儚いモノものよ 6
教会本部に隣接する邸宅にて、書斎で書類に目を通していたアイヴァンは、始業前だというのに本部の入り口が何やら慌ただしいのに気付く。
「・・・?」
窓越しにそれを眺め、部屋に控える侍従に視線を送れば、
侍従は心得たもので一礼をし部屋を出ると、直ぐに教会の白い服の男を連れて戻った。
「何があった?」
アイヴァンの問いに、男は少し困った顔で答える。
「何処へかは分からないのですが、聖者様が何人か出掛けられたみたいです」
「そうか・・・。 報告は上がって来ていないのだがな・・・」
誰に聞かすわけでもなく皮肉げに呟いたアイヴァンは、
「次に何か動きがあったら直ぐに知らせてくれ」
それだけ告げて、今は再びに静かになった窓の外へと目を向けた。
男が再びアイヴァンの元に訪れたのは午後も大分過ぎてから。
報告を受け、急ぎ本部へと向かうアイヴァンの顔は険しい。
(──エデルウォルド何をした!?)
緊急の転移ゲートが開いたという。
だがそれは簡単なことではない。何人もの魔力を集めるか、それだけの魔力を持つ者、そう精霊の長である一人なら。
でも実際にはそれだけでは無理で、教会の転移ゲートは更に女神の力が加わり可能となる。
女神が力を貸したとなると、考えられることはひとつしかない。
本部へと繋がる回廊を、伴の兵を連れ急ぐアイヴァンは、回廊から見える本部の前庭の空間が僅かに歪むのを見た。
「───!?」
「アイヴァン様!!」
歪んだ空間が大きく膨らむのを見て、異変を感じた兵士が咄嗟にアイヴァンを庇う。
その背の隙間から見えたのは、バチッと何かが弾けるような音と共に、冷気を纏う黒く広がる空間。ただそれは一瞬で消えて、その後に残ったのは黒灰色に輝く巨体。
「!?──、・・・古代竜か・・!?」
(──何故こんなところに!?)
「アイヴァン様! 後ろに!!」
兵士達に庇われて、ゆっくりと後退したアイヴァンの視線の先、
古代竜の巨体の影から現れた男を見て、その歩みを止めた。
「・・・ラインハルト?」
金髪碧眼の整った顔、まさに勇者らしい男。
再びその名を呼ぼうと口を開いたアイヴァンだったが、設置されていた魔物対策の石碑に反応して、教会を護る兵士達が駆けつけてくる喧騒に一旦開いた口を閉じた。
そのラインハルトだが、
玲音が消えた後、ただ呆然と眺めていた自分に厳しい声が飛んだ。
「何ボサッとしてる! ・・・行くぞ。
ピアヴォニウスこっちに来い、魔力を貸せ!」
ラインハルトはノロノロと顔を向け、声の主であるメルヒオールを見る。
「・・・ピアヴォニウスで飛んだとしても、遅すぎる・・・」
間に合わない・・・。と、
自分のせいで、結局ラウルのように自分も大切な人を失うのだ。と。
自分の手のひらを見つめ、うつ向いたラインハルトに再びメルヒオールの厳しい声が飛ぶ。
「誰が空を行くといった? ──空間を曲げる、早くしろ!」
「・・・・・空間?」
問の返事は返らず、メルヒオールが何を言っているのかはよく分からないが、その迫力に、
ラインハルトはたじろぎながらも側へと寄れば、鎖から解放されたピアヴォニウスとメルヒオールの周りから、黒く冷たい魔力が影のように立ち上がるのが見えた。
「レオディアスの術の影響があるからお前でも大丈夫だろう」
メルヒオールが言う。そして、その黒い影にラインハルトの身も包まれる中、男の声が再び聞こえた。
「お前が自分の無力さを嘆くのは勝手だが、玲音様を巻き込むな。
・・・何よりも大事だと思うのもなら、そんなに簡単に諦めるな」
責める訳でもない、その静かな声にラインハルトは唇を噛みしめる。男のいう通りだ。今は悔やんでる場合ではない。
今は、玲音を取り戻すことだけを考えよう。
そしてはぜる音と共に身を包む黒い影が晴れた時、ラインハルトは教会本部の前にいた。
当たり前だが、教会本部は郊外とはいえ王都だ。石碑が反応して警備の兵士達がわらわらと集まってくる。
だが、巨大なピアヴォニウスの姿と勇者であるラインハルトの姿。そして、その背後から現れた黒髪黒瞳の美貌の男を見て固まる。
