異世界へようこそ 2
「へ? 別にいいけど?」
ラインハルトの腕の中の捕らわれている少年、玲音があっけらかんと言う。
「そうか・・・。 ──えっ?・・・え、いいの?」
予想してなかった余りにも軽い返答に、ラインハルトは驚き、逆に確認してしまう。
「いいんじゃない?」
でも──と、言葉を続けようとした少年を、「玲音様!!」と、諌めるように身を乗り出して言うのは魔王の片腕であるメルヒオール。
ラインハルトは牽制するように少年にあてがったままの短剣を閃かした。
「動くなと言ったはずだが?」
「貴様! それでも勇者か!」
少年を人質に取られ、悔しさを滲ませながら言う男に少し同情を覚えながらも、そんなことで心を揺さぶられまいと。
「成せばならないことがあるなら、その名も捨てる覚悟はある。
魔族なら多少傷を受けようが死にはしないだろう!」
自分を奮い立たせるようにわざと悪を演じると、短剣の刃を更に強く少年に押し当てた。
そんなラインハルトに向かって、
「やめろ!! 玲音様は魔族じゃないっ! 人間なんだぞ!」
そう強く叫んだメルヒオールの言葉、嘘をついてるとは思えない男の表情に、
魔王ヒューブレリオンの孫である玲音が人間だと?
「・・・・・何を言ってる?
さっきは、魔王の孫だと言ったじゃないか?」
「そうだ! だけど、玲音様は・・・」
言葉を詰まらすように話すのを止めた男に、再度問いかけようと口を開こうとしたラインハルトの直ぐ真下から、
「だーーー!! お前ら、うっせぇ!」
捕らわれの身の少年が癇癪を起こしたように二人に叫ぶ。
「さっきから、人をそっちのけで! ちょっと話を聞け!」
声を荒げて言う少年は、「玲音様!」と、再度名を呼んだメルヒオールに、
「だ・か・らっ! 何度も名前呼ぶなって言っただろ!
後、ちょっと黙っとけ。じゃないと・・・・、
イベントには二度と参加しねぇ」
冷たく言い放つ玲音の言葉に、男は驚愕の表情を浮かべると自らの手で自分の口を塞ぎ何度も首を縦に振った。
ラインハルトにはわからないが、イベントというものはこの男にとっては余程重要なようだ。
覚えておこう、そう心の中で呟いたラインハルトに、今度は改めて少年が言う。
「あのさー、ちょっといい加減にその押し付けるの止めてくんね?」
ああ、そうだった。と思い出したように、短剣に込める力を緩める。メルヒオールへの警戒は解かぬままに。
「マジ痛ぇし・・・」
玲音が小さく呟いた声に、ラインハルトは目を向けると、少年の首元が僅かに傷つき血が滲んでいる。
口を押さえたままの男がこちらを射殺すような目付きで睨んでいるが、玲音の言いつけを厳守しているのか、目線以外で干渉してくることはない。
ならばと、男への警戒を少し解くと短剣を納め、魔族のように再生することもなく血が滲んだままの少年の傷に、手を当て治癒魔法を施す。
───が、何も起こらない。
「ん?」
失敗したかと再び当てた手に魔力を込めるが、やはり何も起こらない。
「・・・どうゆうことだ?」
ポツリとこぼした言葉に玲音が反応する。
「だから、話し聞けっていったじゃん。いいよ、こんなのほっときゃ治るし」
玲音はメルヒオールに、お前はそこに居ろ。と言うとちょいちょいとラインハルトを呼び、部屋にある一人掛用の椅子を指差すと自分はベッドへと腰かけた。
「今は俺が人間だ云々は置いといて、じいちゃんに会わす件だけど、
別にあんたがじいちゃんと会って闘って、勝とうが負けようがどっちでもいいんだけどさ、
あんたがさっき言ってた扉あるじゃん?」
玲音は消えてしまった扉があった場所を指差しながら言う。
「言ってた通りに、あそこがじいちゃんとこに繋がってたんだよねー」
身内に対してのえらく淡白な物言いに、やっぱり魔族なんじゃないのか?とは思ったが、それは口に出さず、そうなのか?と。
「では、他のルートから案内してもらうことは?」
玲音はベッドの上で胡座をかき腕を組む格好になると、うーんと唸った。
元来、魔物と違い魔族の者達は総じて見目が良い。そして、その美しさは力の証。
一度対面を果たしたことのある魔王ヒューブレリオンは、見ただけで膝を屈したくなるような美しい男だった。
目の前で腕を組んで唸っている少年にそこまでの美しさはない。
だけど、人間には持ち得ない黒髪黒瞳を持ち、ラインハルトが今まで見てきた人々の中においても明らかに整った容姿のこの少年を、メルヒオールは人間だと言った。
確かに今も見える傷跡を見ればそうなのだろうが、
