体育祭は恋のバトル 1
便りが届くと言っていた三週間をとっくに越えた、梅雨前の初夏。
まだ日本にいるレオディアスとエデルトルート、そしてラインハルトは玲音の通う学校の門の前にいる。
入り口に建てられたアーチに書かれているのは《体育祭》の文字。
「さぁーって今日は、麗しのあの子の姿をしっかり記録しなければ!」
カメラやビデオを携えた重装備のレオディアスが言う。
メルヒオールに至っては、撮影の為の場所取り? と、玲音より早く学校へと向かった。
はい、これもって。と、ラインハルトもカメラを渡されるが、
渡されても流石に使い方が分からないんだけど?と、
カメラを抱えて悩んでいるラインハルトを置いてきぼりに、二人は先にアーチをくぐる。
くぐった先、バタバタと足音をたてながら急いで駆け付けてくる大小の人影。
小さい人影の小太りな男は、レオディアスに近づくと絵に書いたような笑みを浮かべて、
「ようこそいらっしゃいました、田中様!」と、
ペコペコと挨拶をしつつ、後ろについて来ていた細長いひょろっとした男に目配せをする。
合図を受けて前に出てきた男。
「この者に特別用意させた観覧席へと案内させますので、お家族の方はどうぞお向かい下さい」
そう言った後、先ほどと同じ笑みを再び浮かべ、
「つきましては、田中様にはちょっとお話をさせていただれば」と、
レオディアスを見上げて言う。
後から来たラインハルトは、男がレオディアスに向かって繰り返す「田中様」と言う名に首を傾げると、
エデルトルートが、「私達の名字というやつだよ」と教えてくれた。
「この国で暮らすには戸籍というものが必要だからね。それも日本国籍が」
そして、少し声を潜めて言う。
「だから、ちょっと手を回したんだよ」
何の手を回したのか? 何だか物騒なことを言うエデルトルート。
まぁでも本来、精霊というものは自分の好きなモノや欲求には正直だからと、今は一緒にいない金色の光を纏った精霊を思い出す。
笑みを浮かべ手もみをする男に捕まっているレオディアスを置いて、案内の男について行こうとすると、
「あ、ちょっと待って」とレオディアスが声を掛けてくる。
「僕も行くよ」
その言葉に、小太りな男が、
「田中様!? お話はまだ──」と焦ったように言うが、
「君の話と玲音の勇姿、どっちが大切かなんて直ぐにわかることだよね?」
笑みをたたえたレオディアスが言う。
「え! いや、その・・・」と、額の汗を拭う男に、
「用件なら後日聞こう。日程はメールでまた送ってくれ」
レオディアスは仕方ないと言うようにそう告げると、
ホッとした表情で、ありがとうございます。と、ペコペコ頭を下げる。そのくせ、案内のひょろ長い男には「おい! 丁重にな!」と強気に出る男。
愛想笑いを浮かべこちらを見送る小太りな男のことを、案内で前を歩く男に尋ねれば、
「ああ、あの人はこの学校の学園長ですよ」とさらっと言う。
え? 学園長って・・・。
そんな男がペコペコ頭を下げていたレオディアスを振り返る。
エデルトルートと話しながら仲良く歩く男。魔王とも玲音とも似た美しい男。
ラインハルトの視線に、レオディアスがこちらを向くのに気付き、急いで前を向いた。
(俺、ホントにこの顔に弱くないか?)
