17 幕間 奥州合戦を前にして
森様
レビューお書きいただきありがとうございます。
つい、連載を始めてしまったものの、もし北条義時の、その死までを書くとしたら、これからどれだけの分量を書かなければならないか、自分の力量も省みず、なんと無謀なことを始めてしまったのかと、暗澹たる気持ちになっておりました。
これは無理だな、と、読者の方に対する謝罪文も書いたところだったのですが、謝罪文を書き上げたら、気持ちも少し楽になりました。
またレビューをお書きいただいたというのは、私には、二度目。連載中の作品については初めてのことで、とても嬉しいです。
今は、気持ちが続くまでは、休み休みでも書き継いでいこうかな、という気持ちになっております。
あらためて感謝申し上げます。
さて、これから奥州合戦を書かなければなりません。
史実として語り伝えられることのどの部分を選び、どの部分を捨てるかを考え、どの程度のオリジナルの挿話を加えるか、構想をまとめたく、着手までしばらくお時間をいただくかと思います。
(と、言いながらあっさりすませてしまう、という可能性もありますが。
合戦シーンをある程度細かく書くということ、これまでやったことありませんし、苦手なのです。
色々調べるのが面倒なもので。
ドラマでは、合戦シーンは、撮影となると大量のエキストラが必要ですし、予算もたっぷりとかかるので、ナレーションであっさりすます。武将が座ったまま采配をふるう演技をするバックで、一部の兵士が戦っている映像を簡単に流す、そんなケースが多いですね)
さて、この奥州合戦、義経が生きていて、奥州軍の指揮を取っていたとしたらどうするか。
鎌倉の大手軍正面の防備は国衡に任せて、鎌倉軍が奥州藤原氏が統治する領域に入ってきたら、ほどもなく、地勢を勘案して、一万騎に満たない、おそらくは三千騎程度で、頼朝本陣を急襲したでしょう。
夜襲を選んだかもしれません。
頼朝に付き従う諸将も、義経にとっては、既知の武将ばかりですから、その急襲後、鎌倉がどういう動きになるかも予測して、急襲軍以外の伏兵を、その動きをさらに混乱せしめるよう波状的に襲わせ、その混乱の中、頼朝の首級をあげる。
とにかくこの戦いは、頼朝の首ひとつを取れば、奥州の勝利ですから、義経は、その一点に全精力を注ぎ込むでしょう。
が、もちろん現実の奥州合戦に、そんなことは起こりません。




