ちで、このあとの時代を書き継いでいきたいと思います。