魔王の孫だと言う少年と、その魔王を倒すために生まれた勇者である自分が、小さな部屋で向き合って座っている。
そして相変わらず部屋の片隅では、射殺すような眼光の男。
なかなかカオスだなぁと、小さくため息をついたラインハルトに少年が再び口を開いた。
「あのさー、さっき俺を治療しようとしてくれたじゃん?」
胡座をかいたまま、身を乗り出すように全く違う話を始めた玲音に、ラインハルトは不審を感じはしたが何も言わずに少年の話を聞く。
返答も何もなく黙ったままの勇者に、
「あれが無理だったのは、世界が違うからなんだよね」
聞き捨てならないことを、玲音は何でもないことのようにさらっと言うと、続けて、
「だから、あの扉以外で向こうに行く術は、今のところ何にもないんだ」
「・・・・・・・は?」
思考が凍ったように固まったラインハルトに、
そうなるよねー。と、玲音は言うと、立ち上がりカーテンへと近づき、勢いよくそれを開いた。
見えたのはただの青い空、どこにでもある。
その横に立ち、こちらを眺めたまま何も言わない少年に、呼ばれたように感じ立ち上がれば、
視界が変わり見下ろすようになった景色に、まず思ったのは、遠くに見えた街並みのサイズ感に、えらく高い位置に自分がいるということ。
そして、目線の先にも同じような高さに並ぶ見たこともないような建物の群れ。
「え・・・・・?」
驚いて少年の横へと歩み寄れば、ラインハルトの視界は広がり、窓のガラス越しいっぱいに見える風景。
自分のいる位置より更に高くそびえる建物、隙間なく詰め込まれたように並ぶ細かな建造物、それは木や石で出来ているとは思えない建物達。
そして、いくつか緑は目に入るが、平原や森などは一切なく、遠くに微かに山並みが見える。
「何だここは? いったいどこの街なんだ?」
自分の知っているリテニア大陸では見られないような風景に、ガラスに張り付いたまま呆然としているラインハルトの横から声がかかる。
「だからー、世界が違うって言ったじゃん」
ラインハルトの横で同じように街を見下ろした玲音は、
「ここはあんた達の、リテニア大陸だっけ? そんなのは無くて、ここは地球で、今居るのは日本ってとこ」
そう言うと、こちらを向き、
「んで、あんた達が信仰する神っていうのは、ここには存在しないのだから、その神から貰った力は使えないよね」
それだけ言うと再びベッドへと戻った。
ベッドにまた同じ体勢で座わり、こちらを眺めた玲音の姿に、ラインハルトは混乱した頭を抱えたままトボトボと椅子へと戻ると、脱力したように座り込んだ。
「・・・・・どういうことだ・・・?」
扉が消えて戻れないこともさる事ながら、違う世界に居ると告げられた事実。
冗談だろうと思いたいが、全く知らない街並みと、自分が魔法を使えないということが少年の話が本当であると証明していて・・・、
「・・・!! まさか!? 何らかの結界魔法でも使っているのか!」
魔法が使えないことに、ふいに思いついた事柄をそのまま口に出してみれば、少年は困った顔をして、
「魔法って・・・俺、魔力なんて持ってないし、そもそもこの世界に魔法なんてないけど?」
凄くすまなそうに、ラインハルトにとっては衝撃的事実を告げた。
「え? 魔法がないって・・・、じゃ、じゃあ、遠くに移動する時とか、魔物が出た時とか、瀕死の重症を負った時とか・・・」
「遠くに行くには免許が無いから、公共の交通機関が頼りだけど。魔物はそんなの居ないし、怪我した時は病院に行く、瀕死の場合は・・・最悪はそのまま死ぬかな。ここでは普通の事だけど?」
「そんな・・・っ」
魔法の無い世界、そんなものがあるのかと。
だが、先ほど壁に魔力を込めた男の姿を思い出し、
今はもう口を押さえることもなく、憮然とした表情で壁にもたれているメルヒオールを指差し、
「さっき壁に力を、魔力を込めてたじゃないか?」
そう質問をすれば、玲音は、あれは──、と。
「あんたも言ったように魔力を込めただけで・・・、
──あぁ、そうか。」
少年は何か納得したように頷くと、
「メルのは、あんたの神様から授かった魔力と違って、純粋に『魔』からの魔力だから。
どの世界でも『魔』っていうのは共通みたいで、魔力が使えるんだよ、でもメルも魔力はあっても魔法は使えないけどね」
こんなの感じで理解出来る?と、組んだ両手に顎を乗せ、にこやかに微笑む玲音の顔に、
自分の理解の範疇を越えた、怒濤のように押し寄せた事柄に、
ラインハルトは返事をする気力もなくなり、考えることを放棄して疲れたように椅子に身を沈めた。