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閉幕

 アニミスが巨人達を打ち倒してから、半年以上の月日が流れた。

 冬を越えて春になった山では、今年もたくさんのヤマキャベが花を咲かせている。甘い蜜を含んだ花が大地を白く染め上げ、生き物達が楽しそうに辺りを駆け回っていた。気温は暖かとは言えないが、冬ほどの厳しさはなく、とても過ごしやすい。燦々と輝く朝の太陽に照らされ、何もかもがキラキラと輝いている。

 その安らかな気候の中で、アニミスはだらけていた。

 ごろんごろんとヤマキャベの花の中で寝転がり、お腹を空に向けただらしない体勢を取っている。そのだらしない体勢のまま口先を伸ばし、満開の花を食べるという自堕落な食事をしていた。巨人との戦いを経て更に大きく、逞しくなった身体であるが、驚異的な力は一端も発揮せず、ただただ怠惰を貪るばかり。傷はもう全て治っているのに、休息を止める気は毛頭ない。尤も野生動物であるアニミスに、『だらしない』も『自堕落』もないのだが。

 しかしこれほどまでにだらだらしているのは、このところ戦いがないから、という理由もある。

 巨人達は纏め役を討ち取られ、占領した王都から逃げ出した。彼等は現れた山に帰り、今では山に出来た新しい洞窟の奥底に潜んでいる。いずれ新たな纏め役が現れるだろうが、それがアニミスに匹敵する力を持つにはまだまだ時間が掛かるだろう。洞窟から出て食べ物を探す個体はどれもアニミスを恐れ、彼女の住処である山の頂上付近には近付きもしない。

 トラはそんな巨人達を獲物としているようで、アニミスの方にやってくる気配すらない。向こうとしては元々矜持云々ではなく食べ応えのある獲物としてアニミスを狙っていたので、理想の獲物が別に現れた事でアニミスと戦う理由がなくなったのである。冬にばったり鉢合わせた事もあったが、向こうはまるで戦う気がなく、アニミスも白けてしまった。

 大烏も姿を見せない。奴の獲物はネズミやキツネなどの『小動物』が主らしく、こちらもまたアニミスの住処には殆ど近付いてこなかった。死闘を繰り広げた木の実は今の時期一粒も生っておらず、そこで鉢合わせる可能性は皆無。夏までの数ヶ月は恐らく出会わないし、顔を合わせたところで向こうは戦おうとしないだろう。

 人間達も山を侵す気配はない。それどころか巨人達の王を討ち取ったアニミスを神聖視しているようで、山の麓では祭やらなんやらが行われていた。麓にあった村はこの山を観光名所にしているらしく、徐々に復興を遂げている。人間とはなんとも逞しいものだ。なんにせよ、人間が『神様(アニミス)』の棲まう山へと立ち入る日も、しばらくは来なさそうである。

 なんの敵対者も現れず、警戒心を抱く事もない日々。こんな日々が続けばだらけるのも仕方ない。むしろ無駄な体力を使わない事こそが野生の美徳である。一生命体として全力でだらだらぐでぐでするべく、アニミスは今日も一日中だらけるつもりだった。

 ――――されど、今日という日はそれを許さない。

 アニミスは唐突に目を見開き、素早く立ち上がる。全身に力を滾らせ、闘志を露わにした。アニミスが臨戦態勢に入ったのを察知して周りに居たネズミ達が逃げ、キツネや猛禽類も大慌てで離れていく。

 アニミスは山の麓の方をじっと見つめる。

 彼女は察知したのだ。そこに何か、途方もなく大きな気配があると。気配の大きさは自分と同等か、もしかすると上回るかも知れない。ここまで強い気配は、これまで感じた事もなかった。

 そんな気配が山を登り、こちらに向かってきている。

 アニミスは待った。どれほど強い相手だろうともアニミスは退かず、怯えず、己を曲げない。この地を目指すというのであれば来るが良い。敵対しないのなら好きにすれば良いし、敵対するのならば容赦しないだけの事……アニミスの発する気配の意図を知ってか知らずか、麓から来た気配の進む速さは衰えず、むしろ加速していく。

 やがて、気配はアニミスの前に姿を現した。

 それは四本足で大地に立つ、巨大な獣だった。体格はアニミスと同等。長く太い足の先には蹄があり、全身をふさふさした毛と筋肉が覆っている。細長い顔には大きな頬があり、草食動物の出で立ちをしていた。されど放つ眼光は肉食獣より鋭く、優しさは微塵もない。そして頭には二本の、捻れた大きな角を生やしている。

