儚いモノものよ 3
「・・・この前の続きです。ローマン公」
硬い表現で言うラインハルトに、
「この前・・・? ──ああ、そうか、君が魔王を倒したと言う虚偽の件だね」と、
対照的な、柔らかい笑みを浮かべてアイヴァンが言う。
「───それはっ!」
直ぐに言い返そうとして、
「・・・ラインハルト」とエレオノーラに止められた。
彼女は呆れたようにため息を付いた後、アイヴァンに向き直り、
──叔父様。と、改めて話を切り出した。
「確かにラインハルトは魔王を倒していませんわ。
でも、公は預かり知らぬと言っていましたが、その噂の発端は教会からだと私は認識しているのですが?」
ならば教会のトップである男が知らぬ存ぜぬなどとは通用せぬだろうと、エレオノーラは暗に込めて。
だがそれに答えるアイヴァンはどこまでも穏やかだ。
「・・・そうだね。 きっと、そうなんだろうね。
教会の全ての者達に目が届かなかった僕の、不徳の致すところだな」
「それだけで、済む問題ではないかと?」
「では姫は、僕の首でも御望みかい?」
間髪入れずに返された返答にエレオノーラは一瞬言葉に詰まった。
アイヴァンは組んでいた足を解き、肘をついたまま絡めた指に顎を乗せて、
視線は何を捕らえる訳でもなく空を見つめたまま。
「・・・『勇者』という存在は常に強くなければならない。負けることなどあり得ない。それは皆の希望だから。
だから不確かな確証だとしても人は信じてしまう。いや、信じたいのかな? ・・・人は弱いからね」
「勝手に信じた者達が愚かだと?」
「そうではないが・・・。ただ、その信仰は更に自分達を弱者だと定義付けて、一定の者達を追い詰める枷となるんだよ。自分達にその意志がなくとも。
そこに、・・・付け入る隙が生まれるんだ」
「何の・・ことを、おっしゃっているの?」
眉を潜めたエレオノーラの問いかけに、彼女に焦点を戻したアイヴァンは、
「──いや、何でもないよ」と、口元に小さく笑みを刻んで首を振った。
エレオノーラは再び、叔父様。とポツリと呟き、
「私達はただ、本当のことを知りたいだけで・・・」と、
その静かな問いかけに、ラインハルトも同調して。
「貴方は何を知っているんだ・・・? 何か知ってるなら教えてくれ」と。
二人の言葉に、「本当のことか・・・」と、アイヴァンは自嘲気味に笑って、
「答えなど、本当は単純なものだと言うのにな」と、
呟くその声は少し寂しそうにラインハルトには聞こえた。
どういうことなのかと続きを待ったが、アイヴァンはうつ向き暫く黙ったままで、
再び、ゆっくりと上げた視線が向かったのは、部屋の片隅にいる玲音の元。
「僕の姉がエルヴィラなのは知っているよね」
玲音に視線を向けたままアイヴァンが呟く。
玲音本人はリュークと片言で何か会話をしているようで、彼の視線には気付いていない。
急に飛んだ話に、二人して怪訝な顔でアイヴァンを見るが、彼の視線は玲音に向いたままで、
「彼女はとても強く美しい人だったよ」
誰ともなく呟く男の言葉。
確かに、ラインハルトが記憶の中で見たエルヴィラはとても美しかったが、それにどんな関わりがあると言うのだろうか?
「──叔父様・・・?」
どこか遠くに思い馳せるようなアイヴァンの姿に、エレオノーラが声を掛けて、視線をこちらに戻した男は少し笑って、
「すまない、話の途中だったね」と、
「・・・・・教会は今、少しゴタゴタしていてね。僕の力が及ばない部分があるのは本当なんだよ」
「・・・それは、女神が・・・?」
問いかけたラインハルトに、アイヴァンは小さく笑みを作って、
「君を連れ去ろうとした者達は、僕の意思を誤った解釈をしての行動で。
それについては完全に僕の責任だ。 すまない、ラインハルト」と、頭を下げた。
ラインハルトは慌てて、「頭を上げて下さい!」と言って、
「でも・・・、何故俺を?」
そう問いかければ、
「彼女より先に君を保護しようと思ってね。
・・・まぁでも君には今、強力な術が施されてるようだから、要らぬ心配なようだけど」
アイヴァンは笑って言った。
彼が言う彼女とは、多分女神のことだろう。
「どういうことか分からないわ?」
女神に関しては話していないし、把握もしていないエレオノーラには、彼が話す言葉の意味は分からない。
「うん、そうだね。 それは余計なことで・・・、
結局は魔王を倒したいと思ってる気持ちは皆同じなんだよ」
それ以上詳しい話をするつもりはないのか、アイヴァンはいつもの穏やかな表情を浮かべて話を締めて、
「すまないが、そろそろ時間なので退席させてもらってもいいだろうか?」と、立ち上がりエレオノーラを見た。
