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私のお節介なゴースト  作者: ツナ缶
1章 目が合って、手を取って
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6話

「いえ私としてもそれは些か早すぎると思いますので、部屋の外でも大丈夫ですはい」


 太陽も落ち、時刻はすでに街中に夕食の香りが家々から立ち込め始める頃。すっかり颯太の行き着け(勝手に)となっている宿屋の一室で、颯太が正座していた。


「前も聞いたけど……早すぎるって何が?」

「とにかく、一緒の部屋ってのはダメです。ダメなので俺は別の部屋でこっそり寝ます」


 すでにこの宿に空き室があるのはリサーチ済みだ。颯太としては当然のように別部屋で体を休めようと思っていたのだが、そのことを告げるとクインが難色を示し、今に至る。


「その……今まで自分の部屋で一人で寝てたけれど、こうして知らない部屋で一人って初めてだから……怖いの」

「平気な顔で野宿してたのに?」

「だってあなたが近くにいたじゃない」


 またしても全幅の信頼をぶつけられ、颯太も二の句が次げなくなる。護衛、という意味ではもちろん一緒の部屋にいた方が双方安心するし、何よりクインの恐怖を和らげるためだというなら、颯太としてもやぶさかではない。


「……わかった。ソファーにでも寝かせてもらうよ」

「え、ベットだって広いんだから、一緒に寝ましょうよ」

「怖いもの知らずか君は」


 全幅の信頼もここまで来ると若干恐怖を感じる。


「昨日もそうだったけど、私誰かと寝るのって初めてで楽しいの。それに、なんだかとっても安心するし」

「……まあ、君が安心するっていうなら、そうしますか」


 結局のところ、颯太の自制心の問題だ。そもそもこの一ヶ月でどれだけそういう類のチャンスがあったのに手を出そうとしなかったか。人並みの欲望は持ち合わせちゃいるが、持ち前の善性はこんなところでも発揮する。

 今の颯太にとって、クインが言う望みの一つ一つが、叶えるべき目標だ。彼女がやりたいと思ったことは、極力拒否したくない。甘やかす、というつもりはないが、叶えられる願いは叶えたいのだ。颯太が我慢すれば解決する事態ならば迷う余地はない。


「やった。それじゃあたくさんお話しましょう。ソータがこの一ヶ月、何をしていたのか、ソータがいた世界のこととか、たくさん」


 両手を重ね、口元に運び微笑むクイン。その笑みを見て、颯太は苦笑ではなく同じように笑ってみせた。

 今クインが言ったことは、颯太がずっとこれまでしたかったことに他ならない。この世界に来て一ヶ月、ただそれだけを望んでいたと言っても過言ではないほどだ。どういった理由でこの世界に来たのか、その謎が明かされなくても、誰かと共有したかった。


「って言ってもなぁ。この一ヶ月、俺ってロクなことしてないぞ」

「それじゃあ、まずあなたがこの世界に来て何をしたの?」

「狼みたいな顔した獣人の顔面ぶん殴って、剣を振りかざして脅した」

「……あなたもけっこう怖い人よね」


 クインのごもっともな指摘に、颯太は苦笑いしかできない。


「まぁ、色々あったんだよ」


 それから颯太は、クインにせがまれるままに話した。自分がこの世界に来てからしてきたこと。前の世界、日本という別世界の話のこと。あまりにも荒唐無稽に思えるような話でも、クインは目を輝かせ、楽しそうに、悲しそうに表情を変え聞き入っていた。


「……聞けば聞くほど、本当にあなたって普通の人なのね」


 日本での生活を簡単に話し終えた颯太の顔を見つめ、クインがしみじみと呟いた。


「まぁ、ね。自分で言うのもなんだけど、平々凡々な生活をしてきたと思うよ」


 大きな不幸も、大きな幸福もないごく普通の、なんの変哲もない一般家庭に産まれ、生きてきた。颯太が思い返す自分の人生の中に、こうして異世界に単身放り出される理由なんて少しも見当たらない。仮にあったところで、理不尽極まりないと思っているが。


