儚いモノものよ 8
「ラインハルト、起きろ」
掛けられた声で意識が覚醒して。
ガバッと勢いよく身を起こしたラインハルトは、「 ──玲音!?」と辺りを見渡す。
──が、姿は見えない。 自分を起こした声の主、淡く光輝く男以外は。
「・・・エディシアス・・」
「術が解けたな。 ──ここは、祈りの間か?」
ラインハルトの守護精霊、光のエディシアスは、床に跪くラインハルトを見下ろした後、遠くを見るように顔を上げた。そして、眉間に微かにシワを寄せ呟く。
「どうして女神は結界を張ったのだ? 中の者が全て弾き出されたようだが」
「・・・結界? ・・・女神・・」
ラインハルトは先ほどまで隣にいたはずの女神エデルガルトの姿を思い出す。彼女が話していた言葉の意味を考えながら。
自分の問いに答える事もなく無言になったラインハルトに、再び視線を落としたエディシアスだったが、急に──、
「ラインハルト! 端に引け!」
そう声を上げて。
反射的に、部屋の隅へと下がったラインハルトの横に、自らも並んだ。
突如──、先ほどまでいた床の上に魔方陣が浮かび上がる。見覚えのある転移の魔方陣。
そこから吐き出されるように姿を表したのは、ボロボロの姿のエデルウォルド。ただ精霊なので血を流す事はないのだが。
そして、その腕の中に庇われるかのようにいたのは。
「──玲音!!」
声を上げたラインハルトは直ぐ様駆け寄り、酷く衰弱したようなエデルウォルドの手から玲音を奪い取る。
簡単に、その体を確認した限りは怪我などの心配は無さそうだ。
ホッと息を付いたラインハルトの側へと、エディシアスもやって来て。
その手を玲音へとかざせば、
「───んっ、」と、玲音の口から声が漏れ、ゆっくりと黒い瞳が開いた。
コンタクトは外れてしまったのか消えたのか。
「玲音!! 大丈夫か!? どこか痛いとことかっ・・・、怪我とかっ!」
まだ呆然としている玲音に、
矢継ぎ早に話かけるラインハルトに対して、エディシアスが呆れた声で言う。
「お前・・・、さっき確認してただろう? 私も確認したから大丈夫だ」
「───でもっ!」
尚も食い下がるラインハルトに、
「・・・ライ、うるさい」と、
ラインハルトの腕の中から身を起こしながら玲音が言う。
「本当に、大丈夫か?」
それでも心配でまた問いかければ、玲音とやっと目があって、
「だから大丈夫だってば! ライ、しつこい!」と、怒られた。
その光景を、面白そうに横で眺めているエディシアスに玲音が気付く。
「・・・誰? このキンキラな人」
金色の髪に瞳、整った顔に微かに笑みを浮かべた淡く光る男を、目を細めて眩しそうに・・・いや、胡散臭そうに眺めながら玲音が言う。なので簡潔に、
「エデルトルートの元同僚──で、分かる?」
ラインハルトがそう答えると、
「・・・なるほどね」と、ため息を付いた。
「───そろそろ、こいつも気にしてやれば?」
不意に話を割ったエディシアスが指差すのは、倒れた伏したままのエデルウォルド。
玲音の事ですっかり忘れてた。でも、
「精霊なのだから、ほっといたら勝手に回復するだろ?」
玲音を拐ったのだ、気にかける必要もないという態度のラインハルトに、玲音がエデルウォルドを見下ろして言う。
「この人・・・、さっき俺を庇ってくれた」
「・・・? こいつは玲音を連れ去ったんだぞ?」
「うん。 でも・・・」
玲音の話を聞くに、転移中の狭間の中に淡い長い髪の女が現れたのだと言う。
その女が玲音を殺そうとしたのを止め、阻止しようとしたのがエデルウォルドで、他の者は皆、次元の狭間に飛ばされたらしい。
玲音が言う、その女というのは。
「──どういうことだ? ラインハルト。
この子供が言うことは本当か? 何故、女神がここまでするのだ?」
エディシアスが険しい顔をこちら向ける。
答えれる回答を持たないラインハルトは黙るしかない。だが、
「女神が言っていた。 私であって私でないと。あれは私の執着だと・・・」
その意味は分からないが。と、ラインハルトは告げる。
「・・・・・執着?」
険しい表情のまま尋ねたエディシアスの言葉は、次に聞こえた声に寄って、それ以上続くことはなかった。
「───ラインハルト」
ふわりと、降ってきたその声。
わざと薄暗く作られたその部屋に、淡い光を放ちながら舞い降りてくる者。ラインハルトの目の前へと。
