1.聞き込み
さて、開陽よりも西の方に位置する中型の都市・零央では、首都よりも一足先に秋の色が失われつつあった。
鶏頭や菊といった秋を代表する花は早々に散り、樹木は身にまとう葉のほとんどを落としてしまっている。その代わりのように果樹にはたわわな実がいくつも見られる。命が引き継がれ循環する様を直視できる季節――それが秋のだいご味なのかもしれない。
この時分、零央に吹く風はすでに冷たい。街の北と西に針のような頂を持つ高山がひしめいているせいだ。あちらの方では季節は先んじで冬となっている。だから山々のどれもが気の早いことに雪で編んだ帽子をかぶってしまっている。
もう半月もしたら山の全身が白色の外套で覆われるだろう。それが冬将軍が訪れる前触れだ。零央の秋は開陽に比べると短く、代わりに冬は長い。将軍の異名のとおり、ここで暮らす人々にとって厳しく辛い季節がすぐそこに控えていた。
街の中央にある武芸の道場は家屋が併設された昔ながらの構造をしており、そこには新たな所有者、梁晃飛が一人で住んでいた。だが初夏を境にここに二人の男女が住人として加わった。そのことを近隣の者たちは皆知っている。だが誰も二人の素性をきちんとは把握していない。
一人は二十代半ばのやけに体格の立派な青年なのだが、昼間はめったに姿を見せなかった。しかも夕方に家を出て遊び場のある界隈へと足を向けるのが日課となっているようだった。その往来の様子はたびたび目撃されている。そして朝になってまた家に戻るこの青年、きっとどこかにいい女を囲っている遊び人なのだろうと揶揄されていた。
だが本人はそんな色眼鏡で見られていることに気づいていない。いや、気づく前に本人は姿を消してしまった。「あれは意中の女の家で暮らし始めたんだな」とか「いや、金がなくなって逃げたんだろう」とか、元の噂にさらに尾ひれがついてしまっている有様である。
かたやもう一人は十代の少女で、背の高い竹に囲まれた庭の方、しばしば聞こえてくる軽やかで明るい声音から、そのくらいの年齢だろうとあたりを付けられていた。
だがこの少女、はつらつとした声は健康そのもののようだが、外出しているところを見かけた者はほとんどいない。唯一、晃飛と共に出歩いているところを見た者が一人いるが、二人の関係は従妹か年の離れた兄妹のように見えたそうだ。
では実際にはどうなのかというと――それは誰も知らない。
「……これ以上はこの付近からは有益な情報は得られなさそうだな」
道場近くの住人と井戸端会議を終えた男は、これまで知り得た事柄にゆっくりと頭を巡らせはじめた。彼の名は応双然という。廂軍の新人武官というのは彼の仮の姿だ。本当の彼は御史台の官吏、監察御史である。
「行方知らずの男については一応追尾の人間が放たれているけど、まあ話を訊く限りでは若い男みたいだし徒労に終わるんだろうな。女の方については探りを入れる価値はなさそうだし……となると残るは環屋の芙蓉くらいか」
ぶつぶつと独り言をつぶやいていた双然だったが、唐突に「くそっ」と忌々し気に吐き捨てた。
「……いい加減無駄な作業ばかりで吐き気がしてくる。監察御史に就いて以来、こんな仕事ばかりだ」
だが。
向かいの家の女が「ねえねえ」と表に顔を出すや、
「なんですかあ」
双然は一瞬にして不平を押し殺しにこやかに笑ってみせた。
表情だけではなく口調を変え、かつ声調を一つ上げて――それだけで双然の印象は二回りも若返って見えた。だがその雰囲気こそが女の見知った双然なのだ。
「柿は好き? 持ってかない?」
「うわあ。嬉しいなあ」
体全体を使って大げさなほどに喜んでみせる。
「はいどうぞ。渋は抜いてあるからたくさん食べてね」
「どれもおいしそうだ。僕、柿が大好物なんです。ありがとうございます」
だがたんまりと籠いっぱいに柿をもらった双然は、通りがかった子供の集団に「これあげる」とすべてを譲ってしまった。
「うわあ、いいのー?」
「もちろん」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
双然は甘いものを好まない。食べ物も酒も、人間関係も人生も――何においても甘いものは好きではなく、だからこそ監察御史を志したのである。この生ぬるい国内においてもっとも辛苦をなめることのできる監察御史に。
だが実際は双然の予想を大きく裏切り、せっかくこの職に就けたというのに地味で退屈な日々ばかりが続いている。とにかく捜査、捜査、捜査、そればかりなのだ。当然、自慢の武芸の腕を披露する機会も一度も巡ってきていない。
先日捕らえた元近衛軍第一隊所属の武官についても、鼻の利く大理寺――枢密院管轄の罪人を管理する組織――の人間がすぐに引き取りに来てしまい尋問の機会すらもてなかった。
「……くそっ。あいつらが来なければもっと捜査を進められたのに」
御史台とは二府――中書省と枢密院――に属さない皇帝直下の組織であり、二府が処理しきれない任を負う。それゆえ複雑かつ難解な任務が多く、一つの情報を得るためだけに随分な時や金をかけている。
それは双然の請け負っている任務についても同じで、この八年、双然はつぶれた針の穴に糸を通すようなことばかりをしていた。つまりは単調かつ困難、もっと言えば成功確率が限りなく低い退屈なことばかりを。
双然のついた深いため息は折よく吹き付けた冷風に乗ってどこぞへと消えた。
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