4 頼朝と義時
年が変わった、文治四年(1188)二月。
義経、奥州平泉にあり、との確たる報が鎌倉にもたらされた。
その報がもたらされた日。その夜は、義時が警護番であった。
警護番として、義時が頼朝の身近に接するとき、頼朝はたまに義時に声をかけることがある。
義時にとっては、最も緊張を要する時間だった。
ー 儂が、この鎌倉において、ひとかどの男とみなされ、大きな権限を持ちたいと望むのであれば、最も重要なのは、殿に気に入っていただき、出来る男と、見做されなければならない。
「小四郎」
頼朝が、声をかけてきた。
頼朝は、義時を、その通称で呼ぶ。
「は」
「お主は、九郎をどうすべきと思う」
頼朝は、義経のことはそう呼ぶ。
ー これは極めて大きな問いだ。その答えによって、儂の器量が見極められる。
「ことここに至っては、やはり亡き者とするしかないかと」
「そうか」
ー これで終わってはだめだ。
「御所様、小四郎は御所様にお伺いしたきことがございます。お許しいただけましょうや」
「ふむ、申してみよ」
「九郎君は、元々は殿には従順なお方。叛く心があったとは思えませぬ」
「こうなったのは儂が許さなかったから。どこかで頃合いを見て許していれば、こうはならなかった。そう言いたいのだな」
小四郎は、主君の表情をうかがった。大丈夫だ。
「あのお方の武略は衆に秀でたもの。まだまだ使い途はあったかと思います。そして殿のご器量であれば、今後もあの方をいかようにも御せられたかと」
頼朝は、沈黙した。が、それは何を語るべきか探されているように思われる。
儂の答えに興味を持っていただけたようだ。
「のう小四郎。そなたが物心ついたときから、儂はそなたの近くに住まいしておった。そしてその住まいする屋から出ることはほとんどなかった。我が身は虜囚。自由に行動することが許される身ではなかったからな」
「はい」
「そこで儂は毎日、何をしておったか憶えておるか」
憶えている。この方は来る日も、来る日も。
「はい、よく憶えておりまする」
「ふむ、経を読んでおった。毎日、毎日。
儂は源氏の棟梁、義朝の嫡男。平治の乱で敗れ、虜囚となれば、斬首されて当然。それが生きながらえたのは、池禅尼殿の情け。何でも、早逝された若君に、儂の面影が似ていたからだそうだが。
そして禅尼殿にこう言われた。これからは一心に、いくさで亡くなられた父君や源氏の方々の菩提を弔いなされ、とな。生かされた以上、儂は経を読み続けるしかなかった」
「はい」
「経を読みながら儂は何を考えていたと思う」
ーこの問いは難しい。
「来るべき日、世にお出になる日のことを考えておられたかと」
「いや、そんなことはない。儂は一心に経を読んでおったぞ。これが儂に与えられた運命ならば、経をひたすら読んで、仏の教えのその奥義をつかむか、そう思っておった」
「しかし、御所様は、三善康信殿などから、京の情勢の報告を定期的に受けておられたかと」
「ああ、あれは康信が勝手にやっていたこと。まあ、今の世がどのように動いておるのかには、興味はあったからな」
「が、御所様は以仁王の令旨を受けられたら直ぐに平家追討の兵を起こされたではありませぬか。心に来たるべき日に対する備えなくば、あのように迅速には動けぬかと」
「逆に言えば、儂は三十四歳になるまで、自ら積極的に動くことはなかった」
「はあ」
「なあ小四郎よ。
ある経は、こういう。この世は空であると。形あるものに意味はないと。
ある経は、こういう。この世は全てのことが繋がっている。この世で起こることにはすべて、その原因があると。
そして、ある経は、こういう。全は一に等しい。この世の中の全てが仏であると。
小四郎。経などというものを読み込むとな。
この世で起こることは、ただの仮の姿。大した意味はない。この世で起こることにいちいち心を煩わせる必要などない。そう思うようになるぞ」
