EX チャプター3
それから数ヶ月がたった。
私と彼は『思いの木』の根元でいろんなことを話した。私が教師になることを反対している親のこと。親は私にヴァイオリン一筋で生きて欲しいこと。彼は両親が亡くなって父の兄の家にお世話になっていること。彼が自分の夢を親に話せなかったことを後悔していること。
だから、わかった。彼はただ想いがぐるぐる頭を回って道がわからなくなっているだけだった。
だから、私の入る余地はない……私が彼にしてあげる事は何もないのだと。でも、それでも彼の側に居たかった。そう思ったこの頃、亀裂はすぐそこまで来ていた。
カラカラカラ……私は自転車を押して歩いていた。いつもの家に帰る道、何も変わらない道のはずだった。
「でていけ!!」
けれど、怒鳴り声が道に響く。
「お願いします!! あいつを……自分の娘を信じてあげてください!!」
「うるさい!! お前に何がわかる、赤の他人の奴が!!」
「……なにしてるの?」
信じられない光景だった。数メートル先、家の前で父と彼がもみ合っていたのだ。
「そうか、貴様が娘を。おまえさえ……おまえさえ……」
「やめて!!」
私は走った。彼を傷つけさせないために目の前で止まる。
「……私のことならいくら言ってもいい。でも、いくらお父さんでも彼を傷つける言葉は許さない!!」
「……」
小さな声で一生懸命、刃向かった。父は少し驚いたようにそこに立ち続けた。
「行こう」
私は強引に彼の腕を掴んで連れて行く。
「待て、話はまだ」
父が伸ばした手を母が止める。
「もうやめましょう」
「しかし」
「私達は間違っていたのよ。あの子の親として、もっとあの子の味方であらねばならなかったのよ」
「……」
伸ばした手がゆっくり下ろされていく。
「味方か……」
母に支えられながら父は私達が歩いている方向だけ見た。
◇
私は思いの木に向う道を強引に歩いていた。今日だけはその道を歩くたびに怒りを覚える。
「いたい……痛いって!!」
彼の顔が苦痛にゆがむ。
「痛くて当たり前です。痛くなるように握ってますから」
「おまえ、もしかして怒ってる?」
「あたりまえです」
「結局このザマだからな」
「そういうことを言っているのではありません!!」
乱暴に手を離す。私は彼の真正面で彼の目をじっと見た。
「なぜ家に来たのですか?」
「それはおまえの親に……」
「それは『余計なお世話』です」
彼が沈黙する。
「もし、傷ついたらどうするつもりですか?」
「傷ついたら?」
「どうにかしようとしたことはいいことです。でも、それで大切な人が傷ついては意味がありません。そう思いませんか?」
「そう……だな。ごめん」
彼は反省したように頭を下げてきた。しかし、彼はまじめな顔で言い返してきた。
「でも、俺はやっぱり来てよかったと思う」
その後、彼は満面の笑みでこちらを見返してきた。私は、なぜ笑っていられるのかわからなかった。少し不愉快にも感じる。
「……どうして?」
「おまえと出会ってから少しずつ変わっていくおまえを見て、少しずつ歩きたいと思った。ここへ来て第一歩は進めた気がする」
ちょうど夕日の光と交わって照らされている彼は、最初に出会ったときよりちょっぴり背が伸びたように感じた。
「だから、俺と出会ってくれてありがとうな」
彼はまた深々と頭を下げる。まるでこれが最後みたいに。
「そんな真正面で感謝されても。こっちも出会ってくれてありがとう」
慌てて自分も頭を下げる。ちょっと驚いたけど、こっちも彼と出会って変われたから。あの時借りたビー玉が勇気をくれたから。
「あ、そういえば」
私は制服のポケットからビー玉を出した。
「これ、借りてたビー玉。もういっぱい勇気をもらったから返そうと思っていました」
私はビー玉を差し出す。でも、彼は受け取ろうとしなかった。
「いいよ、あげる」
「えっ、でも……」
「いいって! んじゃ、また思いの木で」
そう言うと彼は違う方向へ走っていった。いつの間にか怒りは消えていて、私の手のひらには小さなビー玉だけがコロリと転がった。
次の投稿は明日になります。