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6.弱音

 さっき双然と話していて、珪己がこの街で行きそうなところが他にもまだあったことを晃飛は思い出していた。それは零央に来たばかりの仁威と珪己が逗留していた宿だ。その近辺は自分で見て回りたくて、だからそれ以外のところの捜索を双然に押しつけた。


(……早く見つけてやらないと!)


 太陽はそれなりに昇ってきているが、どうにも雲が厚くて薄暗さを感じる。先行きの暗さを表出しするかのような天候の中、走る晃飛の胸中にも不安という名の同質の雲が立ち込めていった。


 しかもちらほらと降る雪からは吹雪に様変わりしそうな気配が感じられる。夕方、早ければ昼過ぎには、こうやって人探しのために動くこともかなわなくなるだろう。晃飛と、そして双然と。二人がかりで探しても今日中に見つけられるかどうか。


(……だけどあいつに打ち明けたのは良くなかったかもしれない)


 店を出る前に厨房であの料理人見習いの男に訊いたのだ。双然はよくここに来るのか、と。訊いたのはとっさの思いつきで、返答は予想以上の動揺を晃飛に与えた。


 男は『是』と答えた。


 妓女の桔梗が殺害されて以来、週に一回は聴取に訪れているという。

 曜日や時間帯はまちまちで、話を訊く相手も都度変えているという。


 用心棒をしていた呉隼平という名の男の存在、そして隼平が犯人を打ち倒したことは、店の誰かが早々に口を割ってしまったそうだ。


 そして秋口からは双然含む武官との対応のすべてを芙蓉が一人で請け負っているという。たいていは双然一人でやって来るのだが、忘れた頃に大勢で訪れ、散々にただ酒を飲んで帰っていくらしい。


 晃飛は一切知らなかった。夏の事件がまだ尾を引いていることも、それに双然が主体的に関与していることも、芙蓉がその防波堤になっていることも――。


『あの女っ! なんでそんな大切なことを俺に言わなかったんだ!』


 口汚く罵った晃飛に、魚をさばく手を止めた男は不愉快な表情を隠さなかった。


『心配かけないようにしていただけだろ? 少しは察してやれよ』


 思い出すだけでむしゃくしゃしてくるから、晃飛は走る速度をあげた。


 だがそれがよくなかったのだろう、晃飛は目的の宿から出てきた一人の若者と出合い頭にぶつかってしまった。


「うわっ」


 晃飛よりも幾分背の低い十代の若者が鼻を押さえてその場にうずくまった。ちょうど彼の鼻が晃飛の鎖骨の高さにあったのだ。


「大丈夫かっ?」


 若者の背後にいた、おそらく晃飛とそれほど年が違わない青年が、えらくあわてた様子で膝をつくと、怪我人は「大丈夫」とくぐもった声で答えた。だがその瞬間、顔を押さえる手の隙間から、つうっと鼻血が垂れ落ちた。


「……大丈夫じゃないだろっ!」


 年上の方の顔から一瞬にして血の気が失われた――たかが鼻血で。


「悪い! 急いでてさ」


 晃飛が懐から手巾を取り出し差し出すと、幾分恨めしそうに晃飛を見上げた年上の方が無言でひったくった。


「痛くないか? 大丈夫か?」

「大丈夫、痛くない。しばらく押さえとけば止まるから」

「本当か? 本当に大丈夫か?」

「大丈夫だって」


 二人の様子を晃飛は寸劇でも観ているかのような冷めた気分で見下ろしている。


 申し訳ないことをしたな、とは思う。だが大の男が鼻血ごときでうだうだ言うなんて恥ずかしくないのだろうか。今時どんな悪者でも鼻血程度で因縁をつけるなんてせこい真似はしない。


 それに今は緊急事態だ。


 大げさに騒ぐ奴らにこれ以上構っている暇なんてない。


「すまない。本当に急いでるんだ」


 片手を顔の前で立て、簡単に謝ると、晃飛は急かされるように宿の中へと入っていった。年上の方に刺すような視線を向けられたが当然無視だ。


 そして開口一番、番台に悠然と座っていた親父に迫った。


「ここに前泊まってた女の子来てない?!」

「なんだよ朝っぱらから」


 目をしばたいた親父はどうやらまだ起きたばかりのようだ。


 その親父の前、年季の入った勘定台を晃飛は乱暴に叩いた。


「ぼけっとしてないでさっさと教えてくれ! 呉珪亥って女の子がいただろ? 呉隼平っていう兄貴と夏に入る頃までここに逗留していた女の子がさあ!」

「来てないなあ」


 親父がぼんやりとした口調で応えた。そんな親父のことを晃飛がさらに問い詰めようとしたところで、親父の後ろの方から暖簾をくぐって恰幅のいい女が出てきた。


「この人の言っていることは本当だよ」


 この店の女将だ。


「そのお客さん方は二人ともあれから一度もここには来ちゃいないよ。また来るって言ってたけど口から出まかせだったのかねえって、この前もそこにいるうちの旦那と話してたところさ」


 晃飛は女将を見て、それからもう一度親父を見た。


 二人の顔を代わる代わる見比べ、やがて見るからにしおれていった。


「……そっか。ごめん騒いで」


 その変化に、登場した時からずっと睨みをきかせていた女将の表情が幾分和らいだ。


「あの子に何かあったのかい?」

「……いなくなっちゃったんだ」

「いなくなった? でもあの子はここに泊まっていた時も勝手気ままに行動していたから、すぐに戻ってくるんじゃないかい」

「今回は違うんだ。大変なことがあってさ。……あの子、ちょっと錯乱しているんだ」

「錯乱っ?」


 夫婦二人でそろって大声が出た。


「ああ、言葉が悪かったかも。混乱だ」


 晃飛はすぐに訂正したが、「それでも良くないだろう」と夫婦でまくし立ててきた。


「あの子、体が良くないんだしこの街のことも何も知らなかったじゃないか。なのにそんなことになって、しかも外は雪になってきてるんだよ?」


 女将の言い分はもっともで、晃飛はようやく味方を得た気分になった。


 この街であの少女のことを心配する人間は自分一人しかいない、自分にしか少女を護ることができない、そうずっと思いつめていたから――ほっとしたのと引き換えに弱音がぽろりと口から洩れた。


「見つけてあげられなかったらどうしようって……思って……」


 張りつめていた気が緩み、声が震えた。


「体の調子も良くないのに、すぐに見つけてやれなかったらどうしようって……」


 続きは言葉にならなかった。


 言葉に出すことで不安が真実になる確率があがりそうで、考えないようにしていた最悪の結末にたどり着いてしまいそうで、見たくもない未来予想図を脳内に描いてしまいそうで――。


 たったそれだけのことで泣きたくなって――晃飛は口を閉ざした。


(どんなことがあっても護るって、そう誓ったのに……。なのに俺は……)


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