12 貴種、頼朝の正室
「小四郎」
「はっ」
「葛西の三郎が、来るべき奥州合戦で、侍大将として、葛西一族の兵の指揮を取らせていただきたい、と願い出てきた」
「お認めになられたのでしょうか」
「いや、我が帷幕におれと申した」
「さようですか」
「小四郎は、侍大将になって北条一族の兵を時政とともに率いて戦いたいとは思わぬのか」
「思いませぬ」
「ほう」
「御所様、私は御所様が伊豆で挙兵なさったときからお側でお仕えさせていただき数々の戦につき従ってまいりましたが、どうやら私には侍大将としての能力はさしてないようです」
「ふむ、確かに範頼からも軍奉行だった義盛からも、お主が目覚ましい働きをした、と聞いたことはないな」
「いくさの際、御所様のお側におれば、そこにはいくさ全体の情報が入ってまいります。時時刻刻と入ってくる情報に御所様が都度どうご判断なさるのか、学ばせていただきたく存じます」
「おう、おのれをよう知っておるな。しかし学ぶだけか」
「は、いえ」
「ふむ、お主、軍略についての書はよう読んでおるようだな。それなりに自信もあるのであろう。頼りにさせてもらうぞ。
儂が、三郎を、我が帷幕においておきたい、と思ったのも同じ理由だ。あやつも、いくさ全体を大きな目で判断できる男と思うのでな」
ー やはり、御所様は葛西三郎清重のことは高く評価している。あやつがおのれの妻女を殿に夜伽に差し出したというのは、誰知らぬ者とてない有名な話だが、殿が三郎を気に入っているのは、それだけが理由ではない。
「ところで小四郎」
「はい」
「姫の前とは、少しは仲良くなったのか」
どきっとする。
「いえ、たまにお目にかかる機会はあるのですが、親しくお話させていただいたことはありませぬ。私のことは眼中にはないのかと」
「やはりそうか。儂もそれとなく会話の中にお主の名を出してやったりはしているのだが特に反応はない」
義時は、しょんぼりした。
頼朝は、自分に似て、いつもどこか醒めた目で周囲を見ている義時が、姫の前のことになると、如実に表情が変わるのを面白く思った。
ー こやつも、こうして見ると可愛げもある男だ。やはりいずれは、姫の前を妻に与えてやろう。しかし、今はまだ…
「まあ、お主も少しはがんばれ。しかし姫の前は、今、十八か。ここに来て増々美しくなった」
「姫の前とは、その……」
「おお、この御所では無理だ。政子の目が怖いのでな。たまに実家の比企に宿下がりさせて、そこで、だな」
ー やはり、そうか。
「しかし、政子もどうやら感づいているようだ。姫の前を宿下がりさせようとすると、何かと言って、それをやめさせようとする」
ー 思えば、この方も女では随分と苦労されている。
最初は流人時代、我が北条とともに殿の監視役だった伊東祐親の娘、叔母の八重殿。
(作者注 既に亡くなっている、政子、義時の母は、伊東祐親の娘です。八重はその妹にあたります)
祐親殿が、大番役で京に赴かれて不在であった期間に、八重殿との間に出来た千鶴丸様は、京から戻りそのことを知って平家を憚り、激怒した祐親殿の手によって殺されてしもうた。
(作者注 八重は、その後、江間小四郎という名の男に嫁いだそうですが、義時とは別人です。
もしその江間小四郎が、義時本人だったとしたら、色々と想像が膨らみます。)
ー そのあとは、亀の前。
類い稀な美女で、姉上が万寿様ご出産のため北条に里帰りされている間に浮気を重ねられた。
亀の前は、それを知って嫉妬に狂った姉上に、 その居住する館を打ち壊され、追い出された。
だが、それにしても…。
「御所様は、なぜ我が姉をそのまま正室になされているのでしょうか」
……
「我が北条家は、元々は伊豆の一小豪族。さしたる家柄ではありませぬ。御所様ほど高貴なお血筋をお持ちの方の正室としては不釣り合いかと。都から高貴なお血筋の姫をお迎えになってご正室となさるのが、むしろ自然。
にもかかわらず、御所様は姉の産んだ万寿様を嫡男とされ、姉の正室としての立場を確固たるものとして定めて下さった。
なぜそこまで重く扱っていただけるのか。
とびきりの美女とでも言うのならともかく、我が姉ながらさほどの器量よし、とも思えませぬし」
「ほう、姉に対して手厳しいな。政子は糟糠の妻だ。色々と苦労をかけた。それに儂の運が開けたのは、政子を妻としてからだ。それまでは、儂は一生、経を読み続ける。それが儂の人生と、思い定めていたのだがな」
……
「前にも言ったが、儂は経ばかり読んできたせいか、この世は所詮、仮の姿と思っておる。何がどうなろうと大したことではない、そんな気持ちもある。ただ、今、自分が置かれている立場を考え、その立場で何を成せばこの現世において、自分の立場をさらに高めることができるか、そういうことでも考えて残りの生を送ってみよう。そう思っておるだけだ」
……
「そんな儂に比べて、政子のあの生命力はどうだ。おのれの欲望のままに、恐ろしく単純に生きておる。儂のように、この世を醒めた目でしか見ることができない男には、ああいう女は見ていてとても楽しいぞ」
ー ああ、そうだったのか。姉は愛されているのだ。源頼朝という、この鎌倉で頂点に立つ男に。
「それとな、小四郎」
「はい」
「あまり失礼なことを言うなよ。儂は政子の、その姿形も可愛く思っておる」
「は、はい。姉が喜びましょう」
「ふむ、ごくごくたまにだが、本人にもそう言っておるぞ」