「……ねえ。あなたには、やりたいことってないの?」

「昨日も言ったけど、俺は君の手伝いがしたいよ」

「うん、それはありがたいのだけど……そうじゃなくて。私を抜きにして、あなた自身がこの世界でやりたいことよ」

「…………えーっと」

「え、そんな難しいこと言ったかしら」


 腕を組んで本格的に悩み始めた颯太を見て、クインが苦笑いを浮かべる。


「いやだって。君に出会う前は、そもそもそれ以前の話っていうか……」


 目標も指針も何もかもない生活だったのだから、望むことなど一つしかない。誰か自分を見つけてくれ。それに尽きる。


「……あなたは私の手伝いをしてくれるって、それ自体はとても嬉しいし、ありがたいと思うわ。でも、私だって、あなたの手伝いをしたいのよ。あなたの方が、私よりもずっと辛い境遇なのだから」


 着の身着のまま何の説明もなく異世界に放り出された颯太を思いやるクイン。その優しい彼女を颯太は呆気に取られた顔で見返す。

 颯太自身、それなりに好き勝手過ごしてきたせいか感覚がだいぶ麻痺しているが、冷静に思い返してみれば境遇としては最悪の一歩手前もいいところだ。偶然思い至って城に散策に出かけたからクインと出会えただけで、今も一人街中で文字通り亡霊の如く彷徨っている可能性もあった。


「やりたいこと……か」


 腕を組んだまま、颯太は天井を見上げた。将来の展望に希望を見出すなど、心に余裕が生まれたからこそできる行いなのだと、遅れて気づく。

 帰りたい。日本に。自分の住んでいた世界に。その気持ちは残っている。なくなることなどありえないけれど、その選択肢は選ぶことなどできない。例え、今この瞬間に、日本に帰れるなんらかの手段が見つかったとしてもだ。

 首を下げ、目の前のベットに座る少女を見る。この子は、自分が連れてきたのだ。あくまで本人の意思によるものとはいえ、持ちかけたのは颯太なのだから。その責任を、経緯をなかったことになどできない。

 彼女の願いを叶えつつ、自分のやりたいことを――


「俺たちと同じ、黒髪の人間を探そう」


 颯太の提案に、クインの目が見開かれた。


「俺と同じ世界から来た人かもしれないし、君と悩みが共有できる人間かもしれない。もしかしたらこの国には全然いないだけで、他の地域では黒い髪と瞳を持つ人っていっぱいいるかもしれない」


 想像でしかない言葉を並べていくにつれ、颯太の中で思いつきの割にそれは確かな希望となって形作る。


「そこでなら、きっと君も普通に暮らせる」

「……なんだか、結局私のためになってない?」

「そうでもないよ。そこでなら、俺がこの世界に来た理由もわかるかもしれない」


 誰がいったいどういう理由で颯太を呼んだのか。颯太でなければなかったのか。誰でもよかったのか。今となっては率先して知りたいわけではないが、今後の指針にはなりえた。


「それなら、明日から準備しないとね」


 颯太の提案を一切迷う素振りすらなく受け入れ、クインが笑う。


「旅の準備って、何からすればいいのかしら」

「……さぁ」


 両手を上げ、さも「わかるわけないじゃん」とでも言わんばかりの顔で答える颯太を見て、クインが堪えきれずに噴出す。


「お互い勉強しないとね。私も外は素人だし、あなたもこの世界の素人だもの」


 口に手を当てて笑ったクインは、そのままあくびをする。淑女らしく口を大開きにすることもなく、開いた口を手で隠しながらだが、眠気によるものか目は少しばかり虚ろになる。


「……そろそろ寝ようか。俺はちょっとその辺りを散策して、色々と回収してくるから。そのうちにお風呂にでも入っておいで」

「回収?」

「溜め込んだ食料とか、まぁその辺りを」

「……なんだかネズミみたいね、あなた」


 否定できるような生活を送っていなかったので、颯太は苦笑いを浮かべて部屋を立ち去ろうとする。


「――失礼します」


 故に、突然開いた扉に強かに額をぶつけることになる。


「……お怪我はありませんか、お嬢様」


 突然宿の一室に入ってきた女性。クインの侍女であるフィリスには颯太の姿が見えないので、自分が開いた扉に何かが当たった衝撃を感じ不思議がりつつも、部屋にいるクインを見て安堵の息を吐いた。


