2 姫の前
北条義時は、ふと、おのれの年齢を思った。
二十五歳である。
ー若い
そう思う。
だが、この世において、儂はまだ何も成していない。
そうも思う。
ーまだ若いから。何事かを成すのはこれからだ。
当然、そのようにおのれに言い聞かせる。
だが、平家一門を追い落とし、源氏一門で誰よりも早く、京の都を占拠し、傍若無人に振る舞った木曾義仲軍を宇治川の戦いで、撃ち破った時の源義経が、そのとき、二十五歳だったはずだ。
棟梁、頼朝の異母弟という血縁はあったが、その若さで一軍の将となって、赫々たる武勲を挙げた。
そして、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで、平家一門を滅亡せしめたのは、二十六歳、二十七歳。
この国の歴史においても並ぶ者なき、天才武将と賞賛を浴びた。
源義経は、義時より四歳年上なので、今、二十九歳。
今は、国中で、鎌倉からの追捕を受ける身となったが、その行方はいずことも知れない。
おそらくは、少年時代、その保護を受けた、奥州の覇者、藤原秀衡のもとに再び身をよせているのであろう、と予測はされているが、まだ確たる報はもたらされていない。
平家討滅戦では、義時は、本軍、大手の軍である、範頼の陣にあった。
故に、義経のいくさを間近に見たわけではない。
今、彼がいかなる身となろうとも、あの男が、いくさの場で見せた常人からはるかに隔絶した、その才能は紛れもない。
それに引き換え、我が身は、と振り返れば、常人よりはるかに隔絶した才能など何もない、と思わざるをえない。
ー天才とおのれを比べてどうなる。詮無いことだ。
義時は、自らを笑い、おのれの思いを振り捨てた。
今の我が身は、頼朝の身辺に仕え、その身を警護する十一人の「家の子」のひとりに過ぎない。
「家の子の専一」家の子の中では、義時は筆頭格ではある。
だがそれは、義時の姉、政子が頼朝の正室であり、今、六歳になる、頼朝の嫡男、万寿様の生母であるからというだけの理由であろう。
義時の父、時政は、嫡男の祖父。
義時は、嫡男の叔父なのだ。
北条家は、元々はさほど勢力があったわけでもない、伊豆の一豪族。
が、源氏の嫡流、頼朝が、北条家が勢威をもつ場所にたまたま流され、政子が、その行動力により、頼朝の正室の座を勝ち得たことを奇貨として、頼朝に仕える御家人の中でも、一目置かれる立場を得た。
この立場から、儂は、おのれの人生において、どこまで駆け上がることができるのだろうか。
義時が仕える主人、頼朝。いつも沈着冷静な御所様が、今日は何やらそわそわとされている。
日常的に、頼朝の身辺に仕える義時には、その理由が分かっていた。
御家人のひとり、比企朝宗の娘で、容顔はなはだ美麗なり。と謳われ、鎌倉一の美少女と評されている、姫の前が、この頼朝が座する大倉御所に、今日から女房として仕えるのだ。
女房は、主君の日常の世話をするのが主務であり、伽を務めるわけではない。
が、それだけ評判の美少女となれば、恐ろしいほどに嫉妬深い、あの姉の政子の目も忍んで、そう遠くもないうちに、主君、頼朝のお手つきとなるのであろう。
初めて見た姫の前は、義時の想像も遥かに超えた美しさだった。
鎌倉中の評判になるのも当然だ。
義時はそう思った。
義時はまだ、正式の妻を持たない。
が、子供は既にひとりいる。
金剛、今年、五歳になる男児。 利発で、聡明さを感じる息子であるが、嫡男ではない、庶長子である。
その母親は、姫の前同様、御所の女房。だが、頼朝の目にとまる程の器量ではなく、父親も、さしたる家のものではない。義時は、そう、つい手が出てしまったのだ。
ーこの娘が、儂の妻になってくれたら。
近いうちに、主君、頼朝のお手つきとなるのであろう娘に対して、義時はそんな途方もないことを夢想した。