勇者の衝動 少年の事情 1
今日はラウルに夕方から用事があったようで、店は午後3時には閉店した。
明日は店が休みとのことなので、ラウルから少し分けて貰った豆を自分で挽いてみようと、豆の入った紙袋を持って家路を急ぐ。
「ただいまー」と、
帰りに常連のおば様方に捕まり、増えた荷物を抱えリビングへと入って来たのだが、いつも玲音が寝転がってるソファーにその姿は見当たらない。
部屋でイヤホン付けてゲームでもしてるのだろうと、荷物を置き一度部屋へと戻ると、
掃除を兼ねて先にシャワーでも浴びようと、今度はバスルームへと向かう。
旅を続けている間は野宿なども多く、気軽にシャワーなど浴びれる環境ではなかった。
なので浴室がある環境では積極的にそれを享受している。
そして、ここには向こうでは見たことも無いようなシャンプー、リンス、コンディショナー等、ラインハルトにとってはどうしてそんなに種類がいるのだ? と思うようなアメニティが置かれていて、綺麗にパッケージングされたそれらは見ていても何となく楽しい。
だが、鼻歌まじりにバスルームの扉を開けたラインハルトの先、脱衣場には素っ裸の先客が居て。
バスタオルを頭から被りゴシゴシと髪を拭いていた先客、玲音は、
「ん? 誰、メル?」
と声を出しこちらを向く。
途端に目を見張り、驚き立ちすくむラインハルト。
それを見て、
「あれ? ライ早かったんだ?
・・・・・あ、」
しまった・・・。と、
ラインハルトが自分に向ける視線の先に気付き、困ったような顔をすると、玲音は何か言おうと口を開いたが、
ラインハルトは言葉を聞く前に急いでその扉を閉めた。
買い物袋を両手に提げて玄関から入って来たメルヒオールは、バスルームの扉の前に蹲るラインハルトを見て、怪訝な顔をする。
「おい、お前、何やってんだ? そんなとこで?」
廊下に上がりながらそう言うと、弾かれたように顔を上げ、
「ど、どうしよう!? 俺・・・っ!!」と、
何故か赤い顔でこちらにすがり付くラインハルト。
「何だ・・・? お前」
メルヒオールの顔が更に怪訝な表情となったところで、バスルームの扉が開き玲音が顔を出した。
濡れた髪のままの少年を見て、
「玲音様、ちゃんと髪を乾かさないと!」
そう言い少年の元に近寄ろうとしたが、足元が動かない。
視線を落とせば、人の足にしがみついて真っ赤な顔で目を瞑っているラインハルトがいて、
何なんですか、これ?と玲音を見れば、
「あー・・・」と面倒くさそうにため息をついた後、
「荷物預かるから、それリビングまで引きずっていって」
メルヒオールの足元にしがみついたラインハルトを指差し言った。
引きずられリビングへと戻ってきたラインハルトは、ソファーの端へと座った。
荷物を受け取った玲音はそのままキッチンへと向かい冷蔵庫に食材を詰め込んでいる。
部屋で着替えて着たメルヒオールは、髪を器用に頭上で一つに束ねると、ピンクのエプロンを纏い冷蔵庫の前の玲音と交代した。
代わって、こちらへとやって来た玲音はソファーの定位置へと座わると、
向かいで縮こまり、うつ向いたままのラインハルトを見て、
「あのさー、」と口を開いたが、
ラインハルトは咄嗟にそれを遮ると、
「すまない! 本当にすまない!! ちゃんと責任取るから!」
ソファーから降り両膝をつくと土下座の格好で謝る。
その言動に驚いたように振り替えるメルヒオールと言葉を失う玲音。
先ほど見た玲音の裸、少年だと思っていた彼の体には、男性ならあるべきモノがそこには何も無かった。
ということは必然的に玲音は、
「──急に何言ってんだ?」
大丈夫か?と不審げに除き込む少年、いや、少女に、
「大丈夫! 俺、恋人とかいないから!」
顔を赤らめて言うラインハルト。その言葉に、ますます不審な表情を浮かべると、近寄って来たメルヒオールを見上げる。
「何なのこれ?」
真っ赤になっているラインハルトを指差して、そう聞いてくる玲音に、「何があったんですか?」と、男が逆に尋ねる。
「いや、風呂あがりに鉢合わせてさ。多分、勘違いしてるだろうから、説明しようと思ったんだけど・・・」
