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北条義時  作者: 恵美乃海
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48 〜別途投稿小説「姫の前」の転載〜

 比企一族が滅亡して間もなく。


 義時の館から、正室、姫の前が忽然と姿を消した。

 朝時、重時、3番目に生まれた女児、竹殿。

 子らも残したまま。



 姫の前は鎌倉を離れて京の都にたどり着いた。

 姫の前が身を寄せたのは九条兼実の館だった。


 姫の前は三十二歳になっていた。

 兼実の館には、一歳年下の任子がいた。


 その頃、九条兼実は、法然上人に帰依していた。


 ー ただ一心に「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、人は救われ、極楽往生できる。


 仏の教えさえも論理をもって理解しようとしていた九条兼実。

 その兼実が、法然上人のその教えを聞いたとき、その目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちたのだった。



 九条兼実様の館に、世にも稀な美女が暮らしておられる。

 そのことはいつしか評判を呼び、何人もの若い公卿が、姫の前に文を寄こした。


 中でも特に熱心だったのが、源具親だった。

 姫の前より十歳年下で、公卿としての身分はさぼど高くはない。


 翌元久元年(1204)。

 法然は、後白河法皇ゆかりの寺院、長講堂で、後白河法皇の十三回忌の法要を営んだ。


 この法要に、九条兼実も、任子も、そして姫の前も参列した。

 九条兼実にとっては、政敵とも言えた後白河法皇。だが今の九条兼実にとっては、その御方さえも、ただ懐かしい。


 それまでの間に兼実は、姫の前に、法然上人の教えを説いていた。

 一族滅亡。夫と子を残して鎌倉を出奔。

 過酷な経験を積んだこの女性の心に救いをもたらすことを願って。


 法要の席。

 参列した人びとは一心に「南無阿弥陀仏」を唱える。


 兼実も、任子も。

 姫の前は同じ姿勢で居並びながら、静かに黙していた。


 脳裏に姫の前が、深く関わった人びとの姿がよぎる。


 源頼朝。比企の一族。三人の子供。


 そして北条義時……私のことが好きで好きでたまらなかった人。


 それらの人びとのことを思い起こすとき、姫の前は、思わず知らず波立ってしまう、おのれの心が煩わしかった。

 教えを説く九条兼実。全てを諦観したかのような九条任子……。


 自分に思いを寄せる源具親の文も煩わしい。

 そしてそのことを煩わしく感じるおのれさえも。


 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏………


 極楽往生を願う衆生の、一心に念仏を唱える声。


 自分は何を求めるのだろう。


 頼朝に愛されることを願っていたおのれ。


 母上、母上と慕う子たちがただ愛おしかったおのれ。


 姫の前は、ふっと息を吐き、心をしずめた。


 心に浮かんだのは……


「姫の前、姫の前」

 嫁いだばかりの頃、呼びかける義時の顔。その声。


 姫の前は、仏を念じることはできなかった。



 姫の前は、源具親と再婚する。

 具親との間に、輔通、輔時のふたりの男子を産む。


 承元元年(1207)三月二十九日。

 姫の前は、京の地で、その生涯を終える。


 輔時は、のちに北条朝時の猶子となった。


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