39 姫の前と義時 京への旅
建久九年(1198)秋。
頼朝は、居室に北条義時を呼んだ。
そして、次女、三幡の入内を実現させたい、と義時に告げた。
「誰を動かして、その実現を図るかだ。本来であれば、土御門通親だが、養女の在子様が国母(天皇の母)となられ、院号が宣下され女院となられた。中宮であられた任子様は既に内裏を去られているので、今は在子様が実質的には后妃の最高位。三幡の入内には難色を示されよう」
「はい、たしかに」
「小四郎。お主、誰を動かせばよいと思うかな」
義時は、名前を挙げた。
「なるほどな。お主もそう思うか。のう義時、お主、京に行ってくれ。そしてその方に会い、儂の意あるところを伝えてくれ。実現すれば、その時はむろん儂も上洛する。三幡と。それから政子、頼家もまた同行させることになろう」
「承知いたしました」
「のう、小四郎。姫の前に、二番目の子供ができたそうだな。男の子と聞いた。いつ生まれた」
「この七月でございます」
「そうか、ではそれから時も経っているし、もう遠出しても大丈夫であろう」
「はい…?」
「京への旅、姫の前も連れて行ってやれ。
夫婦睦まじく、仲良うやっておるようじゃの。
御家人どもも皆、羨ましがっておるぞ。
お主、どうやら儂以上に、姫の前に惚れさせたようじゃな」
「恐れ入りましてございます」
上洛した北条義時は、姫の前とともに六波羅の邸に到着し、九条兼実の館に使いを出した。
さほどの時もおかず返書があり、翌日当館に来られたし、との内容であった。
そして、奥方もご一緒にお連れいただきたい、との追記があった。
ー なぜ、先の関白殿下が、姫の前のことをご存知なのだ。
「おお、よう来られたな、義時殿」
九条兼実が、居室に入ってきて、一段高い上座に座った。その座に座っているとはいえ先の関白、本来であれば義時が直に言葉を交わすことの出来る相手ではない。
直答が許されるのは、北条義時が、正二位・征夷大将軍、源頼朝の名代だからである。
が、兼実は気軽だった。
有職故実に詳しく、礼に厳格な方と聞いていたが、何やら心境の変化があられたのだろうか。
しかも、一緒に入室され、兼実の傍らに座しておられる方は…
「こちらは先の中宮、任子様じゃ。いつも自分の部屋に篭っておられるのでな。今日は鎌倉からの珍客。何やら面白き話も聞かせていただけるかな、と同席していただきました」
義時と、姫の前は平伏する。
「そこでは、遠ござる。もそっと近う」
にじりよった。
「おお、こちらが奥方か。頼朝殿からの文に、世にも稀な美女なり、と記されておったが、これはこれは。
当に天女のような。のう任子様」
先の中宮、任子が、微笑みをたたえながら静かに頷いた。
任子と、姫の前は別室に退いた。
任子は、姫の前に親しくお言葉をかけられ、ふたりは静かに、しかし長い時間、語り合った。
義時は、兼実に頼朝の希望をあらためて伝えた。
仙洞御所である。
「おお、兼実。久しぶりじゃの。二年ぶりか」
「はい、上の主上。お久しゅうございます」
「頼朝の娘となあ。前にもそのような話があったが、その娘は亡くなったそうだな。今度は、その妹か。
卿よ。朕は気が進まんぞ。その三幡とやら、今、何歳じゃ」
「十三と聞いております」
「まだ子供ではないか」
「頼朝の娘の入内。上の主上におかれましては、鎌倉の勢威が京に及ぶことは許し難きこととお考えかと」
「然り」
「が、逆もまた真なり。頼朝は、今、五十二。上の主上は十九であらせられます。そして頼朝の次を担うは、今十七の頼家。頼朝の娘、京にありせばいかようにも計りうるかと」
後鳥羽は、しばし瞑目した。
見開かれた。
「あい分かった。頼朝の娘、三幡の入内取り進めよ。確かに頼朝の娘がどのようなおなごか、朕も興味があるぞ」
「は」
兼実はその場を辞そうとした。
「兼実、任子は息災か」
「は、おかげさまをもちまして」
「あれには気の毒なことをした。よしなにな」
「は、そのお言葉、任子様は喜びましょう」
兼実は、退室した。
ー よしなに、か。 上の主上は、会おうとは仰せられなかったな。
後鳥羽は思った。
ー 兼実はどこか変わったな。なんとのう洒脱味のようなものが出てきたのう。
ー 兼実を再び、朕がもとにおくかな。
そんな想念が後鳥羽の脳裏をよぎったが、次の瞬間、有職故実に外れた振る舞いを厳しく指摘していた兼実の姿を思い出した。
ー おお、こわ
先ほど、後鳥羽の脳裏に浮かんだ想念は直ぐに消えた。
頼朝の次女、三幡の、翌年女御としての入内が決定した。
上皇に嫁ぐ場合も入内でよいのか。女御という称号は使われるのか、は分かりませんでした。
このときの話、さすがに、まだ三歳の土御門天皇に入内するということではないだろう、とは思うのですが。
上皇がふだんどう呼ばれていたのかは分かりませんでした。
「上の主上」というのは、私の想像です。




