14 悩める政子
頼朝と話したあと、義時は珍しく、久しぶりに姉とゆっくり話してみるか、そんな気持ちになり、政子の居室を訪れた。
政子の話題は、案の条、姫の前のことだった。
この時代、身分の高い男性であれば、複数の女性と関係を持つのは、ごく当然のことであったが、政子はそれを許さない。
はしたなきほどに嫉妬深いおなご。
それが、周囲に定着した政子のイメージである。
また頼朝が、身分高き男であればそれが当然、と開き直ることもせず、浮気をするときは、政子の目をひどく恐れ、こそこそとするものだから、政子は増々増長する。
政子が、その嫉妬の量が、より大きくなるのは、身分高き女性、そして容貌美しき女性である。
絶世の美女と言われた亀の前に対する嫉妬は、凄まじかった。
北条家は、もともと大した家柄ではない。そして自分は、さして美しいおなごではない。
そのコンプレックスが起因となっているのは容易に想像できた。
そして、姫の前である。
自分より十五歳も若く、華やかで隔絶した美貌。
さらに、比企の家は、家督を継いだ比企能員が、頼朝の嫡男、万寿の乳母父となったように、鎌倉政権のその御家人の中でも家格は高い。
あの美しさを見れば、男はみな虜になってしまうだろう。ひと一倍女性好きの夫が夢中にならないわけがない。あるいは、正室の座をあの女に奪われてしまうのではないか。
姉、政子は、そんなことを、ぐちぐちと繰り返し訴えた。
その内容は、
ー たしかに、儂くらいしか訴える相手はいないであろうなあ。
義時はそう思った。
「そう言えば小四郎」
「はい」
「そなたも姫の前のことを思っておるのか。いつぞや、殿がそう申されていたぞ」
ー 御所様は、姉にそのことを明かしたのか。まあ、少しでも姉を宥めようと思えば、それは言われるだろうなあ。
「ええ、それはまあ」
「まったく、男というものは、美女となると、どいつもこいつも」
ー ううむ、ずいぶんと言葉が乱れているな
「でもまあ、そういうことなら小四郎、殿に頼んで姫の前を嫁にしなされ」
ひと区切りついたところで、義時は話題を変えた。
もうひとつ、姉がずっと気にかけていること。
「ところで、大姫は、ここのところご様子はいかがですか」
大姫、頼朝と政子の長子である。十二歳。
「相変わらずじゃ」
「部屋で塞ぎこんだままですか」
寿永二年(1183)、頼朝とは従兄弟にあたる源(木曾)義仲は、鎌倉に先駆けて、京に攻め上るにあたって、後顧の憂いを断つため、対立関係にあった頼朝と和睦を結んだ。
その証として、大姫との婚約を名目に、十一歳だった長男の義高を鎌倉に送り込んだ。要は人質である。そのとき大姫は六歳。
長子である大姫は、いずれは婿になると聞かされた義高を
「兄様、兄様」と慕い、義高も常に側にいて大姫のことを可愛がった。
が、翌年一月、義仲は、頼朝が派遣した、義経、範頼軍に敗死。
頼朝は、平治の乱のあと、清盛に助命されたおのれが、結局は平家一門を滅亡させようとしていることも考え合せ、将来の禍根を断つため、義高を斬ることを決めた。
そのことを漏れ聞いた大姫は、直ぐに義高にそのことを伝え、館から逃したが、結局、義高は追手に捕まり、斬死したのであった。
将来の夫を、父親に殺された大姫は、狂乱状態になった。
それから大姫は、心を閉してしまったのである。
「あの子には、本当に可哀想なことをした。それだけに、あの子には普通ではない幸せを与えてやりたい。さすれば、あの子の傷ついた心も癒えるであろう」
「普通ではない幸せとは」
「妾は、あの子を入内させたい、と思っておるのじゃ。後鳥羽の帝に」
ー 入内だと
姉は何と言う途方もないことを考えるのだ。地方の一豪族に過ぎない北条の娘が入内などと。
父である殿が、いかに清和天皇の末裔だとて、清和の帝は、三百年も前に、世にお在せられた方ではないか。
「そのこと、御所様には」
「申し上げた。殿は黙ってしまわれた」
ー 馬鹿なことをと、一笑にふされはしなかったのか。
義時は、はっとした。
清盛公の祖、桓武天皇は、清和の帝より、さらに前の時代に世にお在せられた方。
その清盛の娘が。
平清盛の長女、徳子。
高倉天皇に入内し、安徳天皇を産まれた。
そのことにより、清盛は、天皇の外祖父となった。
その徳子は、やはり壇ノ浦で入水するも、引きあげられた。
今は建礼門院を名乗り、京の郊外、寂光院で、安徳天皇と平家一門の菩提を弔われている。
御所様は、清盛と同じことをなされるおつもりなのだろうか。




