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北条義時  作者: 恵美乃海
34/70

34 幕間 本小説に関して

  作者が、この「北条義時」という小説を書くきっかけになったのは、来年、2022年のNHK大河ドラマが、三谷幸喜さん脚本の「鎌倉殿の13人」になる、ということを知ったからです。主役は北条義時。


  三谷幸喜さんは、織田信長が本能寺で倒れたあとの統治体制を決めることになる、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の清洲会議を映画にされたように、集団指導体制的な状況を描くのがお好きだそうです。


  その三谷幸喜さんの嗜好にも合致されていたのでしょうが、

 ー さすが三谷さん、その時代に目をつけられたか


 と思いました。


  北条義時については、私も興味を持っていた人物だったので

 ー では俺も北条義時について何か書いてみるかな

 と考えました。


  来年の大河ドラマになるのであればその興味で、ちょっと読んでみるかな、と思ってくださる方も結構おられるかもしれない、という気持ちもむろんありました。


  で、まず北条義時をテーマとした雑文を書き始め、本サイトに投稿し連載したのですが、私の悪い癖で、その文章、書き進める内にまるで違う方向に進んでしまい、北条義時については、最終章で、その概略を書いただけで終わってしまいました。


 ー 北条義時については、あらためて何か書かないといけないかなあ。


 と言う気持ちは残り、

 よせばいいのに、ある日ふとこの小説を書き始めてしまいました。


 作者は、この時代の概略は大雑把に掴んでいるつもりですが、小説にするとなると相当に知識不足です。


 ウィキペディアで、この時代の主要登場人物と主要な事件について読み、全体のイメージを掴んだら、あとはその史実を踏まえながらも、とらわれることなく、自由な発想で小説にしようと考えていました。


 作者は、小学生の頃から歴史が好きでしたが、今まで史実を踏まえた歴史小説を書いたことはありません。


 理由は面倒くさいからです。


 このサイトにも、過去

「太閤秀吉」と、

 その外伝で、石田三成を主人公格とした

「石田重家の恋」

 という作品を投稿しましたが、

 歴史的人物については、その名前とイメージを借りただけで、史実を無茶苦茶というレベルで無視した荒唐無稽な話でした。


  歴史小説は、もちろん史実どおりではなく、史実を踏まえて、あとは自由な発想で、登場人物のキャラクターを設定し、オリジナルのエピソードを付け加えていくものでしょう。

  歴史ドラマもまたしかり。


  2011年のNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」で、豊川悦司さん演じる織田信長と、上野樹里さん演じる江が、ふたりだけでかなりの会話を交わすシーンがありました。

  江は、西暦で言えば1573年生まれですので、このシーンが本能寺の変のあった年の出来事だったとしても、そのときの江は十歳。満年齢で言えば八歳か九歳です。


 ー 上野樹里さんは、今、小学校三年生の女の子を演じているんだよなあ。その年齢の女の子が信長とこんな高度な会話をしていたのか。


 作者はそんなことを考えながら、このシーンを観ていました。


「鎌倉殿の13人」も、今、次々とキャストが発表されています。

 源(木曽)義高は、市川染五郎さん(16歳)。

 大姫は、南沙良さん(18歳)。


 源(木曽)義高が十二歳(数え)で亡くなったとき、大姫は七歳(数え)でした。

 五歳年下である大姫に、市川染五郎さんよりも年上の方をキャスティングしたということは、

 源(木曽)義高が亡くなったときの大姫は、多分、子役の方が演じるのかな、とは思いますが、もし、それも南沙良さんが演じるのであれば、南沙良さんは、満年齢でいえば五歳か六歳。幼稚園年長組の女の子を演じられるということになります。


 作者はそのことを批判しているわけではありません。

 歴史小説、歴史ドラマにとって、史実はあくまでも参考資料であって、要はその資料からどれだけ面白い物語を創作できるかということが肝要で、年齢イメージの改変などは枝葉末節だと思うからです。


