異世界へようこそ 3
単純でない情報量の多さに思わず、少し整理させて欲しい。と頼めば、玲音は同情したようにラインハルトの肩にポンと手を置くと、わかった。と。
「俺達隣の部屋にいるから、何かあったら声掛けて」
そう言うと、渋る顔のメルヒオールの背を押しながら部屋を出ていった。
一人になり静かになった部屋。椅子に座ったまま、再び手に魔力を込めてはみたが、やはり何も変化はない。
ラインハルトはため息をつき立ち上がると、ここに来ることとなった扉があった壁へと向かう。
白いその壁に触れて、戻りたい!と念じても、自分を加護する神は何も答えてはこない。
本来ならば自分が窮地に立たされれば、何らかの神のみわざが施されるのだが、
今は沈黙に包まれたまま、その息吹さえも感じることは出来ない。
もう一度神への思いを込め念じた後、変化のない壁に、あきらめたように顔を伏せる。
必ず魔王を倒すと誓って旅に出たというのに、その目的の居ない、地球という? 訳のわからない世界にいる自分。戻る手段も今はない。
ラインハルトは、再び深くため息をつくと二人が出ていった扉に手を掛けた。
部屋へと入ってきたラインハルトに、ソファに寝ころがり、仰向けで薄い長方形の板のような物を触っていた玲音が起きあがる。
「どう? 落ち着いた?」
「・・・あぁ、何とか」
ラインハルトは少年にそう返事を返すと、断りを入れ向かいのソファへと座る。
もう一人、メルヒオールが居ないことに気づき、尋ねれば、今、向こうと連絡取る為に席を外してる。と、
「向こうと連絡が取れるのか!?」
瞬時に詰め寄るように質問を返したラインハルト。
その剣幕に、「で、出来るけど・・・」と、若干引き気味で頷いた玲音。
「じゃあ、今直ぐにでも!」と急かすよう言うラインハルトに、
「そうしたいのは山々なんだけど、このご時世に連絡方法がアナログでさ」
「アナログ?」
その言葉の意味が分からず問いかけたのだが、少年には通じなかったようで、
「そう、アナログ。伝書鳩ならぬ、伝書小鳥。多分連絡が帰って来るまで三週間くらいかかると思うよ」
そう渋い顔で言った。
伝書鳩ならラインハルトでも分かる。まぁ、小鳥と言ったが、同じことだろう。
しかし鳥ということは、空になら向こうへと渡る術はあるということなのか ?そして三週間かかると・・・、
長いと言えば長い。だけど、今までの自分がかけた歳月を思えば三週間などあっという間だ。
ただ、それだけで魔王の場所に行けるという訳ではない。それは戻るという行為だけで。
ラインハルトは向かいに座った少年を、魔王の孫だという玲音を眺めると、
「もし、戻れたとして、魔王の元まで案内して貰うことは・・・、」
出来るのだろうか?と、ためらうように尋ねたラインハルトに、「ああ、いいよ?」と。
さっき約束したのに何でまた聞くのだ?という顔の玲音。そのあまりの淡白さに、
「あ・・・、いや、その。
・・・一応、君に取っては魔王と言えど祖父なのだろう? その敵に対してこう・・・」
「そふ? ああ、じいちゃん? そうそう魔王様ね・・・」
玲音はそう言い立ち上がると、続きの間となるキッチンらしきとこへと歩いてゆくと、丸い筒状ものをカチッと鳴らした。
途端に、シュゥーっと水が沸騰するような音がし、湯気が立ち上る。
「──!! 何!?今のはっ!!」
火魔法のひとつ、熱の応用ではないのか!?
驚いたように目を見張ったラインハルトに、玲音は面倒くさそうな顔を向けると、
「何度も言うけど、この世界に魔法なんてないからね。こんなんでいちいち驚いてたら身がもたないよ?」
「いや、だがしかし!」と言葉を続けようとしたラインハルトに、
「これは、瞬間湯沸し器って、そのまんま瞬間に湯が沸く機械」
そう言い終わる声と共に、再びカチッと鳴った音に、少年は筒を持ち上げると沸いたお湯を並べたカップへとそそぐ。
すると、立ち上る嗅いだことのないような香ばしい薫り──いや、これは珈琲か?
