異世界へようこそ 1
勇者という名の希望をこの身に負った時から心は決まっていた。
幾多の苦難や試練を乗り越え、友や仲間達との出会いと別れを繰り返し、裏切りに絶望し、迫りくる死にあきらめが心を支配することもあった。
それでも─────、
「俺は・・・、 負けるわけにはいかない!」
勇者が振るった剣は、白刃の煌めきを残し敵を切り裂いた。
「────ぐがっああぁ!! ・・・・・はっ、・・・お前、ごと・・きに、
魔王様が、倒されるものかああぁっっ!!」
最後の力を込めた敵の攻撃、それをギリギリでかわすと、敵が再度攻撃を繰り出す前にその懐に飛び込む。
正確に急所に突き立てた剣に、声をあげることもなく倒れた敵の、その向こうに見えた物々しい扉。
二匹の絡み合う竜とリテニア古代語で『驚異なる叡知』と刻まれた巨大な二枚扉、
「・・・やっと、たどり着いた」
勇者は扉へと近づくと手を伸し、その表面に触れた。力を込めないと開かないと思ったそれは、触れただけで内側へと動きだす。
勝手に開かれていく扉の隙間からこぼれる眩しい光に勇者は手をかざし、そして──、その体は光の中へと包まれた。
勇者、ラインハルトはリテニア大陸の外れの小さな村で生まれた。
彼が10の歳を数えた時、神託が下された、勇者として魔王ヒューブレリオンを倒すことを。
リテニア大陸の全ての魔物を従える魔王、それを唯一倒すことの出来る存在である勇者、最後の希望。
託された思いに応える為にラインハルトは旅立ち、10年の歳月をかけ、ついには魔王の待つ最後の舞台へとたどり着いた。
・・・・・着いたはずだった。
「・・・・・何、ここ?」
ラインハルトの目の前に広がる部屋に魔王ヒューブレリオンはいない。
そもそも魔王がいそうな雰囲気の部屋ではない。下手をするとラインハルトの生家の寝室よりも狭そうだ。
しかも、この部屋には今まで見たこともない不思議な物で溢れている。だが、材質や形は違えども時計やベッドなど、自分でも理解できる物から推測するに誰かの部屋かもしれない。
しまった、これは間違えた。と、再び戻ろうと振り返り、目にしたその扉は
「・・・・・え?」
何の変哲もない、どこにでもある木製の片扉、竜も古代語も刻まれてはいない。
「──は!?」
それでも、開けてみようと取っ手に手を、
・・・・・取っ手がない。
「・・・はぁ?」
間抜けのように、ただ短い言葉を発することしか出来ないラインハルトの視界の端に、部屋にあるもうひとつの扉が開くのが見えた。
「玲音様ー、入りますよー」
そう声を掛け、入ってきたのは背の高い男。
黒い長い髪を後ろで束ね、しなやかな身のこなしのその体を、黒い服で覆い、その前みごろにはピンクのフリルのエプロン・・・、エプロン!?
そのあまりの違和感に、思わずまじまじと見返せば、ラインハルトの視線に気づいた男がこちらを見た。
彫刻のように整った顔、氷を含んだような冷たい黒い瞳、その顔には見覚えのがある・・・、
お前は!と、ラインハルトが言うより速く、男が言葉を発した。
「──貴様!? 光の愛し子、勇者ラインハルトか!!」
「そういうお前こそ! 魔王の片腕、氷雪の絶望メルヒオール!!」
瞬時に緊張をはらみ睨みあった二人。
ラインハルトは背中に背負った剣の柄に手を伸ばそうとして、
「ぶっ!!・・・っ、ぶっはぁ! ちょっ!? む、無理・・・」
割り込むようにそんな声が聞こえた後、二人に降りそそぐ大爆笑。
「マジ無理、ホント無理・・・、腹痛ぇー」
止まらないその笑い声に、魔王の片腕である男が深くため息をつくと、ラインハルトを見て
「聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずは後だ」
そう言うと、部屋の天井部分、二階になっているのだろうか? 簡単な梯子が設置された上部の仕切りに向かって声を掛ける。
「玲音様、そこで笑ってないで、ちょっと降りてきて下さいよー」
魔族の頂点に近い場所にいるはずの男が、えらく人間くさい困った表情で話すのを見てラインハルトは軽く目を見張る。
「やだよ、お前でさえ面倒くさいのに、何か更に面倒くさそうなヤツそうじゃん。メル、お前が何とかしろよ」
「そこを何とか、玲音様ー」
「うっさい、知らねー」
声を聞く限りは、まだ若そうな・・・声は少し高いが、少年だろうか?
