その果ての始まり 7
そう思ったラインハルトの考えはその通りで。マンションが見える角を曲がったところ、待っていたのは、
猫化の猛獣・・・もとい、丸々としたにゃんこの群れ。
いつもなら猫達はラインハルトに何かを感じるのか、近寄ってすら来ないのに、今は足元にすりより、ニャーニャーと鳴いている。
「────くぅ!!
・・・まかさ、これもレオディアスのっ!?」
沸き上がるもふりたい衝動を堪えるラインハルトに、そうよ。と、一際美しい黒猫から声がする。
「・・・ユキちゃん?」
ラインハルトの呼び掛けに、黒猫はニャーと返事をするように一鳴きした後、トントンと身軽にジャンプして胸元へと飛び込んできた。
思わず手を差し伸べれば、ラインハルトの腕の中にちょこんと納まった。その衝撃──。
( ヤバい・・・、このもふもふ感っっ!!)
一瞬、何もかも忘れてその黒いビロードのような手触りに溺れそうになったラインハルトだが、
不意に、腕の中の温もりが奪われる。
「何やってんだ? お前達」
ぷらんと黒猫の首根っこを摘まんで持ち上げているのはメルヒオール。
「何で玲音様のとこじゃなくこんなとこにいるんだ?」
「だって!」「なんで!?」
ラインハルトと黒猫が同時に喋る。
何だ?と、顔をしたメルヒオールに先に勢い良く話し出したのは黒猫ユキちゃん。
「メルヒオール様!? 勇者を玲音のとこに行かせないようにって・・・っ! 」
「はぁ? ──ああ・・・・レオディアスか」
ため息と共に漏れるメルヒオールの言葉に、やはりと。
「──まぁ、いい。 早く行け」と、
ぷらんぷらんとユキちゃんをぶら下げたまま言うメルヒオールに、
「俺に、このにゃんこ達を蹴散らせっていうのか!?」
そんなこと出来る訳ないだろう!
足元にたむろう猫達の為に、ラインハルトが真剣な表情で抗議の声を上げれば、メルヒオールが心底面倒くさそうな顔で、
「・・・ユキ」と低く声を上げ、ビクッと丸まった黒猫の一鳴きで、その集会は解散した。
ものすごく、ものすごく残念だけど、仕方ない。
また走り出したラインハルトだけども、
店の常連客に捕まる(愚痴を聞く)、
オートロックの番号が違う(顔見知りの管理人に頼み込む)、
エレベーターの突然の故障(非常階段)を経て、やっと見慣れた玄関ドアの前まで来れた。
息を整え心を落ち着けて、玄関のチャイムを鳴らせば、
その扉はいとも簡単に開かれた。
「──ああ、やっと来たね、ラインハルト」
笑顔のエデルトルートの声と共に。
「お帰り、ヒューブレリオンとも会えたみたいだね」
招き入れながら言うエデルトルートの声はいつもと同じで、
「・・・玲音は?」
何となく訝しがりながらも尋ねれば、含みのある笑みを浮かべながら、リビングの先、玲音の部屋へと続く廊下をエデルトルートは指す。
廊下の玲音の部屋の前、大きな体で困ったように立ち尽くしているのはレオディアス。
「玲音、いい加減出てきてくれないか?」
「い、や、だ! 絶対っ!!」
「ずっとあの攻防戦を繰り広げてるよ」
エデルトルートはお手上げという動作で、呆れたように笑った。そして、
「レオディアス、お前こそ本当にいい加減にしないと」
そう言った後に、
「──玲音、ラインハルトが来たよ」と続けた。
その声に勢い良く扉が開く。
飛び出して来た玲音。だけど、その身をレオディアスが捕まえる。
「──!! 離せよ!?」
もがく玲音の抵抗はレオディアスには意味をなさない。手を差し出そうとしたラインハルトを止めて、
「レオディアス!」
流石にエデルトルートが声を上げれば、
「エデルにでもここは引けない」と、レオディアスが首を振る。
微妙な膠着状態で向かい合う四人。その背後から、
「何・・・やってんだ?」
不思議そうなメルヒオールの声がする。見れば、リビングへと入って来ていて、その後ろにはラウルの姿も。
そして、最後にゆっくりと入ってきたのは、
「・・・ヒューブレリオン・・?」
黒いシャツに黒いジーパンという、こちらの服装を纏った美貌の青年。
「入れ違いでやって来たんだよ」
君に声掛けたんだけどね。と、ラウルがラインハルトに言う。
ヒューブレリオンがこの部屋にいることにすごく違和感があるが、気にするようすもなく優雅な足取りでレオディアスと玲音の元へと向かい、息子である男へと告げる。
「押し付けがましい愛情は、当人にとってはただの苦痛だ」と。
「──はっ! 貴方がそれを言うんですか? 母を助けることも出来ずに、息子である僕を顧みることもなく、愛など持ち得ない貴方が!」
珍しく強い感情を込めて言うレオディアス。
その言葉の一部にラウルとエデルトルートが少し悲しげな顔をする。
でも、ラインハルトは知っている。ヒューブレリオンはエルヴィラを、エデルガルドをきちんと想っていたことを。この目で、ちゃんと自分は見たのだ。
それに、レオディアスの言うことはまるで───、
「構って欲しかったのか・・・親父?」
レオディアスの腕の中の玲音が言う。
途端に、時を止めたように固まったレオディアス。
だが、絞り出すように、
「・・・はっ、玲音、何を言って・・・」
そこで言葉は止まり、暫く黙った後に俯き深くため息を吐いた。
──止めた。と、
「分かった。僕の負け、ほら行っていいよ、玲音」
レオディアスが玲音を捕らえていた腕を外して言う。
