異世界へようこそ 4
次の日に出掛けると言ってはいたが、その後にも続いた魔法としか思えない現象に、ラインハルトがあまりにも驚き過ぎた為、
その日は『この世界に慣れまショー』と題が振られた映像を見させられた。
その映像が映っているのは、玲音が持っていた薄い板状のもの、タブレットというらしい。
動画だと少年は言った、自分で編集してタイトルを入れてまでラインハルトに見せてきた映像に、
「すまないが、これは文字なのか?」
その題を、何となく文字ではないかということは分かる、だけど読むことは出来ない。
そう尋ねたラインハルトに、
「え? 俺の言ってることは分かるんだよね、会話してんだから」
驚いた玲音はそう言うと、
「どういうこと? マスターの時もそうだったのか?」
相変わらずラインハルトとは距離を置いた場所に座るメルヒオールに尋ねる。
「あいつは喋ることも出来なかったはずですよ」
どうでも良さそうに答えた男の回答に、玲音は、んー?と唸ったが、
「まあ、文字が分かんなくても言葉が分かればいっか」と、止めていた動画を再開させた。
「とりあえずこれ見といてよ、心の準備も必要だろうし」
心の準備って何なのだとは思ったが、横に座りタブレットを指差し説明してくれる少年に、折角なので最後まで付き合おうと、ラインハルトは流れる動画に集中した。
結果、それはとても役に立った。
目的の場所につく半ばにしてラインハルトの心は既に折れそうで。だが、それでも持ちこたえているのは心の準備があったからだと思う。
それがどういう物なのか? どう動くのか? それを事前に知っていること。
それは全く知らないで挑むのとは全然違い、でも知っているのと体に直接感じるのとは、これもまた別で。
まず始めに思い知ったのは、玄関から出で直ぐ、地上に降りる為のエレベーターというモノに乗った時。
これは死んだと思った。
一瞬の浮遊感、そして安定はしているが確実に落ちていく感覚。
叫びそうになったが、横にいる玲音は特に慌てた様子もなく。そう言えば、見せてもらった動画にこんなモノが映っていたなと。
今は、長方形の鉄の箱に車輪がついたバスと言われるモノに乗り込んで、玲音と共に揺られている。
メルヒオールは今日はいない。玲音に言わせれば、あいつが一緒だとちょっと面倒くさいらしい。
バスに揺られながら、折れそうな心を癒す為に流れる景色に顔を向けるが、不思議なモノ達がただ目の前を過ぎて行くだけで、
余計に疲れて目を閉じれば、「大丈夫か?」と隣の席から声がかかる。
目を開けば、目深に被った帽子の下から確認するように見上げる玲音の大きな黒い瞳。
そう一番衝撃を受けたのは、このバスにいる、いや、このバスだけでなく、
目にした全ての人がほぼ黒い髪、黒い瞳の持ち主で、
時たま違う人が居れば、あれは髪を染めて、カラコンを入れて要るのだと少年が言った。
そして、総じて魔族ではないのだと。
目的地である、大型複合施設と呼ばれる巨大な建物に着いたが、
ラインハルトが知っているリテニア大陸の首都、花の都ブルーメシュタットにあるヴァイスフリューゲル城よりも更に大きく、祭りでもあるのかと思うほど人が溢れている。
春休みだから平日でも人が多いのだと、玲音は言う。
ここにいる者、大人から子供に至るまで全てが魔族の色彩を持っていて、でも、魔族ではなく。
そして、彼らが普通にこなしている行動全てが、ラインハルトには魔法にしか見えない。
呆然としたままのラインハルトを眺め、玲音が言った。
「これがカルチャーショックってやつかー」
そんな玲音の言葉にも反応できないラインハルトの腕を掴むと、
「あ、そんなことしてる場合じゃねーや」
そう言いながら、少年に引っ張られるままに着いた先は衣料品店。
そこは向こうよりカラフルな色が多いが、店に並ぶ商品にそんなに違いは無さそうで。
やっと落ち着いたラインハルトは、これ持って!と渡されたカゴを持つと、玲音はそこにポンポンと服を放り込んでゆく。
そして、一旦手を止めラインハルトを見た。
「メルと体格も身長もそんなに変わらないよな?」
今、ラインハルトはメルヒオールの服を着ている。
自分自身を見下ろせば、ジーンズというズボンと被るだけの簡単な服、長さに別に違和感はない。強いていうなら、全体に少し緩いか?
