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私のお節介なゴースト  作者: ツナ缶
4章 たったそれだけでよかった物語
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3話

 宿の一室で向かい合う二人の男。その表情は、ひどく対照的だった。

 片方は、睨みつけるような目つきで相手を見据え、手には短剣を握り締めている。

 そして、その殺意を向けられている側は。


「…………」


 不気味に思えるほど、満面の笑みを浮かべながら、その殺意を受け止めていた。


「……楽しそうだな、あんた」


 警戒は緩めず、けれど毒気を抜かれるような相手の反応に呆れたように颯太は言う。皮肉を込めたつもりでも、話しかけれられた男、ゴーストは気づかずに笑みを濃くした。


「ああ。楽しいね。誰かと話ができるなんてもう何年ぶりかわからねぇし」


 依然として見た目は醜悪でも、満面の笑みを浮かべられると対応が難しい。不摂生を繰り返した末の見た目は、それだけの期間をたった一人で過ごしてきた証拠だ。

 誰からも認識されるようなことがなければ、自分の見た目など気にしないだろうし。事実、颯太もクインと出会うまでの一ヶ月の間、自分の服を洗濯する作業の虚しさを覚えてやめてしまおうかと考えたこともあった。

 結婚式を目前に控えた村に突然現れたゴースト。その存在を明るみにしてはただ混乱を招くだけだ。今、颯太とゴーストが宿の一室で相対しているのを知っているのはクインとリア。そして狩猟者の二人のみ。

 突然何が起きてもいいように、リアはオルヴァーとヘレンの傍に控え、クインはこの部屋の外でいつでも魔導を行使できるよう、部屋の至るところにマナを張り巡らせている。

 それでも、いざ目の前のゴーストが……敵に回ったとき、対応できるのは、颯太だけだ。


「……それで、あんたは何者なんだ」


 単刀直入に問いかける。颯太の遊びのない質問に、ゴーストは呆気にとられることもなく腕を組んだ。


「何者……ねぇ。いや、はぐらかすつもりはないんだが、俺も自分が何者かわからねぇんだよな」

「名前は。どこから来たとか……日本って地名に、憶えはないか?」

「……薄っすらと聞き覚えはあるんだ。でも、長いことずっと、自分のこととか何も考えないで生きてきたからな。名前も、どこから来たかも全然憶えてねぇや」


 あっけらかんと語る口調から、嘘やはぐらかそうとする意思は見えてこない。思っていることをそのまま口にしているかのような……本当に、何年、何十年ぶりに言葉を発しているかのような。そんな、たどたどしさがあった。


 顔立ちは、ほとんどが脂ぎった髪に隠れて見えていないし、掠れた声から年を察することもできない。警戒心を解いて近づいてまで確かめようとも思えなかった。


「……たぶん、あんたは俺と同じ、ゴーストってやつなんだと思う」

「ゴースト、ねぇ……そういや昔、俺が何かしでかすと、そんなことを言ってる奴らがいたな」


 まだうまく笑うことはできないのか、ヘヒャヒャ、と小汚く笑う。


「俺と同じってことは、あんたもゴーストなんだろ? へっ、へへ。俺を見てくれて、かつ同類の奴と会えるなんて、今日はなんて良い日なんだ」


 体を動かさられるほど、彼の長い年月を感じさせる饐えた臭いが立ち込める。極力顔には出さないようにしてるせいか、睨みつけるような目つきがやめられない。

 訝しげな視線すら、向けられることに嬉しくなる。

 その感覚は颯太にも覚えがあるからこそ、親近感のようなものを心の中で感じてしまう。

 ……目の前の男は、自分の辛かった一ヶ月を知っている。いや、それどころかきっと、何年、何十年も、たった一人で過ごしてきた。

 一ヶ月だけで、颯太にはもう二度と過ごしたくないと思うほどの空虚さだ。心が壊れ、立ち振る舞いや言動に粗暴さ目立っても仕方がないのかもしれない。

 クインを殴ろうと事実をなかったことにはできないが、敵意を露にしたままでは冷静に話を聞くこともできない。

 颯太は深々とため息を吐き、向けていた短剣の切っ先を下ろす。


「まずはゴーストについて説明したいんだけど……マナ、ってわかるか?」


 口調を改めようとも思ったが、今更敬語を使って恭しく話すのも手遅れに感じ、そのまま話す。颯太のぶしつけな口調にもまったく気にかけず、ゴーストは笑顔のまま首を横に振った。


「そこからか……俺もうまく説明できるような気はしないから、わからなかったらその都度質問してくれ」


 今までクインやリアから教わったこの世界の理、マナについてたどたどしくも説明をする颯太に、ゴーストは黙って耳を傾けていた。

 この世界にはマナという超常の存在があり、自分たちはその集合体だということ。死因すら理解する前に死に絶え、世界の枠を超えて反映されてしまった、偶然の産物だということ。

 それらの突拍子もない説明を、ゴーストは相槌すら打つこともなくただひたすらに黙って聞いている。

 不気味にまで思うその傾聴具合に、颯太は一度喉をゴクリと鳴らした。


「……だから、少なくともこの村で、俺以外の誰かにあんたの姿が見られることはない、と思う。この村の中じゃ、あんたはもう姿が見えないゴーストっていう存在だから」


 一度そう認識されてしまえば、ゴーストの存在を視認できるようになるのは難しい。すでに村の中では不可視のゴーストという不気味な存在がいるかもしれないという噂がある以上、そう簡単に覆ることはないだろう。


