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北条義時  作者: 恵美乃海
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25 頼朝上洛

文治六年(1190)、正月三日、十一歳になった後鳥羽天皇が元服。加冠役(烏帽子親)は、摂政である九条兼実が務めた。

同月十一日、十八歳になった九条兼実の娘、任子(たえこ)が入内。同月十六日、女御となり。四月二日、任子は中宮となった。


後鳥羽天皇が今後年齢を重ね、后妃となる女人がその数を加えても、后妃の最高位は、中宮である任子である、ということがこのとき確約されたのである。


入内した任子が、初めて後鳥羽と、お互いを相見たとき、任子は、後鳥羽の顔に、微かな失望の色が浮かぶのを感じた。


ー ああやはり


父親である兼実にとっては、見目麗しき娘ではあっても、任子自身は、おのれは華やかさにかけた地味な顔立ちであると自覚していた。


入内してしばらくは、任子に対していささか冷淡であった後鳥羽であったが、ともに過ごす日を重ねるにつれ、次第に打ち解けてきた。

任子が、大人しい性質ではあっても心優しき女人であることが後鳥羽にもよく分かってきたからである。


後鳥羽は、激しさの勝った性格で時に我儘な物言いもあったが、任子は、後鳥羽が何を言っても、それを柔らかく受けとめ、後鳥羽の心が常に快活であるように務めたからである。


摂政である父、兼実は、参内のたびに、後鳥羽と、中宮となった任子の元に伺候する。

任子と兼実の間には、今はかつてのような父娘としての会話はない。兼実は我が娘に対し臣下の礼をとる。

が、その中で、兼実は皇子のご誕生が一日も早からんことを、という言をしばしば口に出した。


が、後鳥羽が任子に示す親しみは、姉に対するそれと同様であり、任子もまた、まだ十一歳である後鳥羽に対して弟に対するような親しみしか感じることはできなかった。


それに、後鳥羽はまだ大人になってはいなかった。



建久元年(1190)、十月三日、源頼朝は、鎌倉を発ち、

十一月七日、千余騎の御家人とともに入京。かつて平清盛が居した六波羅の地に新たに建てた邸に入った。

頼朝にとっては、十三歳、平治の乱の年以来、三十一年ぶりの京である。


そして同月九日、権大納言・右近衛大将拝賀のため、後白河法皇の元に参院。

北条義時は、畠山重忠、葛西清重らとともに、参院に供奉する七人の布衣の侍のひとりに選ばれていた。


頼朝は、京の都に四十日間滞在したが、この間、後白河法皇との面談は八度に及んだ。


後白河法皇と源頼朝。 ともに政治的思考の強い人物である。 帝家、公卿、宗教勢力、鎌倉の権の及ばぬ地方武士。この国に存するありとあらゆる力を駆使して、鎌倉政権の勢威を掣肘しようと図る後白河と、朝廷に互して、更には武威を持って、この国の実質的覇権を握らんとする頼朝。

この八度に及ぶ面談は、お互いの腹の探り合い。お互いの人物の図り合いであった。


九条兼実と源頼朝の余人を交えない二人だけの面談は、頼朝が最初に参院した十一月九日、その当日の夜、一度だけであった。


兼実は頼朝に、かつての頼朝の推挙に関して礼を述べ、

「政を淳素に反す」というおのれの政治的理念を語った。


今に残る、兼実が記した日記「玉葉」に拠ると、この時、兼実は頼朝に対して、概略以下のようなことを語っている。


ー 今、朝廷では法皇が天下の政を執り、主上はあたかも春宮(とうぐう/皇太子のこと)であるかのようです。

今は法皇を奉りますが、法皇が崩御なされたあとは、主上を奉ることは言うまでもありません。


あなたに対しては、一見粗略に扱っているかのように感じられるかもしれませんが、それは朝廷での風評を恐れるからであり、内実は、粗略の心など全くありません。


天下はきっと立て直すことができると思っております。

主上は幼少。あなたは、余算遥か(まだまだ長く生きられるでしょう)。私も運があれば、政を淳素に帰すことができるでしょう。

が、今は法皇に任せ奉るしかない、というのが現状です。


摂政、九条兼実の元を辞した頼朝は六波羅の居館にもどった。


「御所様、兼実卿は、いかがでございましたか」

大江広元である。


「うむ、後白河院亡き後の世を考えておられるな。

「政を淳素に反す」か、いささか絵空事ではと思わぬでもないが、我が鎌倉にとって害のあるお方ではない。

実効力のあるものではないが、互いに精神的支援をという約は図れたかと思う」


「おう、それはようございました。なんと言っても人臣の筆頭、摂政であらせられるお方。その方と精神的にせよ、反後白河の提携が結べたとなれば」


「ふむ、だがあのお方、その底の底は、権力というものを忌避されているのではないかな、そのように感じた。あの方おひとりを頼みにするは、いささか」


もし、そうでなければ、今夜の面談で、頼朝は、大姫の入内を望む意を兼実に打ち明け、その実現に向けて動かれることを頼むつもりでいた。

精神的なものにとどまらない、実効のある支援を、兼実に対し秘密裡に行うことを見返りとして。


兼実の娘が中宮である以上、大姫は入内しても中宮にはなれないが、それに次ぐ女御となればいずれは、と考えていたのだ。


が、やめた。大姫入内については、さらなる時期を見て、その方策をあらためて考えてみよう。


「では、兼実卿以外にも、朝廷内に、提携すべき方を見出す必要がありますな」


「ふむ」


大江広元は、その候補となる公卿の名前を挙げた。


「よかろう」


ー 大姫入内は、その公卿を通して図るか。さすれば、入内後さほどの時を経ずして大姫を中宮とするも可なり、だな。







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