メルヒオールは魔王の片腕だ。王都を警備するものなら多少でも見たこともある者もいるだろう、その圧倒的な強さも。
一歩踏み出したメルヒオールに、ラインハルトが言葉を投げかける。
「メルヒオール、ここからは俺だけで行く」
「──?」
「この先は女神の影響が強い。 ここは魔族とは相性が悪い。いくらお前でも無事ではいられないだろう」
「それは承知の上だ」
怪訝な顔で、今更何を言うのだという態度の男に、改めて正面から向き合い、
「───メルヒオール。 俺は、もう大丈夫だから。
だから──、任せてくれ」
必ず玲音を取り戻す。
言葉にはしないが、そう思いを込めてラインハルトは告げる。
メルヒオールはこちらを見つめたまま暫く黙っていたが、小さくため息を付くと、
「──で、俺は何をすればいい?」と、諦めた声で尋ねてきた。
「城にリュークという男がいる。あいつなら聖なる力に詳しいはずだから、出来れば連れて来て欲しい」
「城って・・・。 それは、教会に入るよりも難しくないか?」
「・・・そうか?」
とぼけて返事を返すラインハルトに呆れた目を向けて、メルヒオールは分かった。と頷いた。
教会の扉の前で、こちらのやり取りを困惑の表情で見ている兵士達に、ラインハルトは改めて向き直り告げる。
「そこを通してくれ。 用があるんだ」
「いやっ・・・だが、しかし・・・」
困ったように自分とメルヒオールを眺める兵士達は、どうすべきかと判断に迷う素振りだったが、そこに掛ける声がある。
「構わない、通しなさい。 私が許可する」
声は教会から繋がる回廊の方からで、
ゆっくりとこちらに歩いてくるのは、
「ローマン公!」
その姿を見て、ラインハルトは声を上げた。
「すみません! 騒ぎをおこして・・・」
頭を下げるラインハルトを手で制して、アイヴァンは扉の前に立つ兵士達にその場を下がるように命じる。
「しかし、アイヴァン様!」と、
渋る兵士に、穏やかな笑みを浮かべて、
「私が『構わない』と言っているのだが?」
静かだが、人を従わせる立場に立つ者が持つ圧を込めて、
告げるアイヴァンに兵士は渋渋と、だがメルヒオールとピアヴォニウスから視線を外すことなく一歩下がる。
その兵士達の視線の先をアイヴァンも眺めながら、
「古代竜に魔王の片腕か・・・」
冷たい黒い瞳で断然とこちらを見ている男に、流石に気を抜けないながらも、
「ラインハルト、君が一人ここにいると言うことはエデルウォルドは玲音を連れ去ったのか?」
扉へと急いで近づくラインハルトに尋ねる。
「そうです! 急がないと!」
アイヴァンの言葉を聞いているのか、いないのか、
慌てるラインハルトに、──待ちなさい。と、
「ゲートが開いたのは今さっきだ。ゲートが安定するまで少し時間が掛かる」
だから、落ち着きなさいと。アイヴァンは伝える。
「君は今、女神とは相容れない術に護られているのだろう?
転移ゲートが開いている今は、教会全体に女神の力が及んでいる状態だ。そんな状態の君が入れば・・・、どうなるかわからない」
この前のパーティーの時のようなことが起こるかもしれないと暗に込めて。
「──それは、理解しています。 でも、俺は・・・っ」
一度言葉を切ったラインハルトは、でも直ぐに、
「行かなければ!」と、
アイヴァンを真っ直ぐ見つめた。
その瞳は、昔みた瞳と同じ。
アイヴァンが唯一敬愛していた姉、エルヴィラが見せた。
『好きな人が出来たの、だから私は行くわ』と言った、引き留めることさえも許さないその瞳。
それでも一緒にいて欲しいと、懇願した幼き自分に少し悲しそうな顔を向けて、
『ごめんね』とだけ告げて、二度とは戻らなかった姉。
自分を捨てた姉を憎み、姉が愛した魔王を憎み、ラウルを、女神を憎んだ。
だけど・・・。
憎んだとこで虚しいだけだった。
離れた心は、魂は、もう戻ることはない。
(・・・女神は、いつか気付くだろうか・・・)
アイヴァンは小さく息を吐いて、
「──分かった。 案内しよう」と、
自ら教会の扉を開いた。