「え……フィリス……? ど、どうしてここに」

「うら若き女性が一人で宿をとるなど、どうしたって悪目立ちするものですよ。少し調べて回ればすぐにわかります」


 目立つ黒髪はローブで隠しているとはいえ、そもそもそうやって隠している様が目立つ。目ぼしい宿屋の主人に硬貨を握らせれば、よほどの高級店でもない限り口を割ってしまうものであり、隠し通せるものではない。

 額を強打して悶絶している颯太も、城からの追っ手の存在を考えていなかったわけではない。忌まれているとはいえ、王族の血を引く者が一夜の内に姿を消した。しかもその日中には何者かの襲撃を受けているのだ。警戒していて当然のことだし、王族としても隠し通したい存在のクインが外に出れば、何かしらの行動は起こすだろうとは思っていた。

 てっきり兵士の一人や二人ぐらいだろうと予測はしていたが、侍女が一人で誰も付けずにやってくるとは思っていなかった。現に開いた扉の向こうには他の人間の姿は見えない。無理矢理連れ帰りにきた、ってわけでもないのだろうか。

 いつでも何かに対応できるように、颯太は起き上がり身構える。

 比較的早く冷静になれた颯太だが、クインの方はそうはいかない。悪戯がバレた子どものように、アワアワと慌てふためいているのが表情で丸わかりだった。


「ち、違うのよ? 私一人でここまで来たのだからね! 他に誰もいないんだから!」

「クインさん。たぶんあなたパニクってる時にあまり喋らない方がいいタイプだ。黙って」


 フィリスはジロリと睨みつけるように室内を見渡す。


「……何者かが、いるのですね」


 黙って、と言ったタイミングが悪かったと颯太は頭を抱える。ここで何も答えず沈黙を貫いてしまったらそれは肯定と同意だ。


「――穢らわしい」


 恐れられるのは、怖がられるのは慣れていた。

 しかし、心から、本当に憎い相手に向けるような侮蔑の表情は、正確に颯太に向けられたわけでもないのに、息苦しくなるほどの圧力を感じた。


「あなたは、母君がいったいどういうことをされたのか、理解しているのですか」

「ソータは違うわ。お母様を襲ったゴーストとは別で――」

「ゴーストというだけで、この世界に存在していいわけがないのです!」


 激昂、とも言うべきほどの迫力を持って、フィリスはクインの言葉を一蹴する。


「災厄の前触れ! 悪しき元凶の発端! 理からの異端者である奴らが、この国で、世界でどれほど恐れられ疎まれているか、あなたが知らないはずがないでしょう! それなのに、どうして平然と共にしていられるのですか!」


 フィリスの視線は忙しなく室内を睨みつけ、見えはしない颯太に向けて敵意を振りまく。


「確かに私はあなたに外の世界を知るべきと言いました! ですがそれはしかるべき手順で、しかるべき供を連れてということです! 穢らわしいゴーストと共にするなど、あってはならないことです!」


 叱られたことは何度もあった。クインの教育係であったフィリスの言葉は、厳しくもあるが優しさを滲ませたもので、両親との交流を望めないクインにとって、母の言葉と同意のものであった。

 だからこそ、力任せに、敵意と侮蔑をごちゃ混ぜにした物言いをするフィリスの姿に、クインは何も言い返すことができない。意気地がないのではなく、状況が飲み込めないのだ。


「……ここは、素直に従っていた方がいいよ」

「でも……」

「見つかった以上、素直に城に戻って。またしっかりと準備しよう。今回は……性急過ぎた」


 出会ってその日のうちに連れ出した。あの時の勢いや感情を否定するつもりは更々ないが、近しい人の激昂を受けて、平然としていられるほどクインの気持ちは固まっていない。颯太もここまで反対されている中、クインを無理矢理連れて逃げることは心情的にもできなかった。

