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北条義時  作者: 恵美乃海
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46 光なき心

 比企一族を滅ぼす。そう決意した義時にとって最大の懸念は言うまでもなく姫の前のこと。


 ー おなごにとって最も大切なのは夫であり子であるはず。そして子よりも、儂にとって姫の前がそうであるように、姫の前にとっては、この儂こそが最も大切なはず。


 いかに悲しもうと、悲しみ続けようと、時が経てば姫の前はどうしてもそうせざるを得なかった儂のことを分かってくれる。儂を許すはずだ。


 義時は、心に夢を描いてしまったのだ。


 義時は五年前、姫の前とともに京に行ったその帰路、自分の心にふと芽生えた感情を思い出した。


 ー 尋常ならざる美と対峙し続けることの…疲れ


 義時は頭を振った。


 ー 何を馬鹿なことを思ったのだ。

 激しい憤り、深い悲しみのあとにやってくる許しの時間。

 そしてその時、ふたりはお互いがおのれにとっての絶対的な存在であることにあらためて気付く。


 義時は、そんな少年のような夢を心に描いてしまったのだ。



 悲報を聞いた姫の前は、義時を激しく責めた。


「あなたは何ということをなさったのです。比企の一族を滅ぼすなどということがなぜ出来たのです。

 私のために、この私のためになぜ思いとどまっていただけなかったのです」


 予想どおりの反応だった。

 しかし、義時が何を言おうとも、数日が経っても姫の前から許しの言葉はでなかった。


 ー姫の前はこんな普通のおなごだったのか


 義時は拍子抜けしたような気持ちになった。

 いや、姫の前が普通のおなごであるはずがない。

 かくも隔絶した美を持つおなごが普通であってよいはずがない。


「姫の前、そなたはこの儂こそが最も大切な存在とは思ってはくれぬのか。儂はそう思っておったぞ。

 そなたにとっても、かつてそなたが愛していたであろう御所様よりも、今は儂が大切なはず。

 まして比企の皆々、どうしても滅ぼさねばならなかったのだ。分かってはくれぬか」


「御所様よりもあなたが大切なはずですって。ええ、ええ。たしかにあなたに嫁いでからはあなた様こそ私にとって最も大切なお方。しかしそれまでは御所様こそ、私にとって最も大切なお方でした。その時感じていたその気持ちはあなたに嫁いだとて消えるものではありませぬ」


「な、なんと。儂のことは御所様と同じ程度にしか考えておらぬと言うのか」


「あなたのおっしゃることは、まるでだだを捏ねる幼子のよう。児戯にも等しい。ご自分のみが一番でなくてはならぬとお思いですか。私にとってはあなたも大切。御所様に可愛がっていただいた時も大切。我が子も大切。そして比企の皆々も私にとってはなくてはならぬ大切な方たち。

 私はその時、その時をただ一所懸命に生きてきただけでございます」


 義時は大きな衝撃を受けた


 ー 儂にとって姫の前は、絶対の存在だった。が、姫の前にとって儂は愛するもののひとつにすぎなかったというのか。



 姫の前はある日、忽然と姿を消した。

 その前夜、三人の我が子を順に部屋に呼び、黙って抱きしめたという。

 が、義時に別れの言葉はなかった。


 姫の前が消えたあと、義時はたとえおのれが、姫の前にとっては大切なもののひとつにすぎなかったとしても、姫の前に我がもとにいて、一緒に年を取っていってほしかったと思った。


 ー 姫の前、姫の前、姫の前。

 儂はもうお前のことしか考えられぬ。もう会えないのか。二度と会えないのか。

 お前の姿をこの目で見ることはもうできないのか。

 お前の声をこの耳で聴くことはもうできないのか。

 いつまでだ。いつまで続くのだ。お前のことしか考えられぬ日々は。



 悲しみが極まったとき、ひとは慟哭などしない。

 他のどんな感情にも置き換えることのできない透き通った悲しみが、その心を満たす。


 日々が過ぎ去っていった。

 心の中に満ちていた秘めやかに澄んだ月のような悲しみの光は緩やかに欠けていき、光なき黒き感情に置き換わっていく。


 姫の前はもういないのだ。


 義時はそれでも生き続ける。


 超常の美なき時を

 光なき心とともに。





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