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初勝利

「ガッ……!?」

 大地に身体を打ち付けた衝撃と、アニミスが繰り出した『鉄拳』の打撃を受け、トラは掠れるような声を上げた。

 決して大きな声ではなかったが、それは受けた傷が小さかった事を意味しない。トラの口からは僅かではあるが鮮血が吐かれ、岩が転がる大地に染みを作る。

 アニミスも墜落時の衝撃でバランスを崩し、背中から地面に落ちてしまう。しかしトラを『クッション』として利用出来た事で減速しており、左程大きな傷は負わずに済んだ。血反吐を吐く事もなく、軽々と立ち上がってみせる。そしてアニミスはしっかりと大地を踏み締めながら、トラを睨み付けた。

 トラはまだ生きていた。

 自分の体長よりも遥かに高い場所から落ち、更にアニミスの両足の打撃を受けたのだが……自力で立ち上がってみせる。口から血がだらだらと零れているが、しばらくすると止まった事から、致命的な怪我ではないらしい。

 トラはアニミスを睨んでくる。

 もしももう一戦交えるとして、もうこの辺りに落とせるような崖はないため先の手段は使えない。仮にあったところで、トラも同じ手は食わないだろう。案が閃くまでは真っ向勝負をするしかない。

 ――――望むところだ。真っ正面から踏み潰してくれる。

 そう思ったアニミスは、トラを睨み返した。草食動物らしくない敵意と闘志に満ちた形相を浮かべ、一歩も退かない。

 しばし二匹の獣が互いの視線をぶつけ合い……やがて、トラが動き出した。

 アニミスに背を向けるという形で。

 トラはアニミスの方をちらりちらりと振り返りつつ、離れるように歩いていく。その強面にあるのは捕食者らしい獰猛さだが……同時に『野生動物』らしい、状況を正しく理解する冷静さもあった。

 格上だと認めた訳ではない。あくまで餌に過ぎないが、しかし怪我を負ったままアイツに挑むのは得策ではないだろう。

 そのように考えたのだろうか。トラではないアニミスに、トラの気持ちなど分からない。だがアニミスはそのように感じた。

 故に彼女は荒々しく鼻息を吐く。次に会ったら今度こそ一方的に打ちのめしてやる――――そう言わんばかりに。

 トラの背中はどんどん遠くなり、やがてアニミスにも見えなくなる。気配も遠く、小さくなり、脅威ではなくなった。それでもトラの気配は遠くなり続けていて、このまま身体を休められる場所まで後退するつもりなのだろう。

 アニミスが崩れ落ちるように膝を付いたのは、そうして安全を確保したと確信出来てからだった。

 緊張を弛めた途端、四本の脚から力が抜けた。立ち上がろうとしても足が震え、無理に伸ばそうとすると引き攣るような痛みに見舞われる。全身の傷口がムズムズとした痒さを覚え、筋肉が抱える熱さで身体が燃えているような気がした。何度息をしても、窒息しているような苦しさが拭えない。

 トラと戦っていた時は闘争心に満ち溢れており、小さな問題は意識にも上らなかった。されど危機が去ったと本能的に分かると、身体は途端に小さな不満を一気に訴え始めたのである。ハッキリ言って不快であり、普段のアニミスならばそちらばかりに気が取られてしまうだろう。

 しかし勝利の余韻に比べれば、あまりにもちっぽけな感覚だ。

 アニミスは勝利したのだ。種族としての天敵であるトラに、自慢の脚力を活かして逃げる訳でも不意打ちを喰らわせるでもなく、知恵と闘志を真っ向からぶつける形で。

 勿論幾らかの幸運と地の利はあった。同じ条件でもう一度戦えば、恐らくは負けるだろう。そしてトラは生きていて、きっとまたやってくる。自分ほどの大きさの獲物はこの山では他に居らず、何より捕食者が獲物に背を向けたままではいられまい……本能的にアニミスは、天敵であるトラの思考をそのように解した。

 だが、アニミスは恐れない。アニミスが見つめるのは今ではなく、未来なのだ。

 得られたものは多い。山で最強だと自負していたこの身でも、苦戦を強いられる相手がこの世界にはいるのだと知った。あんなトラ風情(・・・・)に何時までも勝てないようでは、トラより恐ろしい存在から生き抜くなど到底不可能だ。アニミスの小さな脳に複雑な事はよく分からないが、自惚れや怠惰に溺れればすぐに自分が何かの餌になるというのは理解した。

 強くならねばならない。何処までも、果てしなく、自分の想像が及ばない脅威が現れても勝てるほどに。

 このために今の自分に出来る事は何か? その答えを身体は知っている。

 アニミスの身体は成長期だ。まだまだ大人の身ではなく、もっと大きく、もっと頑強になる。完成した大人の身でも、鍛え上げれば強くはなれるだろう。しかし子供の時ほど急激な成長は見込めない。そして今のように傷付いた身体を修復する時こそ、肉体は飛躍的な進歩を遂げる。

 今のうちに強く、大きく育たねばならない。傷付いた身体を癒やすためにも大量の栄養が必要だ。今、アミニスの身体に最も必要なのはそうした栄養素を摂取する事。

 即ち食事である。

 小難しい事は分からぬアニミスであるが、だからこそ身体が覚えた強い衝動には抗わない。腹が空いたのならば食べる。野生動物として極々自然かつ当たり前の行動だ。

 そして今、この山にはアニミスの大好物であるヤマキャベがたくさん生えている。それこそアニミスにも食べきれないほどに。

 身体を動かしたからお腹が空いた。その程度の衝動に突き動かされ、アニミスは自らを強くする行動を始めるのだった。










 初めての戦いに、決して華々しいとは言えないながらも勝利した。


 身体は傷付いたが、いずれは癒えるもの。深々と跡は残れど、勲章が如く刻まれたようなもの。


 英雄への道は険しく遠い。未だ道は半ばにも達しておらず、頂きは見えても来ない。


 けれどもその一歩は、確実に踏み締められた。


 若き英雄は進み続ける。頂きに至るその日まで。一歩一歩、着実に。









 次の試練が、そう遠からぬうちに訪れるとも知らずに。




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