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2.一筋縄ではいかない男

 だが。


 調べるといっても、この件は容易に入り込んではならない禁門なのかもしれない。


 第一隊の隊長が姿を消し、それについて近衛軍将軍が口を閉ざし、さらには枢密使が語ろうとはせず手自ら葬ったことなのだから。


 だから祥歌が選んだ突破口は、本件に直接関係する李侑生と話をすることだった。元々遠回りは好きではないのだ。


 朝議の場、並み居る紫袍の官吏に混じり、祥歌はいつものごとく侑生の姿を見つけた。定位置はもちろん楊玄徳の隣だ。侑生が眼帯で負傷した片目を隠すのは、誰もがもう当たり前のこととして受け入れている。だがその姿はいつ見ても痛々しさをぬぐえない。


 若く美しく才があり……このむさくるしくも有能な官吏ばかりが集められる朝議の場において、二十代半ばにして誰よりも頭角をあらわにしていた青年は、この国の未来、無限の繁栄を具現化する至高の存在だった。


 だがその青年はこの晩春に一生消えることのない傷を負ってしまった――。


 侑生は新年からは吏部りぶ侍郎じろうに抜擢されることが決まっている。だが、それでも、侑生を見る誰もが内心では彼のことを憐れみ、そして同情していた。


 祥歌の隣では上官である礼部れいぶ尚書しょうしょ籐固とうこが身じろぎすることなく直立している。なお、蘇は年明けからは吏部尚書となることが決まっている。同じ尚書という肩書であっても中書省五部の中では吏部だけは別格とされているから、実質、この人事は蘇の昇進といってよかった。


 現吏部尚書のは、現在の地位についてから相当長く、これは死ぬまで勤め上げることになるだろうと、そう陰でささやかれていた。だから今回の人事には誰もが驚きを隠せないでいる。まさか苛が勇退という名の退任に追い込まれ、その後任にこれまたまさかの蘇が就くことになろうとは、と。それは祥歌も然りである。


 蘇という上司は本人が中庸を自負するだけあって、無難と言えば聞こえはいいが、特段大きな成果をあげたことがない。そういう男なのだ。年下の祥歌がちょっと声高に主張するだけでおとなしく言うことをきくような軟弱者でもある。


 だが最近、祥歌にも分かってきたことがある。蘇は人の使い方だけはやたらとうまいのだ。部下はもちろん、同僚、自分よりも高位の者に対してもすべからく。これまで祥歌は礼部侍郎として仕事にまい進してきたが……結局は蘇の手のひらの上で踊らされていた感が否めない。


(……なんて言ったらいけませんね)


 自戒を込めて祥歌はため息をついた。


 踊らされていたのではない。踊るための場を蘇が用意してくれていただけのことだ。踊る気のない者、その才のない者には手のひらすら見せない、そういう男なのだ。


(でもこれで吏部も少しは状況がよくなるかもしれませんね)


 蘇が入ることで膿のたまった吏部が改善されるのならば、礼部での仕事も、ひいてはこの国もよくなるだろう。そう考えるだけですぐそこに迫りつつある新年が楽しみになってくる。


 今、礼部では年明けの新年の儀の準備に余念がない。毎年のことなので、昨年の反省点を踏まえはするもののほぼ例年どおりの作業を淡々とこなしていけばいい。……だけなのだが、来年は三年に一度の科挙も控えているのでやや人手が足りていないのだ。


 そういった負担を蘇の采配で少しでも軽減してもらえれば、と思う。


(とは言っても、まずは朝方の話を済ませるべきですね)


 気になることはさっさと済ませておきたい性質だから、祥歌は朝議が終わるや、いまだ玄徳のそばに張り付いている侑生の元へと近づいた。侑生の玄徳への敬愛のほどは誰が見ても明らかなのだが、初夏には玄徳の一人娘との婚約が公となり、この二人が密な関係にあることを疑う理由は皆無となっている。


「李副史。すみません、お時間はありますか」

「おや、馬侍郎。なんですか」


 顔を向けふわりとほほ笑んでみせた侑生だったが、その一つの瞳には確かな感情が見えた。


『やれやれ。面倒な人に声を掛けられたな』


 それを祥歌が悟れる程度に示すあたり、やはり侑生は一筋縄ではいかない男なのである。


「お訊きしたいことがあるのですが」

「今すぐに、ですよね」


 やや皮肉げな言い方は祥歌がせっかちなことをよく理解しているからだ。だが祥歌はそれにうなずいてみせた。


「ええ。今すぐに」


 皮肉ぐらいいくらでも言わせてやる。それよりも早く要件を済ませろ。そう言いたいのだ。


 当然、祥歌の意思はしっかりと侑生に伝わっている。お互い言葉を使わずともある程度の意志の疎通は図れるのだ。でなければ魑魅魍魎ちみもうりょうのすくう宮城で上級官吏など勤められない。


 紫の袍衣の奥で、分かるか分からないか、そういった程度に侑生の肩が下がった。たぶんそっとため息をついたのだろう。面倒だなと思いつつ。


「侑生」


 二人の会話を黙って見守っていた玄徳が言った。ただ一言、侑生、と。


 すると侑生の背筋が伸びた。これまた袍衣の奥底で、分かるか分からないかといった程度に。


 思わず祥歌は笑ってしまった。くすっと、堪えきれずに。


「どうしました?」


 ややきょとんとしたのは玄徳で、少し眉をひそめたのは侑生だ。


 こほんと一つ咳払いをする。


「さて。どこで話しますか」

「どこでも。私の部屋でもあなたの部屋でも」

「では私の部屋で」


 そう言うや侑生がさっさと歩き出した。どっちがせっかちなんだと呆れつつも、あとを追おうとした祥歌は、すれ違いざま玄徳と目が合った。すると玄徳がにこっと笑った。陽だまりのように柔らかく。不意打ちの笑みに、祥歌は一拍遅れて会釈をした。

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