  (義高と大姫については、私個人としては、幼い時代に淡い恋心を抱いていた兄のような恋人のことが忘れられず、少女になっても大人になってもずっと慕い続けていた、という話が切なくて琴線にふれるので、年齢設定はそのままがいいなあ、とは思います)


 本小説について、最初は作者もそのつもりでした。

 史実にできるだけ忠実に、というのは、色々と調べなければいけないし、相当に面倒くさいからです。


 史実はあくまでも参考資料。

 途中で面倒になれば、場合によっては「太閤秀吉」なみに史実を無視した荒唐無稽な話にしてやろう、などとも思っていました。


 が、ウィキペディアを色々と読んでみると、当たり前の話ですが、それまで私の知らなかったことが満載でした。

 この人物とこの人物の間にはこんな関係があったのか、というその関係性を知るだけでも面白いです。

 主要な登場人物のその生涯をひとりひとり読んでみると、また色々な発見があります。


 それらを丁寧に解きほぐし、その関係、時代の進行をゆったりと描いていったら、それこそ山岡荘八の「徳川家康」や、吉川英治の「新平家物語」なみの長編小説になるでしょう。


 この時期は、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、道元(曹洞宗)、栄西(臨済宗)、日蓮(日蓮宗)など、新たな仏教の教えが次々と生まれた時期でもありますので、宗教分野、さらには芸術分野などにもテーマを広げたら相当に重厚な読み物になるでしょう。


 また、源頼朝、九条兼実、後白河法皇は、それぞれ構築すべき国家像を持っていたと言えるでしょう。

 そのせめぎ合いの中で、結果的にどういう国家が形成されたのか。それもまた中心となるテーマとなるでしょう。


 理想家で、権謀術数には乏しかった九条兼実がまず脱落。

彼は、理想主義者は現実主義者には勝てないという歴史が示す法則のひとつの例証となるでしょう。


 そして承久の乱は、後白河法皇の皇室親政の夢を引き継いだ後鳥羽上皇と、源頼朝が描いた国家像をより実質的に具体化しようとした北条義時。

 どちらの国家が実現するかの戦いであった、ということになるでしょう。


 ただ源頼朝が思い描いたのは、皇室の権威は侵すことなく上にいただき、そのもとで実質的には京の掣肘を受けることのない独立した武家政権であったかと思います。


 が北条義時は、それを越えたことを行ったと言えましょう。

 彼は日本の史上初めて上皇を処罰した臣下となりました。

 彼により朝廷は、政治的には鎌倉幕府に従属することとなったのです。



 政治、宗教、芸術。様々の分野で、その思い描く理想を目指した人物たちの群像劇。


 大きなテーマを持った長編歴史小説になるでしょう。


 が、作者には、その能力がないことはもちろん、その意欲もありません。

 例えば、葛西清重を検索すると、親鸞の教えに感動したあまり発心し、その弟子になった、などというとても興味を引く挿話が書かれているのですが、そこから想像を膨らませて何かエピソードを、というようなことは、今の作者には手に余ります。