エレオノーラは、ふう。と一息吐いて、
「──わかりました。お手間を取らせて申し訳ありませんでしたわ」
今日はそれ以上聞けないだろうと判断して。
それを聞いたアイヴァンは、扉の方へとは向かわずに部屋の奥にいる玲音の方へと足を向けた。
「──ローマン公!?」
声を発して立ち上がったラインハルトに、アイヴァンは「何もしないよ」と笑って、
「帰る前にちょっとあの子と話がしたいだけだから」と。
あぁ──なるほど、同席を望んだのはこのことかと。
自ら玲音の傍らに立ったアイヴァンは、横に座っているリュークを一旦見て、
「リューク、お前会話が出来るのか? ならば通訳しろ」と言う。
けれど、そんなのムリ!という顔をしたリューク。なので代わりに、ラインハルトが「俺が伝えますよ」と側へと向かった。
目の前に立つアイヴァンと近づいてくる自分を見て、
「・・・何?」
不思議そうに尋ねる玲音にラインハルトが説明する。
「ローマン公が玲音と話がしたいそうだよ」
「──ああ。 そういうこと」
それで呼ばれた訳か。と納得して、
「いいよ、何?」と、玲音はアイヴァンを見上げた。
その、ころころ変わる表情にアイヴァンは少し苦笑を浮かべる。
「君はやはり姉さんに似ているね」
ラインハルトはアイヴァンが玲音に告げる言葉を同時に訳していく。
「──姉さん?」
「君の祖母は僕の姉さんなんだよ」
その言葉にギョッとしたようにリュークが目を剥き、だがラインハルトにとっては予測していたもの。
「そうなの!? えっ、ばあちゃんってどんな人だったの?」
聞いても誰も教えてくれないだよね。
そう言って玲音は不満げな顔をする。
アイヴァンはそんな玲音を見つめて、
「それは仕方ない事なんだよ。あの時は色々あったから」と、言葉を切った。
「──!! 貴方は・・・!?」
思わず口にしたラインハルトに、アイヴァンは一度こちら視線を向けて、
でも何も言わずに、また玲音に視線を戻す。そして、
「そうだね・・・今日はもう時間がないので、また今度話をしよう」
再び笑顔を作ったアイヴァンが玲音に告げた。
「──ローマン公!」
そのまま部屋を後にしたアイヴァンを追って、廊下に出たラインハルトが声を掛ける。
振り向いたアイヴァンは、ラインハルトを目に止めて、
そこに浮かぶ表情に苦笑して、付き添う従者達と案内の侍女に距離を開けるように言う。
そして廊下に設置された、庭を見下ろすバルコニーに出る窓から外に出たアイヴァンは、振り返り告げる。
「勇者がそんな顔をするものではないよ」
「──俺は・・・っ、」
一度言葉を詰まらせたラインハルト。
だけど改めて、今度は淀みなく言う。
「俺は、勇者を降りるのでもう関係ありません」と。
その言葉を聞いて、アイヴァンは再び苦笑する。
「それは、僕に言うことではないよね。 ちゃんと君の仲間に言わなければ」
ラインハルト自身も何故、ローマン公にこんなこと告げてるんだ?
とは思ったのだけど、何故か口から勝手に出ていて、再び出てきた言葉は、
「貴方が──、・・・貴方が本当に倒したいのは、魔王ではなくて・・・」
今度は最後まで口にすることなく、そこで口ごもる。
手すりにもたれたアイヴァンは、やはり穏やかな表情でラインハルトを見つめたままで。ラインハルトが今発した言葉は流されて、先の言葉を口にする。
「君が勇者を降りたとしても、また新たな勇者は生まれる。ただそれだけだ」
「それは分かっています。でも俺は、今は大勢の者を護るよりも一人の者の命を失いたくない。
・・・これは俺自身のエゴです」
ラインハルトがそのまま真っ直ぐにアイヴァンを見つめて言えば、男の口元にフッと笑みが刻まれる。
「君は勘違いしてるようだけど、教会のトップという立場では魔王を倒すことが優先なのは当たり前だから」と、
そして表情を改めて、
「君が意志を貫くのなら、確かに『勇者』を降りる方が得策だ。
ただ、その為には君の死か、女神との対面が必要なのだがな・・・」
そう静かに告げた。
「・・・・・」
ラインハルトもそれは承知の上のことで口をつぐむしかない。
「・・・そうだな、どうせこのままでは埒も明かない。 僕の方でも少し考えてみよう」
先に沈黙を破ったアイヴァンはそう言って、「また連絡する」と、今日は本当に時間が無いのだろう、足早に去って行った。
残されたラインハルトは暫くそこに佇んでいたが、
アイヴァンに言われたように、伝えなければならない人達にちゃんと自身の意志を伝えねばと。
再び廊下へと足を踏み出した。




