表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北条義時  作者: 恵美乃海
49/70

49 伊賀の方

 建仁4年(1204)になった。

 北条義時は42歳である。


 この時点で義時には五人の子供がいた。内三人は姫の前との間にできた朝時(12歳)、重時(7歳)、女児の竹殿(? 京の旅の途上で、ということで6歳に設定します)である。


 義時にとっては、この三人が特別に可愛いかった。

 が、姫の前が去った今、母を慕う子のことは不憫と思うが、姫の前のことを濃厚に思い出させてしまうこの三人の子に対して、避けたいと感じる思いも生じてしまうのだった。

 少なくともこの三人が特別に可愛いという気持ちは、義時の心から消えていた。


 有時(5歳)の母は、伊佐朝政の娘である。特に有力な御家人ではない。

 義時が、姫の前の美貌にやや疲れをも感じていた時期に子ができてしまったということになる。義時は側室とした。


 そして庶長子の泰時(22歳)である。

 比企能員の変の際にも将として軍勢を率いたこの息子は出来が良かった。

 有能というだけでなく、その性格も温厚かつ明朗で非の打ち所がない、と言い得るような男子だった。


 その母は、御所の女房で、身分のある出ではなく、さほど器量が良かったわけでもない。義時はつい手が出てしまったのだが、控えめな性格で、義時はともに時間を過ごすとき不快を感じたことはない。


 姫の前の生来の華やかさに疲れを感じたとき、義時はこの女性のもとで気持ちを安らがせることがこれまでも時にあったのだ。

 ふたりの間にできた息子、泰時の出来のよさ、ということもあり義時はこの女性も正規に側室とした。

 なぜか義時の同母妹と同じ阿波局となった。


 姫の前が去った今、義時に正室は不在となった。


 この年、義時は継室(正室が亡くなる、あるいは離縁で不在となった場合の正室格の後妻)を迎える。


 姫の前が去ってさほどの時間も経たずに、ということになるが、それは京の姫の前も同様である。


 ふたりにとっては、ともに過ごした11年間を心にとどめたままでは、生き続けていくことが不可能であったのだろう。


 継室を迎えるにあたって義時が出した条件はただひとつ。

 ー あまり見目麗しくはないおなごがよい

 だった。


 藤原秀郷の流れをくむ関東の豪族、伊賀朝光の娘が義時の継室となった。

 伊賀の方と呼ばれる。


生年は不明だが、この時、20歳くらいだったのではないかと推測する。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