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北条義時  作者: 恵美乃海
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11 葛西清重

その軍議の夜、頼朝の警護番は、十一人いた家の子のひとり、葛西三郎清重であった。


秩父氏の一族であるが、下総国葛飾郡の西半をその所領としていたため、葛西の姓を名乗っていた。


清重は、この時、二十九歳。義時より二歳年上である。


頼朝が挙兵して間もない時期に、父、清元とともに参陣した。


同じ秩父一族の江戸重長は、石橋山の合戦の際は、敵である大庭景親の陣にあった。


その後、関東の武将は、情勢をみて、ほぼ、頼朝の側についたが、江戸重長は、さらに情勢を見極めようと、参陣しようとはしなかった。


業を煮やした頼朝は、葛西清重に、江戸重長を討ち、その所領を奪え、しかるのちは、お主にその所領を与えようと命じたが、清重は、


ー 同じ一族のものが領する所領を奪うことはできませぬ。どうか他の者にお命じください。


と、頼朝の命を拒否した。

抗命の言葉を聞き、激怒した頼朝は、清重が現に領する所領を取り上げるぞ、と脅したが、清重は


ー 士は高潔を尊ぶ。受けるべきなき命を受けるは義にあらず


と、肯んじなかった。


まだ弱冠二十歳の若武者の、この気概に満ちた言葉に、頼朝は命を撤回し、葛西清重のその器量のほどを認めたのである、


そして同じ治承四年(1180)、十月の富士川の合戦の翌十一月、頼朝は、まだ頼朝に服していなかった常陸の佐竹秀義を攻めたその帰途、葛西清重の館に立ち寄った。


主君が、わが館に立ち寄ったことを、類い稀なる光栄と感激した清重は、その感激の大きさを主君に伝えたいと、美女と評判の高いおのれの妻を、頼朝の夜伽に侍らせたのであった。


尚、この妻は、同じ秩父一族である畠山重忠の姉妹である。姉か妹かは不明だが、畠山重忠は、葛西清重より三歳年下。

この挿話のとき、葛西清重は二十歳なので、もし妹だったとしたら、現代の感覚では、かなり危ない話になるので、姉だったということにしておきます。


正室政子の激しい嫉妬に困惑しつつも、かなりのレベルで女性好きだった頼朝は、このうら若き美女の夜伽を、大いに喜んだ。


葛西清重は、頼朝のさらなるお気に入りとなり、程もなく、清重は、頼朝の家の子に加えられ、その身辺を警護することになったのであった。


さて、この話、現代の感覚で言えば、人倫に悖る行為であり、清重は妻を差し出してまで主君の歓心を得ようとした、上に阿ることの甚だしい、とんでもない男、ということになる。


しかし、この挿話と、資料や他の逸話から推察される清重のひととなりを合わせて考えてみると、そういうタイプの人物とは思えない。

 頼朝に気に入られたきっかけも、前記の主君を憚ることのない直言だった。


 以上から推察すると、おのれの感激、感謝、そしてもてなしの気持ちをこのような形で表すことは、その当時にあっては、特に珍しいことではなかったし、そのことで妻が悲嘆に暮れるというようなこともなかったのでは、と思う。


というのは、そのことにより、その妻が身も世もないほどに嘆き悲しんだのであれば、そのことも挿話の続きとして語り伝えられたのでは、と想像できるからだ。


 それが無いということは、その妻も、


ー それで愛する夫の覚えが目出度くなるのであれば、


と、喜び勇んで、とまでは思わなかっただろうが、

(多分…)、一肌脱いで、懸命に務めたので、頼朝も大いに満足したのではないだろうか。


男は、権力、財産を持てば、正妻以外にも多くの女性をその相手とし、一方、身分に関わらず、女性は貞淑を求められる。

歴史的には、性に関してはそんなイメージがあるが、それは近代、そして武家社会でも江戸時代あたりからのことなのではないかと思う。


たしか司馬遼太郎の「街道をゆく」で読んだ話だったと思うが、近代においても娘が年頃になると、親は、村の若者が夜這いをかけることが可能なようなところに寝させる。

そして、娘は色々といたした上で、一番気にいった男性を、おのれの夫と決める。その指名権は女性にあり、指名された男性は断ることはできない。

そういう慣習は地方ではごく普通にあった、ということだったかと思う。


平安の世も、鎌倉の世も、男性だけでなく、女性についても性については、もっとおおらかに考えられていたのではないだろうか。


この小説の、第四章「頼朝と義時」で、姫の前 について書いた。

 幕府女房というのが、どういう存在なのか、作者には分からなかったので、頼朝と姫の前の関係は、あくまでも作者の創作である。また、姫の前が、この時点で何歳だったのかも分からない(年齢については、いずれこの小説世界ではとりあえず設定してみようとは思っておりますが)。


 義時にとっては、かなり厳しい話になってしまった。

が、この時代の世相を考えると、そもそも、女房となって御所に入った時点では、姫の前は、もうそういうことは済ませていたし、それが普通だったのではないか。そんな気もします。


そうであるとするなら、頼朝はそのことに気付いたはず、ということになりますが、そこまで書くのはとりあえずやめておきます。


 ううむ、やっぱりこの小説、R15 にしないとまずかったのかしらん。


 挿話ばかりの章になってしまったが、この夜、清重は、頼朝に対し、奥州合戦においては、どうか私を、葛西一族を束ねる侍大将として、一軍を率いさせていただきたい、と熱望した。

これに対し、頼朝は、しばし黙考したあと


ー いや、お主は儂の警護役。帷幕において儂を守ってくれ。葛西勢は、お主の父、清元に率いてもらいたい。


と、答えた。


 そして、清重と同じ家の子である義時に対しても、同様の沙汰が下されたのであった。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 歴史は人なのですね。 未知の部分が多く、とても面白い。 今後が楽しみです。
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