しかし、向こうでの珈琲とは全く違う薫り。
先ほどの不思議な現象のことはすっかり忘れ、薫りを堪能していたラインハルトに、
「あ、忘れてた? あんた珈琲飲める?」
キッチンでカチャカチャと音をたてている少年が聞く。やはり珈琲のようだ。
レオンハルトは無言で頷くと、玲音はトレイを抱えこちらへと戻ってくると、まぁインスタントだけど。と言いながらカップをテーブルに並べた。
黒に近いが、透き通った茶色い液体。早速と口に含んでみれば、
「・・・美味しい」
そう呟いた声に、砂糖とミルクをいくつも投入していた少年が、
「え、嫌み? ただのインスタントだって言ったじゃん」
嫌そうな声で言う。
インスタントがどういう意味なのかは理解出来ないが、自分が今まで飲んだどの珈琲よりも美味しいのは確かだ。
「いや、本当に美味しい!」
玲音はラインハルトが本気でそう言っているのが分かったのか、
「これで美味しいって・・・、今度マスターのとこ連れてってやるよ」
どうせ行かなきゃならなそうだし。呆れたように呟き、自分も珈琲を飲むと、まだ熱かったのか顔をしかめ、
「──ああ、それでじいちゃんの続きだけど、」と先ほどの話の続きを話し出した。
「俺って生まれたのもこっちだし、住んでるのもこっちなんだよね。だから、じいちゃんともそんなに関わりあいないし、両親もじいちゃんと仲間良くないし」
カップを抱えたままフーフーと冷ます仕草をする少年は淡々と話す。
「しかも両親も物心つく頃には、もう二人ともいなかったし・・・」
しまった・・・。少年の傷に触れてしまったかとラインハルトは神妙な顔をした。しかし、その表情を見た玲音は、
「あー、何か勘違いしてると思うけど、違うから、ちゃんと生きてるから。
ただ夫婦揃って世界を飛び回ってるからここに居ないだけで、数年に一度くらいは帰ってくるから」
ちょうど良い温かさとなった珈琲に口をつけながら言う。
数年に一度もどうかとは思ったが、自分自身何年も家には戻っていない。それを思い出し、ラインハルトはやっぱり神妙な表情となった。
「それで、さっきあんたが氷雪だ絶望だ、なんたら言ってたヤツいるじゃん」
正確に覚えているくせに、笑いを堪え誤魔化したように言った玲音は、
「あいつが俺の親代わりなんだよね。じいちゃんに言われたのか何か知らないけど、子供の時からずっと」
「あのメルヒオールが・・・?」
確かにここ最近、向こうで出会うことはなくなってはいたが、あの男が・・・?
自分達パーティーに容赦のない非情なまでの攻撃を仕掛けていた男が?
「そうだよ? じいちゃんなんていつだっけ? 多分、五年ほど会ってないし、前に会った時もすんげー冷たい目で見られただけだし。
だいたい、じいちゃんて感じでもないじゃん、綺麗過ぎて怖ぇよ」
「魔王様はちゃんと玲音様のこと思ってますよ!」
扉が開く音と共に、そう言いながら入ってきたメルヒオール。
とっさに警戒体制を取ったラインハルトに、男は冷たい目を向けると、
「玲音様と約束をした。なので、こちらにいる間は休戦だ。
あちらへと戻ればそれも反古だがな!」
付け加えるように言った言葉に、「メル!」と少年が声をあげると、メルヒオールはラインハルトからついっと目を反らし、キッチンの方へと向かい、ラインハルトは男の言葉に浮かせた腰を再び落ち着けた。
キッチンのダイニングチェアに荒く座ったメルヒオールに、玲音が、どうだった?と尋ねると、問題はなかったと答えが返ってくる。
とりあえず、戻る術についてはどうにかなるかもしれない。だが、それまで三週間は待たなくてはいけない、この全く知らない世界で。
ラインハルトが浮かべる複雑な表情を正確に理解したのか、
「とりあえず戻れるまではここにいていいから」
目の前に座る少年がそんなふうに言うと、キッチンから「玲音様!?」と抗議の声があがる。
「別にいいじゃん。だって仕方ないだろ? さっきから見てたらヤバいもん。このまま放り出したら確実に警察に捕まるって」
意味は良く分からないが、ここに居てもいいと言ってくれている少年に「ありがとう」と感謝の言葉を述べるラインハルト。
玲音はキッチンの方へと向けていた顔を戻すと、
「部屋はまだあるし構わないよ。ちょっとは手伝ってもらうこともあるかもしれないけど」
そう言って空になったカップをトレイへと戻すと立ち上がる。
そして、ラインハルトを見下ろし暫く考えた後、
「うーん、明日ちょっと出掛けるかー? どうせ、春休みだし」
こちらを見下ろした、いや、ラインハルトの姿を眺めたが正しいか? 少年の顔はひどく残念そうで。
ラインハルトは不思議に思い、自分の姿を見下ろす。確かに二人とは全然違うが、向こうであれば至って普通の服装。
ただ勇者という、戦いに身を置く者として、重装備が嫌いな自分に合わせて作られた軽量の胸当てなどの防具類は必要で、携えた武器や剣などは普段はマントの下で隠れている。
何かおかしいだろうか?と顔をあげたラインハルトに、
「さすがに普段の買い物にそのコスプレはないわな」
少年が話す言葉には所々意味の分からない単語が含まれる。
だが、自分の格好について何かダメ出しをされているのは分かり、ラインハルトは地味に凹んだ。
「一応、魔王に対面する為に一張羅を着たんだけど・・・」
勇者が静かに呟いた言葉は、同じ部屋にいる二人には聞こえなかったのか、何も触れられることはなく見事にスルーされた。