7.きっともう大丈夫
手負いの猫のようだ、とは空也の弁だ。
三日ぶりで目覚めた少女は、覚醒するや懲りずに獰猛なふるまいをしてきた。そばで見守る、もとい見張っていた空也にとびかかってきたのだ。
「安静にしていなくちゃだめだろ」
弱々しい攻撃をさらりとかわしながら、見えないところで空也は小さく笑ってしまった。毛を逆立て威嚇する猫を想像してしまったからだ。
椅子に座ったままで上半身を傾けただけでよけると、少女は見るからに憤った。だが懲りずに飛び掛かってこようとしたところで、空也は目の前に両手を差し出した。
「はいどうぞ」
その手の上には――蒸かした芋が載せられている。
「腹減ってるんじゃないか?」
「……えっ?」
牙を抜かれた。まさにそんな感じだった。
鋭く睨みつける少女の目が、すとんと空也の手元まで下がった途端――。
きゅるるる。
何のことか説明する必要がないほどに分かりやすい音が室内に響いた。
かああっと少女が頬を赤らめた。
それは少女が空也に初めて見せた『一般的な少女らしい』反応だった。
「ほら」
少女の上目遣いの視線が芋と空也との間を行き来する。その様が可愛くて、とうとう空也は頬を緩めて笑ってしまった。少女は空也の表情の変化に気づくと、より一層頬をほてらせ、うつむいた。
「あ、ごめんな」
謝りつつも空也は笑いをこらえるようなことはしなかった。嬉しいと思えたら笑顔でいたい、それは人として当たり前の望みだからだ。笑みを飲み込めばこの浮き立つ気持ちも薄れるだろうことは、まだ十代の若さながらも空也は理解していた。
心と体は繋がっている。
お互いがお互いに嘘をつき続けることはできない。
心と体は相反するままではいられない。
――どちらも二つで一つなのだから。
「食べな。水はそこの壺に入れてあるから好きに飲みなよ」
それでも一向に手を伸ばしてこない少女に、空也は気を利かせて席を立った。
「俺、ちょっと出てるから」
芋を机の上に置きつつ、それでも一応釘は刺した。
「勝手にここを出て行こうとはするなよ。出て行こうったって、外はもうすごい雪だからな。一尺(約三十センチメートル)も積もってるんだ」
返事は期待していなかったから、空也は「じゃ、また」と言って部屋を出た。
空也が居間に行くと空斗が複雑な表情で待っていた。むっつりとしているのは弟がこの三日間少女につきっきりだったからで、ちらりと空也を見た視線の揺れは三日前の深夜の不祥事について自責の念があるからだ。
あれ以来、あの夜について二人は一切触れていない。
床に敷いた毛皮の上に胡坐をかいて座っていた空斗は、空也の気配に気づくや、さっと顔をあげた。
「おはよう。兄貴」
「お、おう」
いつもどおりの朝の挨拶なのにやや挙動不審となってしまった空斗、その目の下には睡眠不足でくまができている。いや、あまり寝ていないのは空也も同じなのだが……空也が少女を監視もとい看護するために起きていたのに対し、空斗はひたすら怒りと嫉妬と悔恨という極端な感情をこねくりまわしていて、それゆえ消耗の度合いが大きかったのだ。しかもこの三日間ずっと、ときたら……。
「どう? 酒は抜けた?」
先制攻撃は弟の方からだった。
「……いつの話だよ」
いひひ、と笑いながら空也が台所の方へと向かう。
「朝飯さ、俺らもふかし芋だけでいいよな?」
「あ、ああ。それでいい」
「部屋あったかいな。炭を入れておいてくれたんだ」
「……お前の肩が痛まないように」
「分かってるって」
当たり前のものとして与えられる優しさとはなんて心地いいのだろう。そんなことを思いながら、空也はいまだ落ち着きのない兄に芋を手渡した。昨夜ふかしておいた冷たい芋だが、ささっと腹を満たすにはちょうどいいのだ。そのまま兄の隣に同じように胡坐をかいて座る。
しばらく二人は無言で芋をかじった。
「……あの子はもう大丈夫なのか」
兄の問いに空也は少し首を傾げた。
「さっき目が覚めたよ」
「そっか」
「なんだけどさ」
「うん」
「目を開けたなって思ったらさ、また俺に掴みかかってきたんだよね」
「なにっ?!」
「ああもう、落ち着けって。俺を誰だと思ってるんだよ。俺様は氾空也様だっつーの」
茶化した言い方だが、空也の目は兄に別のことを問いかけている。
『俺がなんて言ったか覚えてるよな?』
三日前の弟の訴えは骨身にこたえているから、空斗はありったけの自制心でもって冷静さを取り戻した。それに空也は軽く目を見開いてみせ、それからにかっと満足気に笑った。
「でもあの子さ、腹の音鳴らして顔を赤くしてうつむいちゃったんだぜ」
説明しながらも思い出し笑いしてしまう。
「全然別人みたいだったよ。ほんとはそういう感じの子なんだろうね」
なんだか今日は朝から楽しい、そう空也は思った。こんな日はずいぶん久しぶりだ。そんなことを思いつつ、ひときわ大きな口を開けて空也は芋にかじりついた。
「うん。だからきっともう大丈夫だ」




