儚いモノものよ 4
「───はっ? ・・・何、言ってんだ、お前?」
面白くない冗談を聞かされたようにヴィレムが言う。
アイヴァンと別れた後、再び部屋へと戻りヴィレムも呼び寄せて、仲間だけとなった部屋で、ラインハルトは自分が勇者を降りることを告げた。
玲音には、小鳥姿のまま城に留まってるピーちゃんと共に隣室に移動してもらっている。
「もう一度言おうか? 俺は勇者を降りる」
「───ふざけんなっ!!」
ラインハルトの言葉で、ドンッと机を殴りつけたヴィレムに、咎めるような視線を向けたエレオノーラが口を開く。
「・・・冗談ではないのね。 ──でも、何故急に?
ローマン公と何かあったの?」
アイヴァンを追って部屋を出たラインハルトに対してだろう。
「いや・・・、彼は関係ないよ。 これはこちらに戻って来た時からずっと思ってたことだから」
そう告げれば、やっぱり・・・。と、エレオノーラが言う。
「向こうで何かあったのね。 戻って来た時から様子が少しおかしかったし・・・。
一体何があったの? ラインハルト」と、
エレオノーラの真剣な眼差しを受けて、ラインハルトは俯く。
別に、向こうで何があったという訳でもない。自分の中の価値観というものに衝撃を受けはしたが、この10年間歩んで来たような、苦難や絶望や死線をくぐったりなどもなく、普通に平和であった。
そう、平和であった、魔族達と暮らしていても。
「今の俺は、きっと・・・、魔族を倒すことは出来ないよ」
・・・では何故ここでは憎しみあっているのか?
「彼らを悪だと決めつけることが出来ないんだ」
誰がこの憎しみを産み出したのか?
「・・・本当に、何言ってんだよ、お前は・・・? どうしちまったんだ!?」
そのヴィレムの問いに、ラインハルトは何も言えない。
自分が──、女神に選ばれた勇者である自分が、女神に対して疑問を抱いていることを彼らにはまだ言えない。不確定要素が多すぎる。
女神は自分達をも造り出した創生の女神、すべての母。
普通なら疑いを抱くことなどあり得ないだろう。
「・・・・言わないのね」と、
無言になった自分にエレオノーラが少し寂しげに呟く。そして、
「───分かったわ、王には私が伝えます。
ただし、国民には暫く伏せるわ」
混乱するから。と王女としての顔を作ったエレオノーラが言う。
「そんなものっ!! 俺は納得いかない!」
エレオノーラの言葉を否定するように、声を発して立ち上がったヴィレム。
そして向かいに座るラインハルトを見下ろして、
「ラインハルト! 俺はお前が勇者を降りることなど許さない。 お前以外の勇者など認めない!」
「・・・ヴィレム・・・」
「今更──、逃げるなんて許さない!」
「ヴィレム・・・! 俺はっ──、」
ラインハルトは、違うんだ。と、思わず全てを話してしまいたい衝動に駆られたが、瞬時にそれをぐっと堪えた。
・・・そうだ。今は何を言っても言い訳にしかならない。
言葉を飲み込んだラインハルトを、深く眉間にシワを刻んだヴィレムは暫く見下ろし、一度口を開こうとして結局何も言わずそのまま踵を返し出ていった。
それを追おうと腰を浮かせたラインハルトに、
「待って、私が行くわ」と、エレオノーラが立ち上がり、
「今、貴方が行っても火に油だわ」
そう言って扉に向かったが、取手に手を掛けたとこで立ち止まりこちらを振り向いた。
「ラインハルト、貴方が勇者を降りたとしても、私達は仲間だわ。 だから、力が必要ならちゃんと言ってね。
一人で・・・消えることだけは止めて、この前のように・・・」
告げるエレオノーラの顔は珍しく寂しげで、
「ああは言ったけども、ヴィレムもきっと同じ気持ちのはずよ」
それでも小さく笑顔を作る。
「・・・そうだろうか・・?」
ラインハルトは口元に自嘲気味な笑みを浮かべ目を伏せた。
自分の選択がこんな風に誰かを傷つけることなど始めから分かっていたことだ。それでも選んだのは自分で。
「──そうよ」と、
聞こえたその声が、ラインハルトの心の中の考えを肯定されたのかと思い、ハッと顔を上げてみれば、
先ほどより少し明るい顔のエレオノーラが見えた。
「・・・・・?」
「どれだけ一緒に旅をしたと思ってんのよ。だてに何年も貴方達を見てきた訳じゃないわ。それに・・・、」
エレオノーラは一度言葉を止めて、少し躊躇ったように俯き、そして、
「ヴィレムのことなら大体分かるのよ、私」
そう言って上げた顔は、ラインハルトが今まで見たエレオノーラのどの顔よりも綺麗だった。
「エレオノーラ、君は・・・」
ラインハルトは、だけど最後まで告げることなく言葉を切り、
扉を背にしたエレオノーラはふっと笑って、
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」と、ヴィレムを追い部屋を後にした。
部屋に、最後に残った仲間はリューク。
「・・・ライライ、知ってる?」
こんな状況でもブレることなく、その名で呼び掛けてくる。
「古い禁書に書かれていたんだけどさ。魔族も遥か昔は同じ人間だったんだって」
「そう、なのか?」
「そう。現在に至る過程はまだ分からないんだけどね」
今、調べてるとこ。と、ラインハルトが発した、二人を傷つけた言葉にはひとつも触れることなくそんな話をして、
「あ、そうそう。 早く玲音ちゃんとこ行ってあげたら?
ライライ戻って来た時怖い顔してたから気にしてたよ」
ソファーに座ったまま、二人が出て行った扉とは違う扉を指差す。
ニコニコと相変わらずの場にそぐわない表情のリュークは、玲音との会話の中で何かを聞いていたのか、それとも興味がないのか。
( そういうとこは玲音と似てるな)
分かった。と言って、立ち上がろうとしたラインハルトは、もう一度リュークを見てから、「ありがとな」と。
リュークが何も聞かないのは、それでもやっぱり彼なりの気遣いなのかもと思いそう伝えれば、言われた本人はキョトンとした顔をして。
その顔に、呆れと共に笑いもこみ上げてきたラインハルトは、口元を押さえて、
「──いや、何でもないよ」
それだけ告げて席をたった。
指の上にピーちゃんを乗せソファーに腰かけていた玲音は、部屋に入ってきたラインハルト見て駆け寄って来た。
驚き飛び上がったピーちゃんをソファーに残して。
「大丈夫だったの!?」
何がという訳でもなく、そんな言葉を発してラインハルトの胸元から覗き込むようにこちらを見上げる眉根を寄せた玲音に、
ふっと目元を綻ばせ、コツンと額を当てる。そして、
「──なっ!? 何!?」と、
慌てて身を引いた玲音を引き寄せて腕の中に閉じ込めたラインハルト。
そのまま、大丈夫。と、
「暫くこうしていて。 そうしたら大丈夫だから」
玲音の髪に頬を埋めて言うラインハルトに、
「はっ!? ちょっ・・・、マジ何なの!?」
驚いてもがいた玲音だったけど、力の差は歴然で。
もがくだけ無駄だと悟り、直ぐに諦めた玲音は呆れた声で言う。
「・・・何だか分かんないけど、大丈夫なんだな?」
「うん。玲音が大丈夫なら、大丈夫」
髪に埋もれくもぐった声のラインハルトの返答に、
「・・・・・何それ」と、
やはり呆れた、けれど少し安心したような玲音の声が、ラインハルトの耳に届いた。