 現れたのはネジレオオツノジカ――――アニミスの同種だった。

 生き残りがいたのだ、アニミス以外にも。産まれて初めて出会う母親以外の同種に、アニミスは目を大きく見開いてその姿を観察する。

 現れたネジレオオツノジカの身体には無数の傷が刻まれていた。どれも細い筋のようなもの……人間が用いる銃によって付けられた傷のようだ。反面爪痕や噛まれた跡などは見当たらない。どうやら専ら人間との戦いを経験してきたものらしかった。しかしながら発する気配は凄まじく強い。人間相手とはいえ、アニミスと同等の修羅場を潜り抜けてきた事が窺い知れた。

 なお、下半身に『雄のシンボル』があったので、コイツは雄なんだなとアニミスの本能はすぐに理解した――――ちなみに雄のシンボルとは、真っ黒な毛で覆われた尻尾の事である。雌雄共に角が生えるネジレオオツノジカは、尾っぽの色で自らの性と成熟具合を示すのだ。腹の方に生えているものは、四足歩行の体勢では中々見えないので遠距離からの判別には使えない。

 アニミスの前に現れた雄は、これといった敵意を見せていない。アニミスも警戒を取り止め、雄の姿をまじまじと観察する……と、雄は不意に高々とその首をもたげ、空を見上げるように頭を傾ける。

「キュウウウウウウウウウウウウゥ!」

 そして上げるは、甲高く美しい鳴き声。

 ネジレオオツノジカの『求愛』の鳴き声だった。この雄は、繁殖相手を探し求めてこの山まで来たのである。

 アニミスの身体は、雄の求愛を受けて湯立つように熱くなった。

 一般的にネジレオオツノジカの性的成熟は三年程度であり、アニミスはまだ二歳である。しかし幾度となく経験した死闘は彼女の脳を刺激し、性的発育に関わる物質の分泌が促された。十分な餌を取れていた事もあり、分泌された物質の指示通り身体は発育し……子孫を残せるまで発達。強敵達との雄々しい死闘が、アニミスを雌としても成長させていたのである。

 野生動物であるアニミスは身体の熱さをどことなく心地良く感じ、雄の方に一歩一歩歩み寄る。雄は更に甲高く鳴き、自分を受け入れてくれた事に喜びを示すようだ。そして雄はアニミスの下に小走りのような速さで近付いてきて、

 アニミスはそんな雄の喉元に、頭突きをお見舞いした。

「グキュッ!?」

 突然の一撃に、雄は呻きを上げた。角こそ刺さらなかったが、かなり手痛い一撃。同種、しかも異性からのまさかの攻撃に、雄は何をされたか分からないと言いたげに激しく瞬きしている。

 アニミスはそんな雄の前で、『臨戦態勢』を取った。四肢を広げ、どっしりと構えを取る。ただし敵意はない。純粋に、戦うための姿勢に入っただけ。

 確かにアニミスの本能は、雄を求めている。身体は成熟し、準備も整っていた。身体の面では間違いなく繁殖可能であり、なんの問題もない。

 しかしアニミスの『感情』は違った。

 雌を前にして求愛の声一回。それで興味を持って歩み寄れば、受け入れてもらったと思って擦り寄ってくる……

 嘗めた(・・・)話ではないか(・・・・・・)

 自分はそんな安い雌じゃあない。自分と(つがい)になりたいのなら、自分と互角に戦ってみせろ。ついでに言うと最近誰ともケンカしてなくて身体が鈍り気味だから、ちょっとお前付き合え――――人間的な言語に直すと、大凡こんな事をアニミスは思っていた。

 ネジレオオツノジカに言葉はないため、アニミスは自らの意思を雄に伝える術がない。故に雄は最初、困惑したように固まっていたが……本能か、或いは『似たもの同士』なのか。雄もまたアニミスの前で臨戦態勢を取る。

 命を取るつもりはない、儀式的戦闘。されど手を抜く気は一切なし。

 何故ならどちらも、自分こそが最強だと信じて疑わなかったのだから。

「「キュオオオオオオオオオオッ!」」

 雄叫びを上げて走り出した二匹の獣が、山の頂で激突した。

 ――――巨人の長を討ち滅ぼし、獣の英雄となったアニミスは、これからも山で生き続ける。

 激しい戦いも、穏やかな時間も、悲しい別れもあるだろう。それはここまでに綴られた日々に、勝るとも劣らない、記すべきものである。

 しかし彼女が『英雄』へと至る道のりはここまで。故に彼女が英雄へ至るまでの話は、これにて閉幕としよう。

 何より。

 世界を救った英雄の、初々しい逢瀬を事細かに記すというのは、些か無粋というものである。

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