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北条義時  作者: 恵美乃海
58/70

58 平賀朝雅と畠山重保の口論、及び北条政範の死について

本章は、第57章を投稿したあとに、その章の後書きに追記した文章です。

あらためて、その後書きを転記し、独立した章といたします。

(その後書きは消します)

 平賀朝雅と畠山重保の京での口論の内容だが、やはり武蔵国に関することだだったのかな、と推測する。


 畠山重忠が武蔵国の武士団を取りまとめる留守所総検校であり勢力圏としていた武蔵に、平賀朝雅が国司となり、そのあとを北条時政が引き継ぐ形で、武蔵国にその勢力を及ぼそうとしていたというのが当時の状況であるので、

 畠山重保の台詞としては


 ー これ以上武蔵国に手を出してくるようであれば、畠山は黙っていない。

 それなりの覚悟を持って手を伸ばしてきているのだろうな。


 この種の台詞であったとすれば、そのあと、平賀朝雅、北条時政、牧の方が、その台詞を膨らませて、

「謀叛を起こそうというしている」

 と騒ぎ立てたことについて、一応、説明はできるかと思う。



 北条政範の急死については、時政の嫡男としてその後継者となろうとしている政範を除くことは、北条義時にとっても時政の娘婿である平賀朝雅にとっても望ましいことであるので、義時が、平賀朝雅に、京での謀殺を持ちかけたというストーリーは、考えられるかもしれない。


 見返りとしては、義時は、政範を喪ったあとの時政、牧の方夫妻とともに実朝を廃して、平賀朝雅を次代の征夷大将軍とすることに尽力する。


 そして時政の次の時代は、平賀朝雅は京の朝廷に対しても影響力を持つ征夷大将軍となり、北条義時はその下で、鎌倉幕府において関東の御家人を統率する実務の最高責任者としての執権となる。その提携を持ちかけたというストーリーが、考えられるかもしれない。


 であれば義時は、時政追放と時を合わせて、平賀朝雅を弑する必要があったであろう。

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