ラインハルトを放置したまま会話は続く。
「ねー、玲音様ー」
何度かの攻防を繰り返した後、苛立ったような少年が上の仕切りから顔を覗かせた。
「うるさい! メル! お前それ嫌がらせだろ!? 何度も名前連呼しやがって」
「えー? 何のことですか? 別に普通に名前呼んでるだけじゃないですかー」
何故かニヤニヤした顔のメルヒオールに、苦虫を噛み潰したような顔をする少年。
魔王の片腕の見たこともない表情のオンパレードに若干引き気味で呆然としていたラインハルトに、やっと玲音様と呼ばれた少年が顔を向ける。
「あのさー、えっと、光の愛し・・・子、ぶふぉっ、いや、ぶふ。
あー・・・、ラインハルトさんだっけ?」
目に涙を貯めて言う少年に、何となく釈然としないまま、そうだ。と返事を返せば、
「ここ、俺の家なんだけど、あんたどっから来たの? 何しに?」
少年の質問はこの状況下では至極もっともなことで、ラインハルトは直ぐ様、説明しなければと
「あの扉からこちらへ来てしまったのだが・・・」
取っ手がなくて戻れないのだ。と、扉の方を指差し振り返れば、
そこには何もないただの壁。
「───はっ!?」
今日はこんなことばかりだ!と思いながらも、直ぐに壁に近づき辺りを確認するが、見たまま壁があるだけで、扉があった痕跡はない。
「いや、さっきまではっ!」と慌てて後ろを振り返えれば、二階から降りてきたのか、すぐ後ろで少年が腕を組んでラインハルトが指差した壁を見ている。
近くで見たその顔。真剣な眼差しの、長い睫毛が縁取る黒い瞳、その瞳にかかるくらいの黒い艶やかな髪、魔族の証である黒髪黒瞳。
整った顔ではあるが魔族というよりどちらかと言うと人間ぽいあどけなさ、だが、何処かで見たような・・・?
「玲音様、あまり近づきなさらぬように」
ラインハルトに近づいた少年に、釘をさすように注意しにきた男に
「メル、お前この壁にちょっと魔力込めてみろ?」
「──は?」
唐突にそんなことを言い出した少年に、何で?という顔を向けた男。いいから!と少年が促すと、仕方ないというように、メルヒオールが壁に手を当てた。
すると、壁に淡く紫の光が浮かぶ。その光は二匹の絡み合う竜の姿を形取り、しばらくすると何事も無かったかのように消えた。
「──!!」
ただの壁へと戻ったその面に、ラインハルトは触れる。
(今の紋章は魔王のヒューブレリオンの・・・?)
「うーん、今のはじいちゃんのだよなー?」
「そうですね、魔王様のですねー。どういうことですかね?」
「ん?・・・・はっ!? いやいやいやいや、ちょっと待って!」
慌てたように急に口を挟んだラインハルトに、同時に二人が不審な目を向ける。
だが、あわあわと、頭が混乱してなかなか次の言葉が出てこないラインハルトに
「何なの? 勇者ってもっと落ち着きがあって何事もにも動じないもんじゃないの?」
「本来はそんな感じだったはずなんですけどねー」
自分こそ向こうでの感じとは全然違うじゃないか!と、男が自分を差し置いてそう言うのを聞いて、
少し落ち着いたラインハルトは改めて質問する。
「ええっと、玲音くんだっけ?」
「玲音様だろうが!」とすかさず口を挟んだ男は無視すると、自分を眺めたままの玲音に
「今、じいちゃんて? 魔王ヒューブレリオンの、・・こと、だよね?」
恐る恐る尋ねた質問に、「そうだよ」と、まるで普通のことのように答えた少年。
ラインハルトの脳裏に、今までの、ここに至るまでの全ての出来事が走馬灯のように駆け巡る。
苦労も苦悩も、喜びも悲しみも、10年間の思い全て。
本来ならこんな手など使いたくはない。だが、勇者としてはあるまじき行為でも、
ラインハルトは腰の後ろに忍ばせていた短剣に手をかけると、目の前の少年の腕を掴み自分の方へと引き寄せる。そして、少年の細い首に短剣を押し当てると
「動くな!!」
こちらの動きに反応し、少年を取り返す為に攻撃を繰り出そうとした男に向かって声をあげる。
「ぐっ・・・貴様!!」
卑怯なっ!と、憎しみを込めてこちらを睨む、魔族であるメルヒオール。そんな目を、ラインハルトは知っている。
まるで逆だな。と自嘲気味に笑みを浮かべたラインハルト。
だがそう思えども、この歩みを止めるワケにはいかない。あと一歩、ほんの一歩で、魔王にまで手の届くとこに来ているのだ。
腕の中で震えるでもなく、黙ったままの少年に
「君にはすまないが、このまま魔王の元まで案内してもらえると助かる」と
せめて少しでも安心出来るようにと、ラインハルトは静かに告げた。
シリアスではない予定です!