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5.あいつはそんな奴じゃない

「そういうわけでさ、探すのを手伝ってくれないか」

「ええ、もちろん。そんな話を聞いたら手伝わずにはいられませんよ」

「助かる。……お前、案外いい奴なんだな」

「案外ってなんですか」


 ぷくうと膨れた双然の頬に、ようやく晃飛にも笑う余裕が戻ってきた。


「いや、なんかお前ちょっと他の奴と違う匂いがするからさ」

「ええっ。それは心外だなあ」

「悪い悪い」


 拗ねてみせていた双然が少し真面目な顔つきになった。


「奥さんの外見や特徴を教えてもらっていいですか」

「ああ。年は十六、でも見た目はもうちょい若く見えるかも。寝起きで出ていったからすっぴんだし、きっと髪もぼさぼさだと思う」


 そう述べたところで、晃飛は思い出したくもない過去の一つを紐解いてしまった。あ、そういえばこのところ俺が妹の髪を結ってやってたんだよな、と。


 珪己は元々自分の髪を結うのが不得意なお嬢様だから、そんな珪己を最大限に甘やかすためにやってあげていたのだろうと推察する。ちなみに田舎の子供同士ならば髪を結い合うことくらいは普通にするが、この年齢にもなって異性の髪を結うなんてことは普通はしない。恋人同士でも、夫婦同士でも。


(何が楽しかったのか、毎朝結ってたもんな……俺)


 髪を結う時になると、珪己は決まって二本の簪を手渡してきたことを思い出す。


『今日もこれを使ってくださいね――』


 思い出した。


「あ、そうそう。桃色の珊瑚の簪と木彫りの花の簪をさしていると思う」

「分かりました。でも他にもないですか? もっと分かりやすい特徴というか目印というか」

「あ、大事なことを言い忘れていた。実はあいつ、妊娠しているんだ。あとふた月か三月で生まれる予定なんだよ」

「ええっ? じゃあもうお腹も相当大きいですよね。そんな大事な時にどうして家を出ていってしまったんですか?」


 その疑問ももっともで、だからこそ答えづらい。


「うるさいなあ。お前はあいつじゃないだろうが。あいつの臨界点、限界がちょうど今来てしまったってだけなんだよ」


 硬い声音で言ってみせたものの、「でもなあ」と双然は納得がいかないようだ。


「普通、妊娠していてそんな事情も抱えた女性が家を出るなんてことあります?」


 至極まっとうな反論だ。


「実は梁先生と離縁したいだけじゃないんですか。どこかで誰か想い人と待ち合わせをしているって筋が一番ありそうですけど。それか梁先生の知らない複雑な事情を抱えているんじゃないですか?」


 もっともらしい意見は、これが他人事であれば晃飛も考慮に入れるだろう。だが今は違う。


『おそらく心が戻れば……あの子は荒れるぞお』


 あの老婆の発言、それだけが晃飛の脳内でうるさいほどに鳴り響く警報と合致しているからだ。


「あいつはそんな奴じゃない」

「梁先生?」

「あいつはそんな奴じゃない。俺はあいつのことをよく知っているし……信じている」


 机の上に載せていた晃飛の手はいつしか拳になっていた。


 ずっと黙って様子を見守っていた芙蓉が、はっと息を飲んだ。


「晃飛……お前」


 晃飛は実の母の真正の驚きにかまうことなく、いや、気づくことなく、思いのたけを熱く語っていった。


「あいつはすごい奴なんだ。頑張り屋で前向きで……どんな逆境でも一度こうと決めたら進んでいくような、不器用だけどとにかく真っすぐな奴なんだ」


 初めて出会った時から、ずっと。

 楊珪己とはそういう人間だった。


 だから晃飛は珪己に対して次第に心をゆるしていったのだ。この世でもっとも嫌いな女だというのに、仁威に特別に大切にされている憎らしい存在だというのに。


 でなければ――変な術をかけられていたとはいえ、あれほどまでに大切に扱ったりはしなかった。


「俺みたいに心が汚れていないんだよ、あいつは。すごくきれいな心をしているんだよ。それで限界がきちゃったんだよ……。俺には分かるんだ。だから俺はあいつを護りたい。あいつはそんなことを本心から望んじゃいないって、そんなことは分かってるけどさ……」


