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北条義時  作者: 恵美乃海
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51 姫の前と義時(小説的脚色を離れての考察)

 第二代征夷大将軍源頼家は、幽閉されていた伊豆国修禅寺で、元久元年(1204)7月18日、北条氏の手兵によって殺害された。享年23(満21歳没)。


 後に編纂された北条家側にたった史書『吾妻鏡』はその死について、ただ飛脚から頼家死去の報があった事を短く記すのみである(7月19日条)。


 九条兼実の弟、慈円の『愚管抄』によると、頼家は入浴中を襲撃され、激しく抵抗した頼家の首に紐を巻き付け、急所を押さえてようやく刺し殺したという。


「愚管抄」さらに史書「増鏡」には、北条義時が差し向けた手勢に頼家は殺されたとの記述がある。


 また前年の比企能員の変の際に亡くなった頼家の嫡男一幡についても、その母若狭局とともに一旦は逃れたが、

 11月に捕らえられ、北条義時の手勢により殺されたという記述もある。


 その記述に従えば、一幡と頼家殺害の主犯は義時と言うことになる。少なくとも同時代の人にはそう見られていたということになるであろう。


 この時点で世間において義時は、父時政と並ぶだけの存在感を得ていたのであろう。


 ー 義時は、一向になびかなかった姫の前に対して一年間恋文を送り続け、頼朝の計らいで「絶対に離縁いたしません」という起請文を書いて姫の前を妻にした ー


 との記載から、作者は北条義時について、姫の前に対してだけは少年のようなロマンチックな感情を抱き、姫の前のことが好きで好きでたまらない男、というキャラクター設定にした。

 ゆえに、比企能員の変に際しては、その実行者となったことと、姫の前に対する気持ちをどう折り合いをつけたのか説明する必要を感じた。


 が小説的脚色を離れれば、北条義時は妻と権力を比べて、権力を取ったというだけの単純な話なのであろう。


 頼家は甥、一幡は甥の子供。だが義時はそのような関係の情にとらわれることはなく、政治的判断により殺害した。

(母、祖母である政子は事前に知らされていたのだろうか)


 姫の前については、比企能員の変のあと、ふたりは離縁している。

 それは比企一族の縁者を正室のままにしておくことの不都合を義時が感じたのかもしれないが、その時点では義時の姫の前への気持ちも結婚当時とは異なっていたのかもしれない。


  義時が、一向になびかなかった姫の前に対して、なぜ一年間も恋文を送り続けるほどに執着し、

「絶対に離縁しない」

 という起請文を書いてでもおのれの妻にしたかったのか。

  その理由は、姫の前が同時代の文書にも特筆されるほどの美貌だったからであろう。

  男性であれば、美人が好きというのはごく普通の感情であろう。が、それが結びつきの大きな理由であれば、一緒になって以降、不断の良好な感情の交流がなければ、その結びつきは深まってはいかなかったであろう。


  美貌というその一つの理由だけで配偶者に対する気持が新婚時代から不変であり続けることができる男性というのは、そうはいないのではないかと思う。



 想像を膨らませれば、離縁後さほどの時もおかず、伊賀の方が継室になったということは、しばらく前から、義時の気持ちは伊賀の方に移っていて、比企一族を滅ぼすという決断に際して、姫の前のことは大きな阻止要因ではなかったのかもしれない。


 離縁後、姫の前は鎌倉を去り京に向かう。その京で姫の前もまたさほどの時もおかず、公卿と再婚する。


 それについて義時がどう思ったのかは分からない。しかしそれを止めるため、何の行動も起こさなかったということにはなろう。


 そして姫の前にとっては、義時との間に生まれた3人の子供さえも、鎌倉の義時のもとを去る阻止要因にはならなかったということになる。

 姫の前の義時に対する気持ちも冷えていた、という想像は容易に成り立つ。


 あるいはもっと悲しい想像をすると、比企一族の縁者である姫の前は、義時に因果を含められ、我が子とも引き離されて、鎌倉からの退去を求められた、と推測することも可能であろう。


姫の前が比企一族の縁者であったとしても、このとき北条義時が持っていたであろう力を考えれば、義時が望めば姫の前を義時の正室のままにしておくことは可能であったろう。

九条任子が内裏を退去したときの後鳥羽天皇と同様、義時はそれを望まなかった。

鎌倉を離れたのが姫の前の意思でなかったのであれば、それは義時の意思であったということになる。


義時がその時も、姫の前に対して新婚時代と変わらない愛情を持っていたのだったら、比企一族を滅亡させたことは、義時にとって姫の前に許しを乞わなければならないこと。

が、もし姫の前に対しての愛情が無くなっていたのであったら、このときの姫の前は寄る辺を失ってしまった女人ということになる。


 九条兼実、任子父娘との縁というのは、言うまでもなく作者の創作である。


 姫の前は、何かのかすかな縁だけを頼りに京に行った。

 そして源具親と再婚したのは、生きていくためにはそうするしかなかった。


 あるいはそういうことだったのかもしれない。


(源具親は生没年不詳で、姫の前より10歳年下というのは作者の設定です。ただウィキペディアに1262年時点でも存命でその時80余歳という記述があったので、そこから逆算しました)


  なお姫の前の父朝宗は、比企能員の変において滅亡した比企一族の中にその名が無い。


  姫の前と義時に関しては、本小説(とは言い難い代物ですが)でも上記の考察の観点からその関係性を構築したほうが、もっと地に足のついた文章が書けたかもしれないし、小説的にはそちらのほうが面白かったかもしれない。


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