 まして、政治、宗教、芸術の、さまざまな理想のせめぎ合い、それを描くとしたら、相当なレベルのハイテンションを長期に渡って保たなければいけません。

空恐ろしいです。


 この小説程度のものであっても、もし仮に北条義時の死までを描くとしたら、これまで書いたことに倍する分量の文章を書かねばならず、気が重い。

 早くやめたい。などと思っています。


 作者にとっては、この時代の大きな流れを説明するにはこのことは書かないといけないな、そう思う事項を必要最小限の分量で書くということだけで手一杯です。


 それにしてもウィキペディアというのは有り難いです。

 司馬遼太郎は、歴史小説を書くにあたっては、そのテーマに沿った参考文献を、古書店から、かなりの数の棚単位でごっそりと購入したそうです。

 大阪の各古書店は、それで司馬遼太郎が次にどんな歴史小説を書こうとしているのかが分かったのだそうです。


 司馬遼太郎がどれだけの文献を読んだのかについては、東大阪市にある司馬遼太郎記念館の「大書架」を一度見ていただけたら、と思います。

 現地に行かなくてもインターネットで検索すれば、その概要が分かります。


 司馬遼太郎は、膨大な文献を読み込んで、その中から、書こうとする小説の素材となるものを紡ぎだしました。


 現在は、ウィキペディアを読み込めばかなりのことが分かります。

 この小説の参考文献はほぼウィキペディアです。

 参考文献と書きましたが、ウィキペディアに書いてあることを少しだけ表現を変えた。ウィキペディアの記載内容をそのまま転載しているという箇所もかなり多いです。


 この小説は、ウィキペディアを読めば誰でも分かることを書いていますし、さらには誰でも書けることを書いているにすぎません。


 いえ、作者などより能力、意欲に優った方がこれをすれば、もっと面白い読み物に仕上げられるでしょう。


 小説と銘打つからには、登場人物をどんなキャラクター設定にするか。そしてどんなオリジナルのエピソードを織り込むかが眼目でしょう。

 この小説でもそれは既に実施してはいます。


 が、ここまで書き継いでみて感じるのは、作者の貧弱な想像力でオリジナルのエピソードを捻り出すより、ウィキペディアに書かれていることを、できるだけそのまま紹介したほうがよほど面白いではないか、ということです。

 その人物、事件について作者が何か思うことがあれば、都度織り込んでいけばよい。

 一応小説と銘打っているので、ここはウィキペディアそのまま。ここは作者独自の解釈と断ることもないであろう。

 ウィキペディアからの引用の書き誤り、解釈の間違い。重要なことの見落としなどは今後もあるでしょうが、それについては、

 ー 小説ですから

 の一言で済まそう、

 などということを、ずるく考えております。


 主人公の北条義時、ここまでほとんど何もしていません。

 主人公なのですから、三十歳を過ぎるまでの間に、何か、彼が優秀であったということを示すような具体的なエピソードのひとつやふたつ、考えなければいけなかったかな、とは思いますが、考えつきませんでした。


  姫の前については、ウィキペディアに以下のように記載されています。この記述からの想像で、本小説で設定したようなキャラクターにしました。

 

 ……

  大倉御所に勤める女官であった姫の前は『吾妻鏡』に「比企の籐内朝宗が息女、当時権威無双の女房なり。殊に御意に相叶う。容顔 (はなは)だ美麗なり」と記されており、頼朝のお気に入りでたいへん美しく、並ぶ者のない権勢の女房であった。義時は一年あまりの間姫の前に恋文を送っていたが、姫の前は一向になびかず、それを見かねた頼朝が義時に「絶対に離縁致しません」という起請文を書かせて二人の間を取り持ったという。

 ……


  源頼朝との関係については、古代における采女。皇室における女官のありかたからいって、大倉御所に務める女官であり、史書にも特筆されるほどの美貌で、頼朝に大いに気に入られていたというのであれば、そのような関係があったと考えるほうが自然なのかな、と判断した次第です。


 先日、「九条任子」「姫の前」という、原稿用紙換算で2〜3枚程度の、二編の短編を投稿しました。


 この「北条義時」を読んでくださっている方の中には、九条任子が、そして姫の前が、全体としてどういう人生を送ったのか、そういう予備知識なしで読まれている方もおられるかと思います。


 そういう方々にとっては、作者自身がネタバレになることをやった、ということになります。


 これについては、書いている内に、このふたりの女性に対して、何かとても愛着が湧いてしまったのです(葛西清重の妻、畠山重能の娘、もそうでした)。


 作者は、作中人物について大きな愛着が湧いてしまうと、その人物について書くのがつらくなってしまう、という性癖があります。


 で、その登場人物について、作者の考えていたエピソードの、そのエッセンスを先に書き出してしまって、少しでも気持ちを楽にしておきたい、という作者の個人的な事情でした。


 この小説、どこまで書き継いでいけるか作者は自信がないので、今後ともよろしくお願いします、とは書きにくいのですが、

 ここまでお読みいただいたことに御礼申し上げて、この


 ー また余計なことを書いてしまったのかな。


 とも感じる雑文の筆をおきます。







 






 

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