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北条義時  作者: 恵美乃海
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41 京からの帰路

頼朝が亡くなる、その少し前の話です。

ー 不思議なお方だった。


姫の前は思う。

九条兼実邸で、ふたりきりとなり、親しくお言葉をたまわった先の中宮、任子様のことである。


ー 美しい、なんと美しい。

姫の前は、少女時代、いや物心がついたときからそう言われ続けてきた。


おのれが、他に比べ得る者もないほどの美女であるということは姫の前にとっては、水や空気のように当たり前のことだった。


その当たり前のことを充分に意識して姫の前は生きてきた。


任子様は穏やかで、ご身分からいって当然のことなのかもしれないが、何とも言えない気品を持たれた方だった。

が、そのお顔立ちは、華やかさにかけ、さほどには美しい方ではなかった。


そういう女人が、姫の前を見ると、その表情に浮かぶのは羨望、あるいは反感。そのどちらかだった。

いや、姫の前にとってはこれまでの人生で、


ー この人は、私と同じ程度に美しいのでは。


と思わせられるような女人に会ったことはない。


必然的に姫の前を初めて見た女人に浮かぶ表情は羨望か反感。例外はない。


が、任子様はそのどちらでもなかった。ただ静かに姫の前を見つめている。


その種の感情に乏しい方なのか、とも思った。


が、ふたりの会話は、主に姫の前が自分のことを色々と話すことになったが、それに対する受け答えは、感情に乏しい方のそれではなかった。

姫の前の話を興味を持ってお聴きになっていることがよく分かったし、話の続きの促し方も品よくお上手で、姫の前はずいぶんと長く話してしまった。


その中で、自分がいかに夫に愛されているか、6歳と、生まれたばかりのふたりの男の子がいかに可愛いか、と言う話をしている時、事前に義時から聞いていた話を思い出し、はっとして口篭った。


ー この方は至尊の君の最も高貴な妃であらせられながらその仲を割かれ、さらにはお産みになった皇女様も奪われたのだった。


が、任子は、口篭った姫の前に対して、にこやかな表情で、やはり話の続きを促したのだった。



退室し、姫の前は思った。


ー なぜ、あのような方がおられるのだろう。とても耐えられないほどにお辛い体験をされておられるのに。


姫の前はふと思った。

ー  あの方はもうご自身に関して何の欲も持たれておられないのではないだろうか。


ー 人というものは、何の欲も持たなければ、あれほどまでに高雅になれるのか。


任子の前で、姫の前は、活き活きと話し、楽しい時間をともに過ごせたはずだった。


しかし今、姫の前は自分がひどく疲れていることに気づいた。




三幡様の入内という目的は果たせた。

御所様のあらためての提携というご意向も兼実様に伝えた。

兼実様は予想していたよりは積極的な姿勢を示されなかったが、ご返書はいただいた。

兼実様のご様子も御所様に伝えられる。


行きも楽しかったが、任務を果たした帰路の旅の楽しさはまた格別だった。


義時は、姫の前との旅を楽しんでいた。


ー 姫の前は今、27か。


義時は、妻の年齢を思った。

子供もふたり産んだのにその美しさは変わらない。いや増々美しくなっているのでは、と思う。


先の関白、先の中宮を前にしていても、わが妻の美しさは誇らしかった。

妻のおかげで、ご面談頂いた際も気負けしなかった。


御所様が言われたとおり、姫の前とは、ずっと仲睦まじく暮らしている。

一方的ではない。姫の前も自分のことを愛してくれている。

いつもにこにこと楽しそうだし、今でもよく構ってくれる。


時に、今一層のご出世を。という意味のことを言うが、それは儂自身がずっと思っていること。


北条は正室の実家、嫡男の外戚というだけではない。

父、時政は、今は伊豆、駿河、遠江の守護。

大きな所領を持ち、経済的な基盤も築いた。


が、父は今、比企一族をひどく警戒している。

当主の比企能員は頼家様の乳母父。頼家様の正室は、比企能員の娘。

次代になれば、比企が大きな実権を握ることになる、と。


いずれ比企と相争うようなことがあるのだろうか。

いや、姫の前は比企一族の出。

そうなってはならぬ。

要は争わずして、その上にたてばよいのだ。


治に居て乱を忘れず。

が、大きないくさのなかったこの数年。


義時は、このような日々がこれからも続くのではないだろうか、と思った。


その容顔の美麗、他に並ぶものなし。

そう歌われた美しき妻との穏やかな旅。


義時は、そう幸せであったのであろう。

そのとき義時は、幸福感という意味では人生の絶頂であったのかもしれない。


憂うことなき幸福の絶頂のとき、ひとは何を思うのか。


義時は心の奥底に、ふと感じるものがあった。


幸せに対する……飽き。


義時は、姫の前を見る。

華麗極まりない美を日常的に見続けたその歳月。

姫の前を妻として六年。


義時の心の奥底に、ふと芽生えた感情があった。


尋常ならざる美と対峙し続けることの……疲れ。








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