6 九郎とは戦わぬ
父の記憶を持たない義経。
藤原秀衡は、彼の人生において初めて父性を感じることのできた存在であった。
その秀衡の死は、義経に深い悲しみをもたらした。
が、その一方で、秀衡の遺言は、義経にとっては実に久方ぶりに、その心を勇躍させた。
奥州十七万騎。
義経は、そのような大軍を率いて戦ったことはない。
京を占拠した木曾義仲との宇治川の戦い。
そして平家討滅戦において。
総大将で、大手軍を率いたのは、蒲殿と呼ばれる、異母兄、範頼。
義経は、搦手軍を率いた。
宇治川の戦いでは、範頼率いる大手軍は三万騎。
義経率いる搦手は二万五千騎と、その任せられた兵力は拮抗していた。
その戦いにおいて、宇治において木曾義仲と直接戦ったのは義経軍であったが、範頼軍は瀬田において、数においてはむしろ勝っていた義仲軍の別働隊と戦った。
義経ひとりが抜群の戦功をたてた、とは言えない。
この戦いで義経は学んだ。
ー 儂に大軍はいらぬ
と。
大軍は、軍全体の動きを鈍重にする。
軽騎を率い、速度をもって短時間で敵を撃滅する。
そういう戦いこそ儂に相応しい。
一ノ谷の戦いにおいては、範頼の大手軍は五万六千騎。義経の搦手軍は一万騎。
屋島、壇ノ浦の戦いにおいては、中枢をなす平家一門と直接戦ったのは義経軍のみである。
範頼軍は、三万余騎をもって、平家一門の退路を絶ち、瀬戸内に孤立させるため、九州の地にあった。
それは決して疎かにはできない重要な武略であった。
が、後世の人びとが喧伝することになる華々しい戦場の場には、ただ義経軍のみがあったのだった。
ー 十七万騎か。
義経の胸が踊る。
だが、儂はその全てを儂が率いるような戦いはしない。
泰衡と国衡に、かつて範頼兄が果たした役割を務めてもらおう。
儂は軽騎を率いて、あの、結局は兄、頼朝のみに忠誠を尽くし、儂に靡くことはなかった諸将よりなる鎌倉軍を縦横無尽に討ち滅ぼしてやる。
義経は、来たるべき戦いを思い描いた。
宇治川の戦いとも、平家討滅戦とも違う。
儂はその戦いを、誰憚ることもなく、儂の意のままに戦うことができるのだ。
「九郎とは戦わぬ」
義経、奥州平泉にあり。
との確たる報がもたらされた数日後。
この事態にいかに対処すべきかを評定するために、大倉御所に参集した、範頼、そして鎌倉の中枢を担う諸将の前で、頼朝が発した最初の言葉だった。
評定の場は大きなどよめきに包まれた。
「なぜでございますか、何故、そのようなことを申されます、御所様」
現代に例えれば、軍務長官と言うべき、侍所別当、和田義盛が、頼朝に問いかけた。
「間者は、こう伝えてきた。 盟主、秀衡は、死の間際にその息子たちに義経を主君と仰ぎ、鎌倉と戦えとの遺言を残したとな」
「おう、それこそ我らの望むところ。思う存分に九郎殿と戦い、かの君を討ち滅ぼして見せましょうぞ」
「奥州は十七万騎という。それをあの九郎が率いるのだぞ。勝てるのか」
「鎌倉が、その全てを挙げて兵を参集させれば三十万騎にも及びましょう」
「その兵力差で九郎に勝てるのか。あの男は、一ノ谷で、屋島で、おのれに数倍する大軍を、誰にも考えの及ばぬ機略をもって撃ち破った男なのだぞ」
和田義盛は言葉に詰まった。
「義盛」
頼朝が、義盛に呼びかけた。
そして頼朝は、座に居並ぶ諸将に、その視線を移しながら、次々にその名を呼んだ。
「常胤、義澄、能員、知家」
千葉常胤、三浦義澄、比企能員、八田知家。
「お主らは、いくさの経験豊かな歴戦の雄だ。治承・寿永の乱において、儂はお主らを、大手の総大将である範頼の元に付けた」
範頼が、静かに頷いた。
「が、九郎は、搦手軍の大将という立場にありながら、平家一門との戦いにおいて、その大手軍をあたかもおのれの手駒であるかのように使い、誰も想像していなかった短時日の内に、平家を討滅させたのだぞ。
九郎には、軍監として景時を付けたが、あやつにとっては、邪魔な存在でしかなかったようだな」
梶原景時の顔が紅潮した。が、彼は何も言わず俯いた。
「政治的な思考など、つゆほどもできぬ男だが、いくさにおいては、この国開闢以来の天才であることは紛れもない。あやつが描くいくさの全体像には、どれだけの深慮遠謀があるのか。いや、もっと恐ろしいのは、あやつは、おそらくはあの戦いを本能のおもむくままにやったのであろう、ということだ。
のう、義盛。威勢のよい言辞はひとまずやめよ。
侍所別当として冷静に考えてみよ。この座にいる中で誰があの男に勝てる」
「御所様、なんとも情けないお言葉をたまわりました。が、あの九郎殿のいくさを思えば、誠に残念ながら、御所様のおっしゃられたことに反論はできませぬ。
が、御所様。武者にとっての最大の望みは、いくさで手柄をたて、御所様より恩賞を頂戴すること。
が、かのいくさで、蒲殿の率いられた大手軍で、目覚ましい武勲をたて、御所様より大きな恩賞を頂戴したものはおりませぬ。
我ら将たる者もそうですが、武者輩は、功名をたてる機会に飢えておりまする。
九郎殿を奥州に置いたまま、御所様はこのまま静観なさるおつもりなのでしょうか」
「いや、九郎は滅ぼす。あやつには滅びてもらわねばならぬ。
そして、あやつ亡き後、来たるべき戦いで、お主たちには、存分に働いてもらうぞ」
この評定の場に、義時もまた警護をする者として、座に列した。が、まだ、発言できるような立場は得ていない。
九郎君亡き後の戦い。
それが、誰を相手とする戦いか、義時は理解した。
九郎君は天才。頼朝様はそうおっしゃられた。
が、その頼朝様もまた、紛れもなく、政治的思考における天才ではないか。
儂はこの方の身近に仕えて、その全てを学ばねばならぬ。