少し赤くなる顔を手で扇ぎながらラインハルトは思う。
「あ、こちらです」
助け船のように告げられた男の言葉に、案内された場所を見れば、
グランドの真正面、屋根もあるエアコン完備のガラス貼りの室内。
観覧の為に置かれた席もふかふかの高級そうな椅子で、部屋の隅には簡単な軽食と冷たい飲み物も置いてある。
何ここ・・・?と、ラインハルトが入り口で固まっていると、横をすり抜け室内に入ったレオディアスがグランドを見渡すガラス貼りの窓へと向かう。
外を眺めて、「ここではちょっと遠いな」そう言うと、
「僕はちょっとメルヒオールのとこに行ってくるよ」
入り口に立ったままの三人に告げ、カメラを抱えて出ていった。
案内してきた男が慌ててレオディアスを追おうとするのをエデルトルートが止めると、
「放っておいたらいいよ、気にしないで」
そう言い自分は座席へと向かう。
彼女の言葉に男は少し躊躇ったが、最終的にはラインハルトに軽く頭を下げてその場を去った。
ラインハルトはエデルトルートの隣へと座ると、室内を見渡しながら言う。
「凄いですねここ、わざわざこの為だけに造ったんですかね?」
「──ん? ああ、どの世界でもよくあるパターンだよ、こんなのは」
ガラス貼りの外に視線を向けたまま、エデルトルートが皮肉げに言う。
どういうことだろう?と、尋ねようとしたラインハルトだが、
小さく微笑みながらガラスの外へ向かって手を振っているエデルトルートの姿に、
その視線の先、出ていったレオディアスの姿を見つける。
レオディアスの横の後ろ姿はメルヒオールのものだろう。
面白いのは二人のいる空間だけがぽっかり空いていて、周りは遠巻きに二人の姿を見ている状態。
まぁ、そうなるわな。と、ラインハルトは思う。
あんな美形が二人も居れば。
当のレオディアスはこちらを向いて笑顔で手を振っている。その姿を見て、
「そう言えば、あの学園長は何でレオディアスさんにあんなにも低姿勢なんですか? 魔族関連?」
そう尋ねれば、手を振るのを止めたエデルトルートは、
「魔族関連かどうかは知らないが、レオディアスはこの学校に多額の寄付をしている理事だからね」
だから、この部屋にいるんだよ。と再び皮肉げに言う。
「えっ、理事って? レオディアスさんって一体何をしてる人なんですか?」
会社というものに行くこともなく、海外に居ることが多いという男に不思議に思い尋ねると、
「私もよく分からないのだけど、投資家?とか言うものらしい」
「・・・投資家? 何なんですか?」
「──さぁ?」
向こうにはない職業なのでラインハルトには分からない。エデルトルートに至っては、きっと興味がないのだろう。
まぁ、何せよ、お金持ちなのは確かだ。
ラインハルトが今居るマンションもレオディアスの持ち物だと言う。他にも何軒か不動産を保有しているらしい。
(金持ちで美形だとか・・・、どんなだよ)
ため息と共にレオディアスを眺めれば、
ぽっかり空いた二人の空間に、一人近づく少女の姿が。
(あれは・・・?)
前に玲音と一緒に帰って来ていた黒髪の少女。
覗き込むように身を乗り出したラインハルトに、
「君も行ってきたらどうだい?」
エデルトルートが苦笑しながら言う。
その言葉を受けて、ラインハルトは立ち上がると二人の元へと向かった。
グランドでは、向かって来るラインハルトに気付いたのか、
「あれ? 君も来たのか?」と、
レオディアスが声を掛けてきた。
同時に、こちらを振り返るメルヒオールと少女。
メルヒオールはラインハルトの姿に目を止めると、直ぐにまた視線を戻したが、
少女の方はラインハルトに目を止めたまま、「こんにちわ」と挨拶をした。
相変わらずのきつい視線に、ラインハルトも小さく頭を下げると、
「メルヒオール様から聞いてますよ。勇者さん」
肩までの黒髪を揺らして言う少女。その言葉に、ん?と顔をすると、
向こうを向いたままのメルヒオールが、
「そいつも一応、魔の眷属だから」と、えんじ色のジャージを着た少女を指す。
「え? 君も魔族なの?」
驚いて尋ねれば、
「いいえ、眷属だと言ってるではないですか。
私は死にかけていたところをメルヒオール様に拾われた黒猫のユキと言います」
そう答えた少女の眼鏡の奥の瞳が、一瞬金色に変化した後また元に戻る。
一瞬だが、瞳孔が縦に細くなったその瞳。
無意識にラインハルトの両手が持ち上がる。
「──な、何ですか? その手の動き・・・」
ユキが引き気味にメルヒオールの方へと下がる。
「ラインハルトは猫が好きなのだな」
両手をわきわきと動かすラインハルトを見て、レオディアスが言う。続けて、
「ユキの猫の時の姿はとっても可愛いぞ」
そんなことを聞かされれば、人間の姿のはずのユキが既に猫のように思えて、
にじり寄ろうとするラインハルトの背後から声が掛かる。
「──何、やってんだよ。ライ」
いつもより低いその声に、ラインハルトの肩がビクッと揺れる。
「あっ!玲音~、パパここから応援してるからな!」
レオディアスが声の主にそう呼び掛けるが、
玲音はそれを無視したまま、ラインハルトの横に並ぶと、
目の前の、毛を逆立てた猫のようになってる少女に、
「先輩、高等部はこっちじゃないでしょ」と、話し掛ける。
ユキはこくこくと頷くと、そそくさとその場を去っていった。
それを見送った後、横目でラインハルトを睨むと、
「──で? なんなのその手?」
静かに尋ねる玲音。
ラインハルトは持ち上げたままだった両手をそっと下ろすと、
「玲音の出番って、いつなんだ、ろうか、な?」と、何となくはぐらかすが、
玲音はそのまましばらく睨んだ後、ふいっと顔を背け、
「知らね!」
それだけ言うとさっさと行ってしまった。
「怒らせたな」
「怒らせましたね」
背後の男二人が言う。
えっ、でも別に玲音に避難されることなど何もないんだけど。と、立ち去る後ろ姿をラインハルト呆然と見送った。




