47 主上この世におわす限り
姫の前は、京の九条兼実の邸にたどり着いた。
ー もう二度と鎌倉の地は踏まぬ。
そう決意し、少しでも鎌倉から離れた場所に、と望んだ姫の前が向かったのは京だった。
京における知るべ、九条邸で雑仕女にでも使っていただければ。
そうまで思い詰めていた姫の前だったが、既に比企一族の滅亡と、姫の前が比企一族の女人であることを知っていた九条兼実は温かく迎え、姫の前は九条邸の客人となった。
九条任子は、やはり兼実邸で父と一緒に暮らしていた。
幾日も経たず、姫の前は五年ぶりに先の中宮と親しく言葉を交した。
姫の前は、五年前、京からの帰路で任子について感じていたことをその本人に語った。
「悲しかったのですよ。とても」
……
「私がもっと綺麗であったなら、もっと活発な気性であったなら、もっと主上に愛していただけたであろうに。そんなことをいったい何度考えたことでしょう。
でもそれを願ってどうなりましょう。
私はこのように生まれ、今、あるように生きてまいりました。
他の人の心は何ともなりませぬ。ただおのれの心はおのれだけのもの。
何も願わず、私はただこのように生きてまいるだけです」
「昨日、兼実様に、阿弥陀の御仏の教えをお聞かせいただきました。ただ「南無阿弥陀仏」と唱え一心に仏を念じるだけで、人は極楽往生がかなうのだと。そうなのでしょうか」
「私も阿弥陀に祈ります。でも来世に何を願うのでしょう。極楽往生した世界で私はどのような私になるのでしょう」
……
「私に何か願うことはあるのでしょうか。
ただ昇子のことは気にかかります。幸多かれ、と願っております。
そして、ほんの少しの間でも愛をたまわった主上のことはこれからも気にかけて生きていきたく存じます」
九条任子は、その当時では長寿を保った。
その心の中には
ー 後鳥羽が世におわす限り、私も生き続けよう。
というお気持ちがあられたのかもしれない。
が、後鳥羽の死を待たず任子の命脈は尽きた。
66歳だった。
後鳥羽が亡くなったのは、九条任子の死からちょうど3ヶ月ののち、命日はともに28日である。
任子が内裏を退去してから二度と会うことはなかった任子と後鳥羽。
任子と遠く離れた場所で、その生を終えた後鳥羽のもとに、その3ヶ月の間に任子の死の知らせは、おそらくは届かなかったであろう。