玲音が話す説明に、先ほどの光景が再び浮かび、途中から両手で顔を覆って耳まで赤くなったラインハルトに、
状況を的確に把握したメルヒオールが、ラインハルトに残念な眼差しを向け小さく呟く。
「拗らせ童貞男かよ・・・」
「──ん?」
ボソッと呟いたメルヒオールの言葉を聞き返す玲音に、何でもないと首を振ると、ラインハルトの横に男が身を屈める。
「おい、童貞勇者」
何だかひどい呼ばれようだが、今のラインハルトには気にならず、両手の隙間から黒い瞳の男を見る。
「お前、勘違いしてるけど、玲音様は別に女ではないぞ」
「そんなはずないだろう! ・・・だって、ほら・・・」
ガバッと手を外してメルヒオールを見たが、最後は口に出来ずにモジモジとしてしまう。
・・・そうだ、その通りだ。
男の言う通りラインハルトには恋愛経験などない。10年間ただ戦いの中に身を置いてきたのだ。
それは魔物であったり、人間同士であったり・・・、
仲間や敵に女性は居た、言い寄ってくる女性も居た、けどもそんなことを考えてる暇など無かった。それに・・・、
魔王ヒューブレリオン、あの絶対的な美しさを持つ男。
一度でも目にしてしまえば、どんなに綺麗だと言われる人間でも身劣りしてしまうは仕方がない。
断る理由を忙しさと、そのせいだと言えば、酷い!と、皆去ってゆく。
酷いと言われようがどうしようもないことで。
ラインハルトは目の前の玲音を眺める。
あの男のような絶対的な美しさはないが、その面差しはやはり似ていて、
何故か頬を赤らめてしまったラインハルトに、深いため息が降りそそぐ。
ため息の主、玲音は、ラインハルトに、
「まぁ、いい加減座りなよ」と言うと、
立ち上がっていたメルヒオールにも座るように促す。
流石に落ち着いてきたラインハルトは言われたように再びソファーに腰を落ち着けた。
それを眺めて玲音は言う。
「メルが言ったように、俺は女じゃないよ」
その言葉に口を開こうとしたラインハルトを手で遮ると、
「最後まで聞けって・・・、
──それと、俺は男でもない」
「───へ?」
ラインハルトの口から間抜けな声が漏れる。
「えっ?、でも、え・・・?」
やたらキッパリと言い切った玲音の言葉に、先ほどの自分の目で見たことは?と、首を傾げたラインハルトは、
はっ!?と、思い付く。
もしや、魔族は見た目だけ男女があるだけで、精霊や魔物達と同じで実際は性別がないのでは!?
そんなことを思い付き、玲音の横に座る嫌みな程男前なメルヒオールを見た。
男はそんなラインハルトの視線に気づいたのか、馬鹿にするような眼差しを向けると、
「──言っとくけど、俺は童貞ではない」
お前と違って。と、付け足すことも忘れない。
だよねー。と、返り討ちに遭い肩を落としたラインハルトに、
「何だかわからないけど、気にすんな」と、
とりあえず慰めの言葉を掛けた玲音は、続けて、
「そもそもさー、俺の存在事態が不思議だと思わね?」
どういうことだろう?と、顔を上げれば、
「だってあの魔王様に子供がいるってことだからな」
・・・・そうだ。
孫である玲音が言うように、あの魔王に子供が居るのだ。本人も両親の話をしていたのだから確かに居るのだろう。
「ただその子供である親父は、容姿と力は受け継いだけど、ただの人間なんだよ。ばあちゃんがそうだったみたいだから」
俺は有ったことないから知らないけど。と、話す玲音。
何だか色々衝撃的なことを聞いてる気がする。
容姿と力を受け継いだという父親も気になるのだが、・・・ばあちゃん。
当たり前だが、子供がいる以上母親の存在があるわけで、ただそれが人間だと。
魔王と人間が・・・?
頭がくらくらするような話なのだが、この話の流れが結局、どう玲音の体の事と繋がるというのか?
そんな玲音が最後に告げたのは、
「そんで、その親父の容姿に惚れて一緒になったのが、俺の母親である──、闇の精霊エデルトルートだよ」
さらっと言ったその言葉に、
「─────は?」
ラインハルトの口から漏れたのは、やはり間抜けな一声だった。