 フィリスの言葉は颯太にとって刃物の如き鋭さを持つが、その言葉の発端はクインへの紛れもない愛情だ。無碍にすることはできない。

 颯太の言い分を納得はできないまでも、理解したクインは一度唇を強く噛んで。


「わかったわ。フィリス」


 一言だけ呟き、了承してみせる。だがその表情は渋々、子どもが不貞腐れているとしか見えないほどの幼げな表情だ。内心が透けて見えるかのようなクインの姿を見て、フィリスは深々とため息を吐く。理詰めで説得したところで納得は得られない。


「城に戻りましょう。今ならまだ、王の耳には届いてはいないはずです。あなたが私に残した手紙も、すでに処分していますので誰の目にも触れていないはずですから」

「す、捨てちゃったの!? ひどいわ! せっかく書いたのに!」

「あんな走り書きで私への感謝の言葉しか書いてない手紙なんて、王には見せられません。帰りましょう。早く、悪しき存在から離れないと……」


 颯太は極力物音を立てないようにクインに近づいていく。


「明日、また城に入り込むよ。もっとちゃんと準備をしてから、君を迎えに行く」


 単純な余所見でも、きっと気が立っているフィリスは目ざとく気づくだろう。それが理解できていたクインは颯太の方へ極力視線を向けることなく、小さく首肯してみせた。

 旅の計画や準備もないまま、二人は勢いだけで飛び出した。ならば今度はもっと、しっかりと計画を立てようと、一度の失敗でめげない家出少女のような、胸に期待を秘めたままクインは部屋を出て行く。


「……お嬢様。ゴーストはついて来ているのですか?」

「いいえ。来てないわ。ちゃんと話がわかる人ですもの。今の私たちの話を聞いて、身を引いてくれました」

「……疑わしいですが、信じましょう。どうせ、我々には見えないのですから」


 クインの後に続いてフィリスも部屋を出ようとするが、急に振り返り。


「念のため、やっておきましょうか」


 着ていた服のポケットから取り出した小瓶の蓋を開け、中身を部屋中に撒いた。


「……冷てぇ」


 狙いを定めたわけではないだろうが、見事に透明な液体が颯太の顔面にかかる。


「な、何をしているの?」

「教会からいただいた、清めの聖水です。ゴーストにどれほどの効果があるのかわかりませんが……」


 油断なく、見えはしない颯太を睨みつけるように室内を見渡すフィリスを見て、颯太はずぶ濡れのままため息を吐いた。そのフィリスの向こう側で不安そうに表情を歪めるクインに向けて苦笑を浮かべる。


「ただの水だよ……たぶん。なんか、ちょっぴり良い匂いがするぐらいで」


 何らかの香料が混じっているのが、ほんのりフローラルな香りが立ち込める室内を眺め、フィリスは踵を返してクインを連れて去って行った。


「……嫌われてるなぁ」


 颯太のこれまでの人生で、一切の悪意をぶつけられたことがないわけではない。嫌われることも、現代社会の日本で生きている限り多少なりともあった。けれどそれは、颯太自身に問題があったことだからと、颯太は認識している。

 自分の意思とは関係のない部分で、どうしようもない理由で存在そのものから忌み嫌われる。


「……ま、考えても仕方ないか」


 それを仕方ないと割り切るようになれていた。

 突然、気がついたら異世界に放り出され、そこでは万人に忌み嫌われる存在として、誰にも気づいてもらえない日々を強要された。業腹だし、納得はいっていない。やさぐれる気持ちがなくなることなどありえない

 でも、割り切らなければならない。仕方ないと、そうやって諦めなければこの先どうしようもないのだ。


「……この水浸しの部屋、ちゃんと迷惑料とか払ってくれるんだろうな」


 宿屋の受付でどんな交渉をしたのか颯太には知る由もないが、ある程度の後始末はしてくれているだろう。

 そう考え、颯太は宿から出た二人に出くわさないように、窓から飛び降りて外に出た。

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