音もなく降り立った女神エデルガルト。
そのまま微笑み再び告げる、ラインハルト。と。
「・・・女神・・・」
玲音に手を掛けようとしたなど、とても思えないほど慈愛に満ちた笑み浮かべた姿に、
むしろ薄ら寒い感情を覚えて。
一瞬身震いしたラインハルトを、「・・・ライ?」と玲音が見上げる。
─────瞬間、
放たれた殺気と、溢れて出た力の迸りに。
向けられた先、玲音を庇おうと、
身を挺そうしたラインハルトだったが、縫いとられたようにその体は動かない。
「─────!?」
同じく側にいたエディシアスが、咄嗟に玲音を庇い結界を張る。だが、その結界ごと後ろへと弾き飛ばされた。
「 玲音!! エディシアス!!」
動かせない体は、安否を確認しようと振り向くことさえ許さない。
エディシアスが庇うのが見えたので、玲音の最悪の事態は避けただろう。でも・・・、
ラインハルトはギリっと歯を食い縛り、その力を放った者を睨みつける。
目の前で穏やかに微笑み自分を見つめる女神エデルガルトを。
「───何故!?」
これ以上ない怒りを瞳に込めてエデルガルトを睨む。
だが、エデルガルトはそんなことを気にかかる様子もなく微笑んだまま、
「・・・何故?」と、
逆に不思議そうに尋ねる。
「ラインハルトこそ、何故?
貴方は何にも気を取られることなどなかったのに。 私との約束を果たす為に戦ってきていたはずなのに。
何故今更、あの男のモノ達に荷担するの?・・・魔王を倒すことを躊躇うの?」
エデルガルトの問いかけに、直ぐに答えを返すことが出来ずに、ぐっと言葉に詰まる。
「魔王も魔族も、人間達の敵だわ。 何も躊躇うことなどないはず。 だからまず──、
先に、あの子を殺しなさい」
「────!!」
今度こそ、言い換えそうと口を開いたラインハルトだったが、今度は言葉を縫い取られて。
(───女神!?)
「拒否することは許されないわ」
口の端に笑みを刻んで、空に手を差しのべたエデルガルトは、ラインハルトの愛剣を空間から取り出す。
それをラインハルトの前に差し出すと、一旦、体の拘束を解いた。
それを逃さず、ラインハルトは瞬時に愛剣を掴むとエデルガルトへと振るった。
女神自身から与えられた剣だ。どうせ剣などでは何の意味もないだろうが、怯む隙を与えられればと。だが、
「ラインハルト、向かう方向が逆だわ」と、
笑いながら、今度は拘束ではなく体の支配を奪われた。
そこに、「・・・女神・・」と、
ラインハルトの横で声がする。
意識を取り戻したエデルウォルドがよろめきながら立ち上がるのが見えた。
「女神、あの子供を殺してしまっては、魔王を・・・誘き出すことが。・・・お止め、下さい」
玲音の話では、女神本人にやられただろう攻撃に苦しげに言葉を切りながら、彼なりの思惑もあったのだろう。
エデルガルトに一番忠実であった聖なる精霊が言う。だが、女神は、
「役に立てない者は下がっていなさい」
冷たい声と共に、空間が波打ち、エデルウォルドは壁際まで飛ばされた。
女神が支配する空間では、自分も、力ある精霊でさえも無力なのかと。
ラインハルトは無理矢理振り向かされて、同じように縫い付けられて動けなくなっているエディシアスを見て思う。
「さぁ、ラインハルト」
女神が優しく促す。祝福を授け、初めて旅立った時と同じように。
だがラインハルトの視線の先に見えるのは。
・・・・恐怖だろうか?
玲音の黒い瞳が揺れている。
その黒い瞳に映る、剣を掲げ持つ自分の姿に、玲音にそんな思いをさせている自分に。
ラウルも感じたのだろうか、この絶望を。
───だが、
諦める訳にはいかない。
ラインハルトは抗うように剣を持つ手に力を込める。自分はまだ絶望を受け入れる訳にはいかない。
この不屈の精神は勇者の特権。皮肉なことに女神が能えた。
抗う自分に女神の力が更に増す。
それでも抵抗する力を込めれば、苛立つ女神の気配を感じて、
剣を降り下ろそうとする力だけが増した。
それが、一瞬の好機。
止められる手立てがあるとすればここだけだ。
ラインハルトは、目元を和らげもう一度玲音の黒い瞳を見つめて。
抵抗の少なくなった、剣を持つ逆の手で腰から短剣を引き抜くと、
躊躇うことなく自分の首へと振り下ろした。
「─────ライッ!!!」