それが筋肉量の差のような気がして少し腹立たしいが、
「そうだな。別に違和感はない」
「うーん。どうしよ? ズボンだけでも試着した方がいいかなー」
カゴを持ったまま二人で会話を交わしていると、「試着なさいますか?」と声がかかる。
それは女性の店員で、茶色い髪に茶色い瞳の。
玲音は日本人である限り実際は黒髪黒瞳だと言ったが、やはり見た目というのは大事なんだなと、
「いや、大丈夫だ」
こころ穏やかに笑みを浮かべ断わりの言葉を口にすると、何故か逆にカゴをガシッと掴まれた。
「試着なさいましょう!」
頬を赤らめ、潤んだような目でこちらを見て言う店員に、笑顔のまま身を引きつつ再び断るが、なかなかカゴを離してはくれない。
ぐいぐいとカゴを押し付けてくる女性に困ったように玲音を見れば、
少年はあー・・・。と声をあげ、「そっかー、そうだよな」と呟くと、目深に被っていた帽子を取り、ラインハルトでさえ一瞬見惚れるほどの笑みを浮かべ、
「お姉さん、試着はいいんで会計お願い出来ますか?」と、
店員とラインハルトの間に割り込みながら告げた。
魔王である男まではいかないが、その孫である彼も人の中においては圧倒的に美しい少年で。
案の定、先ほどまでこちらにカゴを押し付けていた女性店員は、ポーとした顔のまま何も言葉を発することもなく、レジへと促す玲音と共に向こうへと消え、周りを見れば、その道すがらの全員が店員と同じような顔で彼を見ていた。
会計を済ませ、こちらへと戻ってきた玲音は、先ほどのキラキラした笑顔はすっかり消して、憮然とした表情を、また目深に被った帽子で隠すと、ラインハルトを促しさっさとその場を後にする。
「マジめんどくせぇ」
店から少し離れると歩調を緩め、少年がボソッと呟いた。
「すまないな、俺のせいで・・・」
自分が店員に捕まったこと言っているのだろうと謝れば、玲音は不思議そうな顔で、「は? 何言ってんの?」と言った後、
「あー、違う違う。別にあんたのことじゃなくて・・・、
いや、あんたのことか」
矛盾する言葉を口にした少年は、苦笑いを浮かべると、通路に並ぶ椅子のひとつに腰掛けた。
「メルがいないから安心してたけど、あんたも充分イケメンなんだよね。しかも金髪碧眼ときた。マジ理想の王子様ドンピシャじゃん」
白馬に乗って出てきそう。とこちらを見上げながら玲音が笑う。
言ってることは何だかよく分からないが、玲音が笑っているので、まあ、いいか。と。
それよりも、もうひとつラインハルトが気になっていたこと、
「お金の件だが、向こうに戻れた後でも構わないだろうか?」
どっちにしろ、そうでないとどうすることも出来ないのだが、少年の隣の椅子に座りながらそう言えば、
「あ、いいいい。どうせ親父の金だし」
手を振りながら言う少年に、いや、それはダメだろうと、
「そんな訳にはいかない。向こうに戻ればダンジョンで見つけた宝があるから──、」
「ダンジョン!? マジで!!」
何故かそこに食いついてきた。
「そっかー、そうだよな! ダンジョンとかで戦ってレベルアップするんだもんな!」
「レベルアップ? ダンジョンにそんなものは無いが?」
「んー? いや、モノじゃなくてさ。──え? レベルアップしないの?」
「ん?」
何だか話が噛み合わない。玲音は、まぁ、いいや。と言うと、
「じゃあさ、戻ったらダンジョン案内してよ? メルは絶対連れてってくれないからさ。あ、それと俺戦えないけどね」
そう言って笑った少年は、魔族の色を纏っていてもその笑顔は普通の少年達と同じで。
ラインハルトは、村の子供達に接するように、
「分かった、約束だ」と、同じように笑顔を向ければ、
玲音は少し目を見開き、
「あんまし、こっちでそんなふうに笑わない方がいいよ」
小さく首を振り、そう言った。
──言われた。だけど、ラインハルトは笑顔をそのままで、
「分かった」と再び告げれば、玲音はあきらめたようにため息をつく。
「何にせよ、これから宜しく。そんで、異世界へようこそ」
再び笑顔へ変わった少年から伸ばされた手を、ラインハルトは躊躇うことなく握った。