 うつむく晃飛が、そこで強いまなざしを双然に向けた。


「だけどあいつを護りたいんだ。まだ大人になりきれていないからこそ、きれいな心を持っているからこそ、悩んだり苦しんだりするあいつのこと……俺が護りたいんだ」


 どこまでも真摯な晃飛の横顔は、芙蓉が一度も見たことのない実子の表情、感情だった。


 芙蓉は即座に体を双然に向け、深々と頭を下げた。


「お願いします。うちの息子の嫁を見つけてやってください。どうかお願いします」


 双然は二人を見比べ、一つ息をついた。


「……そうですか。梁先生はあなたの子供だったんですね。分かりました。全力で奥さんのことは探します」


 顔をあげた芙蓉は泣きそうで、そうすると世間一般のどこにでもいる子煩悩な母親にしか見えなかった。それに双然は安心させるかのようにほほ笑み、あらためて晃飛に向き直った。


「じゃあさっそく探しに行きましょうか。他にも何か奥さんについて分かりやすい特徴があったら教えてもらっていいですか」

「特徴?」

「一目見て分かるような特徴とか。妊娠していること以外にも何かあるでしょう?」

「服は牡丹色っていうのか? 紫がかった赤の外套を着て出ていった。新品だしけっこう鮮やかな色だから見つけやすいと思うんだが……。あ、でも顔は普通。背格好も普通で取り立てて特徴はないなあ。うん、ほんと普通」


 最後の方、しみじみと『普通』と断言した晃飛に、双然が呆れた顔になった。


「他の男に追いかけられるくらいなんだから普通ってことはないんじゃないですか? 若く見えるってことは可愛いらしさとか愛嬌はあると思うんですけど」


 より詳しく特徴づけをするよう誘導してくる双然に、晃飛はすげなく言った。


「そんなのないない。全然普通」

「普通……ですか。じゃあ梁先生はご立派な方なんですね」

「はあ?」

「奥さんと結婚したのは心がきれいな人だからなんですよね。すごいなあ」

「そ、そうか?」


 そんなつもりはないのに思いもよらない方向から褒められたらどう応対していいのか難しくて、誤魔化すように晃飛は席を立った。


「じゃ、俺は西の方に行って、それから北の方に回る。お前は東から南の方を頼むわ。何かあったらこの店に連絡入れておいてくれ。じゃあな」


 言うだけ言うと、晃飛は室から出ていった。


「あっ! ちょっと待ってくださいよ。……ああ、行っちゃった」


 伸ばした双然の手はむなしく空を切った。


「大事なことを訊いていなかったんだよなあ。女将さん、梁先生の奥さんの名前は何て言うんですか」


 二人きりになった部屋には微妙な緊張感が漂っている――晃飛が現れる直前のように。


 芙蓉は少しの間を置いて答えた。


「呉珪亥ですよ」

「呉珪亥? へえ、なかなかに勇ましい名前ですね。奥さんはどちらの生まれなんですか? あ、言葉に訛りはないのかなって思って」

「訛りなんかないですよ。どちらかというときれいすぎるかもしれないですね」

「へええ。ってことは開陽あたりから来た人なのかなあ」

「……」

「それでこんなところまで流れついちゃったのって、やっぱりさっき梁先生が言っていたしつこい男のせいなんですかね」


 探るような視線を感じ、芙蓉の頬がやや強張りを見せたところで、双然がすっくと立ちあがった。


「すみません、つい興味が先走っちゃって。職業病なんですよね。じゃ、僕も探しに行ってきます。遅くとも昼前までにはここに一度戻ってきますから。あ、夏の事件についてはまたあらためて」

「……もういくらここにおいでになっても面白い話なんかでてきやしませんよ」

「面白いかどうかは僕が決めることです」


 かち合った双然の視線にははっきりと彼の心理が現れていた。実直さと、それとは本来真逆に位置する執念が。どちらも好奇心という隠れ蓑をかぶり一見してそれとは分かりにくいのだが、長い期間この男と接してきた芙蓉にはまざまざと二つの色が見えたのである。


(……この人はやっぱり信用しきれないね)


 私生活では絶対に近寄りたくない人種だ。


 だが母であり、しかしこの店の女将でもある芙蓉は、少しの間をおき、もう一度深々と頭を下げたのであった。



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