序章
長らくお待たせしました!
本作は推敲の時間を取りたいため前作までのように日々更新はできない予定ですが、お付き合いいただければと思います。
零央を出た晩夏以来、袁仁威は孤独な旅を続けている。
一人身で急ぎではない旅路、しかも身を隠しながらの移動となると、人並みはずれて体躯が大きく目立つ容姿をしている仁威にとっては徒歩の方が利点が多かった。街道を避け、人の住む一帯も通らないようにし、ほとんど日の光が刺さない山林の中を徘徊するように進み続けて――かれこれひと月が経とうとしている。
季節柄食べられるものは至るところで見つけられるし、水はいたるところで沸いている。晴天ばかりがつづく異常気象のおかげで野宿が苦になることもない。たまに猟師の気配を感じることもあるが、相手に気づかれるよりも先に進路をずらせばことは足りる。
そうやって仁威は一人きりの旅を続けていたのである。
黙々と歩くだけの日々は、やがてこの青年を深い思索の世界へと誘っていった。
西門州と砂南州の境、真昼でも日光がわずかに差し込む程度の深い森が茂る峰へと入っていくと、その傾向はいよいよもって顕著となっていった。
さわさわと吹き抜けていくそよ風、聞こえるかどうかといった程度の葉のこすれ合う音、薄暗い森の中を進むその姿は己が精神の深層へと踏み込んでいく隠者のごとくだった。
ここには仁威の思索を阻害する存在は一切なかった。あるのは仁威そのものだけだった。己がこれまで培ってきた経験、能力、様々な事実、そして心一つだけだった。
無心になって歩き続けているつもりでも仁威の脳は考えることを求めた。そんな時、幾度も思い出してしまうことは決まっていた。順序や頻度は違えど思い出すことは限られていた。
(あいつは元気でやっているだろうか)
(あいつは心配しているだろうか)
(心安らかに暮らせているだろうか)
連鎖して思索する方向も限られていた。
(……このまま俺は消えてしまった方がいいのだろうな)
(……いや、そうするべきなんだろう)
これからのことについて何度も考え、めい想するたびに、同じ結論に帰着するのだった。
それからさらにひと月が過ぎた頃、仁威はようやく砂南州の地を踏むことができた。
山を下るとまずはこの地特有の砂嵐の洗礼を受けた。ざらつく砂の粒子を含んだ乾いた風、それゆえの荒涼とした大地、それが砂南州という場所だったのである。
見渡す限りの地平線には低木が散見されたが、どこを見渡しても木々や丘、建築物といった風を防ぐ機能を有する物はなかった。草ですら硬い大地を割るようにまばらに生えているだけだった。薄茶色の土や砂による地平線上、街や村らしき平屋の集合体がちらほらと見えるが、遠目からだと大海に浮かぶ小島程度の存在感しかない。
仁威は背負っていた袋から薄い外套を取り出すと、肩にかけ、顔の下半分までを覆った。
季節はすでに秋の中盤に差し掛かっていた。だがここでは分かりやすく典型的な秋は見つけられなかった。わずかな樹木は艶のある緑の葉を豊かに茂らせていたし、足元に咲く野の花は小さいながらも色鮮やかなものばかりだったからだ。
零央や開陽での夏とそん色ない強い日差しが燦々と照り付けるのに、仁威はめまいすら覚えた。
記憶をたぐり、街道のある方に向かって歩みを進めていくと、次第に幾多の人とすれ違うようになった。仁威にとっては約ふた月ぶりの人間との遭遇である。
だが誰もが仁威のように口元を布で覆っていた。なかには頭巾をかぶっている者、目に砂埃が入るのを嫌いうつむき腰を曲げて歩く者までいた。これまたこの土地ならではの光景だ。
(こういったところに住むのもいいのかもしれないな)
ある程度暖かく、他人が生活に踏み込んでくる可能性が低く、かつ素性を隠して暮らせる土地。そんな終の棲家を仁威は求めている。もちろん定住する必要はない。だが移動を繰り返すほどに危険は増すから、できるだけ同じ場所に住めればとは思っている。
仁威は頭まで布で覆うと、目立たない程度に歩む速度を速めていった。
(……だがどこをどう歩こうとも何も変わらないのだろう)
向かいから吹き付けてきた突風に目を細める。
山を踏破する過程において、仁威は己が一生を達観するまでに至っていた。
(どこをどう歩こうがどこに住もうが、俺の人生も末路も何も変わりはしない)
(一人朽ちていくだけのことだ)
それは仁威にとって本来喜ばしいことのはずだった。これ以上誰にも迷惑をかけず、自分が思い描く理想の生き方ができればそれでいい。犯した罪を雪ぐことにこの生涯を捧げることができればそれでいい。それこそが本望なのだから……。
なのになぜかその想いは仁威の胸を小さな針のように傷つけたのだった。
本作でも特異な名称へのふりがなは初回のみつけさせていただきます。