「・・・親父?」
解散されても、その場でレオディアスを見上げている玲音の頭にポンと手を乗せて、
「・・・玲音がどう思っていようと、僕は玲音を愛しているよ」
他人なら勘違いされそうな言葉と、優しい微笑みで言う。
「レオディアス・・・」と、
エデルトルートの呼び掛けに、男の視線は逸れて、複雑な表情の玲音はラインハルトの元へと来る。
レオディアスとエデルトルートは何か話をしていて、それをまだ眺めたままの玲音に、
「──玲音」と、名を呼んで、
ラインハルトは手を差し伸べるその頬に。
こちらに意識を戻した玲音が、ラインハルトを見上げて、
「・・・ごめん。先に帰っちゃって」
すこし眉根を寄せて謝る玲音。やっと視線があって、込み上げるものを堪えて、ラインハルトは笑う。
「玲音のせいじゃないだろ」
「だね。親父のせい」と、玲音は再び両親に視線を向ける。
戸惑ったようなエデルトルートの姿。その彼女にレオディアスが何か言った後に、こちらを見た。正確には、ラインハルトの隣にいるヒューブレリオンを。
目を細め剣呑な雰囲気でこちらに来るレオディアスを、ヒューブレリオンは涼しげな様子で眺めて、
目の前に来た男は口を開く。
「僕らも、そっちで暮らす。どうせどっかに引っ越すつもりだったし」と。
「・・・僕ら?」
横から尋ねる玲音の声に、レオディアスは視線を和らげ、そうだよと。
「玲音も、エデルも。女神が眠りについたのなら大丈夫だろう。だから一緒にいこう」
「え、マジ!」と、
玲音は喜んで、ヒューブレリオンを見る。
「じいちゃんのお城で住むの?」
「好きにしたらいい」
涼しげな表情のままのヒューブレリオンに、レオディアスが不機嫌に言う。
「別に貴方の許可はいらないよ、勝手にするし」
玲音がこちらに来ることになりそうなのと、
三者三様の表情で話す、流石血縁、似通った容姿の三人を見て、ホクホク顔のラインハルト。
うん、あれだな。どこまでも、自分はこの顔に弱いんだな。
そんなことを思っていたら、玲音が外れてこちらを見た。
「そーいえば、ライ。俺に言いたいことって何なの?」
唐突に降られて、一瞬固まったラインハルト。
「──ほう」と、エデルトルートの面白がるような声がする。
「何だい? 私も気になるな」
いや、話を振らないで欲しい。
メルヒオールは、まだ言ってたなかったのかという顔をして、ラウルは、温かく見守る眼差し。
「いや・・・、流石にここでは・・・」
「前も言ってたよね? 何か駄目なの?」
「いや、出来れば、二人の時に・・・」
「──いっとくけど。
二人っきりとか許した訳ではないならね」
いつの間にか背後に立っていたレオディアスがにこやかな笑顔で言う。
何となく助けを求めるようにヒューブレリオンを見れば、
どこで覚えたのか、グッと親指を立ててこちらを見た。
違う。そうじゃない。
──いや、そんな姿でさえ凄く決まってしまうのがあれなのだが。
「・・・ライ?」
見上げる玲音に、ラインハルトは決意を込めて向き直り、
「玲音。俺は君が───・・・・」
「やあ、久しぶり」
ラウルがカウンターの中から声を掛ける。
「ああ、久しぶり。・・・やっぱり、いい匂いだな。 エレオノーラも気に入ったみたい。また豆貰えるかな?」
ラインハルトはそう言ってカウンターに腰をかける。
カミラは今は居ないようだ。
あれから1ヶ月経った。
玲音達が向こうに移るにはもう暫く時間がかかるようで。主にレオディアスの仕事関係で。
そして、ラウルはこちらに留まるらしく、玲音の家を引き払うに当たって、ヒューブレリオンがこの店に向こうと繋がる扉を付けてくれたのだ。
「今日はどうしたんだい?」
豆を引きながらラウルが尋ねる。
フフン。と満足げな笑いを漏らして、
「今日は向こうでデートだよ」と、ラインハルトはラウルが出してくれた珈琲を啜る。
あれから色々あった、そう色々。主にレオディアスと。
だけどそれは割愛する。
おや?という顔をするラウルに、
「レオディアスは仕事の詰めでエデルトルートに監禁されてる」と、
にこやかに笑ったラインハルトの背後で、店の扉がカランコロンと開く。
「ライ、ごめん! 遅くなった」
急いで駆け込んできた玲音。
少し髪も伸び、エデルトルート曰く良い方向に進んでいる。というように、若干少女っぽくなった(?)玲音だったけれど、デートというにはその格好は・・・?
「玲音えらく・・・動き易そうな格好だね?」
控えめに尋ねるラインハルトに、
「え? だって、ダンジョンに行くんでしょ?」
凄く楽しそうに言う玲音。そんな姿を見て何も言える訳もなく。
苦笑を浮かべラインハルトは手を差し出す。
愛しいその存在へと。
手を取り仲良く扉をくぐっていく二人の姿を眺めるラウルは、
その片方、ラインハルトの肩から光る影が伸びるのを見る。それは誰かと似た姿をした。
彼女は真摯な眼差しでこちらを見て、微かに口を開き言葉を紡ぐ。
その声は直ぐ耳元に響き、
暫し沈黙を落としたラウルは小さく笑みを刻んで。
「幸せに。・・・ただ、幸せに」
二人には届かないだろうけれど、
ラウルは心に浮かんだその思いを、静かにそっと囁いた。
《完》
最後は駆け足になった感じですが、一応は大団円で。
読んで戴いた方々には、ありがとうございました。