今日は特別な日だ。
義時はそう思った。
御所様が、儂にここまで、おのれのことを語られることは、もう無いだろう。
「心がそこに至れば、おのれの心の移ろうままに何をやっても構わないと思う。そして物事の本質が見えてくる。三十四になるまで、動かなかったのは、今、動いても結果がどうなるか、目に見えていたから。そして、以仁王の令旨を受けて動いたのは、周りが動いたから。その時の関東の情勢で、反平家の機運が高まっていたから。儂はその御輿に乗ってやっただけだ。関東武者たちが、何かを担ぎたいのなら担がせてやろう。
そう思っただけだ」
……
「話が長くなったな。元は九郎のことだったな。
儂は、今は、折角担がれたのなら、儂を担いだこの関東の武者たちの利益を一番に考えてやろう。そう思っている。そして、この鎌倉を、京の朝廷の権の及ばない、独立したまつりごとを行う地にしようと思っておる。
あの九郎をさえも御する器量の大きい鎌倉殿か。そんな美名などどうでもよい。
九郎は、儂に仕えるものとして、決して許されぬ、死に値することをした。
三種の神器の神剣を紛失したその責任者を許しては、朝廷に顔向けできぬ。この世で生きていく者にとっては、三種の神器には、それだけの重さがある。
儂の命に反して、朝廷から直接官位を受けては、同じことを命じている御家人たちに顔向けできぬ。
今、生まれている、この鎌倉のまつりごとのその根幹を揺るがすことはできぬ。
九郎は、死に値することをしたから滅ぼす。それだけのこと。
そして、梶原だけではない。九郎は、いくさにおいては独断専行。誰の言うことも聞かぬ。そういう声は、他の多くの御家人からも聞いた。いかに武略の天才であろうとも、いや天才であるからこそ、九郎は滅びなければならぬ。
常人が統べ、常人がおりなすこの世に、いくさの天才は必要ない」
……
「なあ、小四郎。 お主、儂と話す時は、何か研ぎ澄ませておるな。そう心掛けているのか」
「は……はい」
「そうか、それは殊勝な心掛けだ。だがな小四郎、お主と話すのは、結構疲れるぞ」
ー 儂は、まだまだ御所様に遠く及ばない。
義時は、そう思った。
「ところで小四郎」
「はい」
「お主、姫の前を好いておるのか」
義時は、思い人の名が突然でて、どぎまぎした。
「は、はい」
「いつも、どこか冷めた目で周りを見ているお主が、姫の前を見るときだけは、普通の男の目になっておる。まあ、あれだけの女だ。無理もない。小四郎、お主、正式な妻はまだおらなんだな」
「はい」
「儂はまだ姫の前に手を付けてはおらぬ」
ー これは、もしかして、いやそうだ。話の流れからして…
「家の子が恋い焦がれる女房を、無垢のまま、妻にと下げ渡す。そしてその家の子は感激して生涯の忠誠を誓う、か」
「はい、はい。御所様。小四郎は、嬉しゅうございます」
「小四郎、悪いが儂はそういう出来すぎた話は嫌いなのだ」
「はっ?」
「姫の前は、今宵、おなごになる。儂が伽を命じる。
小四郎、そうであってもお主は、姫の前を望むか」
義時は衝撃に打ちのめされた。
が、この問いにはどう答えればよいのか。
「は、はい。望みます」
「ふむ、その存念は」
義時は言葉を絞り出した。
「他に男を知らぬおなごに惚れられるより、知っているおなごに、それでも一番に惚れさせることこそ、より誉れなことかと」
「おお。ようできた答えだ。無理をしたな小四郎」
……
「儂よりも、姫の前に惚れさせてみせるか。なるほどな」
ーそうか、儂の言葉はそういう意味になるか。無礼なことを申し上げたことになる。迂闊だった。
「姫の前が、おなごとして開花するまで、しっかりと預からせてもらうぞ。
許せ、小四郎。儂も男なのでな」
連載開始する際、R15にすべきなのだろうか、迷った結果、まあいいだろう、と思ったのですが。
やっぱりR15 にしないとまずかったのかしらん。




