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7.倒れ伏す

 不甲斐なさと悔しさでうつむいた晃飛の手に何かが触れた。先程台をたたいた晃飛の手に番台の親父が手を重ねたのだ。


「俺らも一緒に探してやるよ。吹雪くまでの時間が勝負だ。な、母ちゃん?」


 晃飛の手をごつごつとした手でぽんぽんと叩き、親父が背後に振り返る。女将は視線を受けると腕を組んで鷹揚にうなずいてみせた。


「そうだね。どうせ今日みたいな日には新規の客は入らないし、あんたこのお兄さんを手伝ってやんな」


 それから女将が申し訳なさそうに言った。


「宿泊客ほっぽり出して二人して出るわけにはいかないからそこの人だけで堪忍しとくれね。この宿は基本夫婦二人だけでやってるから、どっちか一人が残ってないといけないんだよ」


 晃飛は急いでかぶりを振った。


「そんなことない! 親父さんが一緒に探してくれるだけでもすっごい助かる!」


 たとえ走ることもできなさそうな腹のたるんだ親父でも、いるのといないのとでは雲泥の差だ。


「よし、そうと決まったらさっそく行くぞ」


 案の定、立ち上がった親父の身のこなしは俊敏とは程遠いものだった。それでも味方が増えたことは心強い。


「まだ探していない場所とかあの子が行きそうな場所はどこなんだ?」

「俺の家のあたり、この街の中央付近はざっと見てある。そこから色街までも一度通ってはいる」

「はあ? 色街?」

「環屋ってあるだろ」

「ああ、妓楼な」

「あそこの女将、俺の知り合いでさ」

「知り合い? ってああ、もしや芙蓉の年の離れた愛人って」


 夫婦の表情の変化に気づき、晃飛は急いで否定した。


「違う違う! あの噂は嘘だから! ただの知り合いっつーか、俺の実の親なの!」


 こんな馬鹿げた噂で貴重な味方を失うわけにはいかない。


「へえ! そりゃたまげた。あの芙蓉にお前さんみたいな大きな息子がいたなんてなあ」

「これ秘密だからな。あいつの息子だってばれたら色々やりにくいんだよ」


 眉間に皺を寄せて頼み込んでくる晃飛の気持ちは、平凡な街で暮らす夫婦にはよく理解できた。街一番の妓楼の女将はその妖艶さでもこの街随一で、世間離れした美貌は金や権力のある男たちには好まれるものの、その他大勢の民にとっては眉をしかめる存在なのである。


「分かったよ。これは私らだけの秘密だ」


 訳知り顔でうなずいた女将、続けて同じくうなずいてみせた番頭に、晃飛はほっとしつつ話を続けた。


「あの子の体調のこと、おの女……芙蓉にも相談していてさ。それであの子と芙蓉は顔見知りなんだ。一度一緒に環屋に行ったこともあるから、それで。……でもあの子は来てなかった」


 ぐっと唇をかみしめた晃飛を元気づけるように、親父がことさら大きな声で尋ねた。


「他にも行きそうなところがあるだろ? 行きつけの店とか仲のいい友達とかさ」


 環屋で応双然に類似の質問をされているが、晃飛は今度はより真実を含ませて答えた。


「ない。体調が悪くてほとんど家で過ごしてたから……」


 これに夫婦二人の顔が険しくなった。


「あれからずっと? そんなに長い間?」


 二人には珪己が宿を離れた後も床に伏した毎日を送っていたと聞こえたのだ。


「それならなおさらまずいじゃないか!」


 ばん、と大きな音が響いた。


「いってえ!」


 女将が番頭の背中を平手で叩いたのだ。


「あんた、街の人間集めな! こりゃあ総出で探さないとまずいだろう!」


 九死に一生、百人力を得た――。


「た、助かる! 恩に着る!」


 晃飛は勘定台に額がつくまで深々と頭を下げた。



 *



 結果、この夫婦の尽力により数十名の者が珪己の捜索にあたった。文字通り、町中隅から隅までくまなく捜索された。だが当の少女は見つけられなかった。それらしい人間が歩いていたところを見た者も誰もいなかった。


 昼過ぎには目の前わずか五間先(十メートル未満)が見えないほどに吹雪いてきて、そこであえなく捜索は中断された。


「先に家に戻っているかもしれないしさ」


 親父の気休めの発言はやはりただの気休めでしかなく、晃飛が家に帰っても、あの産婆が門前で待っていただけだった。


「娘さんがいなくなっただあ?」


 昨夜みたいな不思議な力で探してくれよと縋ったが、「何でもできるわけじゃあないんだよ」と悲しそうにつぶやかれただけだった。しかも「荒れた人間のすることは分からんからなあ……」と、また不吉なことを言いかけたので、


「もういい! 俺一人で探すっ!」

「あ、待てえ!」


 老婆の制止を振り切り、晃飛はまたも吹雪の中を飛び出していったのであった。




 だが老婆の言うことは正しかった。

 つまり、一人の人間のできることには限界があったのだ。


 日が落ち真正の闇に包まれた街の中、一歩先も見えないような最悪の状況の中でも珪己を探し続け……晃飛はとうとう力尽きたのだった。


 倒れ伏した晃飛の額からは異様なほど大量の汗が吹き出しており、その息遣いも非常に荒く速かった。赤らんだ顔色、小刻みに震える体、小さく体を丸めて両腕を抱え……だがそんな晃飛のことを助け起こす者は誰もいなかった。


 その夜、厳しさを増した強風が街の至るところを通り過ぎ、雪のつぶては半ば狂ったかのように辺り一帯を打ち据えた。その振動と騒音で多くの人間が眠れない夜を過ごした中、道端に倒れ伏した晃飛の全身には、無情にも雪が積み重ねられていった。


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