16 国衡の覚悟
藤原秀衡には、側室腹で長男の国衡、正室腹で次男で家督を嗣いだ泰衡以外にも四人の男子がいた。
六男の頼衡は、いくさの天才、英雄義経に憧れる熱烈な信奉者であった。
父、秀衡の遺命を守り、義経を総大将として鎌倉と戦うことを強硬に主張した。
義経追討の宣旨を受け入れ、義経を亡き者とすることを決心した泰衡は、義経の館を囲み自害に至らしめるその前にこの頼衡を殺害した。
国衡、泰衡に比べれば少なりとはいえ、秀衡の六男として、一定数の兵は所持している頼衡が、その兵を義経に委ね、直接的な行動を起こすことを恐れたからである。
そして、義経を亡き者としたにも関わらず、鎌倉は、奥州に攻めいるという報がかけめぐると、奥州は動揺した。
当主、泰衡の不明を責め立てる声は高くなり、三男、忠衡。五男、通衡は、この期に乗じて泰衡に取って代わろう反乱を計画したが、この動きを察知した泰衡によって、ふたりは謀殺された。
義経滅亡に前後して、秀衡の六人の男子の内、三人までが奥州合戦を前に相次いで亡くなり、国衡、泰衡以外にはただひとり、四男の高衡のみが残った。
国衡は、ここ数ヶ月の状況の変転に目が回りそうだった。義経のこと、弟たちのこと。側室腹の我が身。家督は一歳年下の泰衡が嗣いだとはいえ、自分は長兄。
もう少し何かやりようはあったのではないか。
悔む気持ちは大きい。
しかし、過ぎたことは、もうどうしようもない。
国衡は覚悟を決めた。
ほどもなく、鎌倉の大軍がこの奥州に攻めてくる。
奥州十七万騎をもって、いかにしてこれを防ぐか。
今はそのことのみを考えねばならぬ。
九郎義経のいくさにおける天才ぶり。その英雄としての声望。
国衡も、そのことは充分に認識していた。
しかし、六男の頼衡とは異なり、国衡は、自分より年下の男が、既に赫々たる大勝利を重ね、この国において末代まで語り伝えられるであろうことを成し遂げた、ということに関して、嫉妬する思いもあった。
もし、九郎君ありせば、対鎌倉戦において、儂は九郎君に手足のごとく使われただけ。
だが来る合戦においては、名目上は泰衡をたてるにしても、実質的な指揮はこの儂がとることになろう。そうせざるを得まい。
十六歳から二十二歳になるまでの六年間。
九郎義経は、この奥州の地で過ごした。
父、秀衡の庇護のもと、国衡、泰衡の兄弟は、義経を実の弟のように可愛がり、未来に夢を馳せながら、ともに日々を過ごした。
馬上で、屈託のない笑顔を浮かべ、はるけき奥州の大地を駆け巡る義経。
ともに馬を並べて、笑顔を返す、泰衡と儂。
ー 儂は失うべからざるものを失ってしまったのだろうか。
頼朝挙兵の報を聞き、秀衡の制止の声を振り払って、義経は、兄、頼朝のもとに馳せ参じた。
それからの源九郎義経の栄光の日々。
国衡は、おのれの脳裏に浮かび上がった悲愁の念を振り払った。
ー 儂もついに表舞台にたつ。かくなる上は、目覚ましき武勲をたて、この国の青史に我が名を刻まん。
鎌倉よ、ござんなれ。
国衡の心に烈々たる闘志が沸き起こった。
藤原秀衡は、家督を泰衡に譲る際、長男である国衡に自分の正室、すなわち泰衡の実母を娶らせています。
国衡と泰衡は、異母兄弟であると同時に義理の親子でもあるという複雑な関係にあります。
国衡の立場の強化を図ってやるという思いと合わせて、国衡と泰衡が対立してしまわないよう、親子関係にしてその融和を図るというような意図があったのかと思います。