「……なるほどなぁ。それが、俺が今まで誰にも気づかれなかった原因か」


 腕を組んでうんうんと頷くゴーストを見て、颯太は自分の説明に疑問を懐く。


「……普通、何年もこの世界で生活していて、誰にも気づかれないなんてことありえるのか?」


 ゴーストに聞き取られないほどの小声で眩いた、浮かび上がってきた疑問。

 颯太ですら、一ヶ月間彷徨っただけでクインと出会うことができた。それ事態は紛れもない偶然で、颯太にとっては奇跡だとすら思えていることだが、ただ目撃されるだけならばそこまで確率の低いものだとも思えない。

 例えば、親から逸れて泣いている子どもの傍にゴーストがいれば、きっといとも容易くゴーストはその願望を反映して、その子どもの親の姿を成り代わるだろう。

 たまたま颯太はそういう場面に出くわさなかったし、人知れずやっていた人助けも遠くから魔法を使っていたから、人目に触れることもなかったたけの話だ。

 ただでさえこれからの颯太の旅は、どうやってそういった人の目に触れずにいられるかが問題になってるというのに。何年、何十年も、颯太よりもずっと長くこの世界を放浪してきた目の前の男に、そのチャンスがなかったとも思えない。


「……なぁ、あんた、何年ぐらいそうやって生きてきたんだ?」

「あ? さっきも言ったけどほとんど憶えちゃ……ああ、なんか段々と思い出してきたな。ここ数年はずっと別の村や町を転々としてたし、ゴーストだなんだと騒がれるとめんどくせぇから静かにしてたつもりだ」

「……その割には、二日前に思い切り見ず知らずの人の腹を蹴り抜いてなかったか?」

「おいおい見てたのかよ。んじゃやっぱりあの時目が合ったのも気のせいじゃなかったんだな。声かけてくれたらいいのによ」


 何の罪もない人に暴力を振るっても、悪びれるどころか飄々と笑っている。

 その、残忍さを残忍とすら思わないような態度が、どうしても颯太の癇に障る。


「……じゃあ、次の質問だ」


 切っ先は向けずとも、短剣を握り締める手に力が入る。


「あんたはこれまで、その見えない体を使って人を……女の人を、襲ったことはあるか?」


 乱雑に伸びて脂が浮いた黒い髪に、淀んでいるかのような黒い瞳。

 願わくば出会いたくなどなかった要素を持つ男に向けて、颯太は問いかける。


「……うーん」


 目つきに敵意を戻し、颯太は腕を組んで悩むゴーストを睨みつける。


「正直に答えてくれ。返答次第によっては――」

「あ、いや……正直に答えるつもりなんだけどさ」


 颯太が持つ短剣に少しも意識を払う素振りもなく、



「数が多すぎて、いったいどれのことを言ってるのかわからねぇなって」



 飄々と、笑いながら、そう口にした。


「――――」


「あ、もしかして、数じゃなくてやったことあるかって話か? それならあるよ。つい最近も、前にいた町でも何回か。で、――それがどうかしたか?」


 笑いながら、口にしている。


「な、んで」

「やっぱり俺も男だからさ、無防備な女の家に入り放題だと持て余すんだよ。んで、そのまま放置すると騒ぎになるから、だいたいその場で殺すんだ。おまえも知ってるだろ? 俺たちの服も誰にも見えてないから、包んで運べば誰にもバレないわけ。あとは森に埋めたり動物に食わせたりしたな」

「何、言って」

「とは言っても、さすがに何度もはやってないぜ? 場所を変えて時期を空けてだから……詳しくは憶えてないけど、年に数回程度だ。そうだ、城に忍び込んだこともあったな。豪華な部屋に寝てる美人がいてさ。さすがに殺すのはまずいなって思って、そのままにしてたんだけど。この村も森に近いし、野犬みたいな奴がいっぱいいたからちょうどいいと思ったんだけどなぁ」


 笑ったまま、さもそれが楽しい話であるかのように、口にする。


「ああ、話してるとどんどん思い出してきたな。おまえは知らんぷりしてるから、近くにいたあの綺麗な子を連れて行こうとしたんだよ。そしたらおまえもちゃんと反応してくれてさ。何、あの子、おまえの彼女? 珍しい髪の色してるよな、俺たちと同じ色で」


 どこも悪びれもなく、一切の後悔もなく、楽しそうに、嬉しそうに、良い思い出だとでも言うように。


「もしかして、俺の娘だったりしてな」

「――あああぁぁぁ!」


 叫び、飛びかかる。前方を睨みつけ、全身からマナを解き放つ。収束したマナはゴーストの眼前で音を立てて弾ける。

 誘導でも、脅しでもない。相手を傷つける衝撃を、叩きつけた。


「がっ――」


 不可視の弾丸に額を打ち抜かれたかのように、ゴーストの体が仰け反る。がら空きになった腹に、颯太は全体重をかけて飛び込むように蹴り抜いた。

 家具を巻き込みゴーストを壁に叩きつけ、押し付ける。

 颯太は黒い瞳に、短剣を握る拳に怒りを滾らせて睨みつけた。


「おまえ、なんで、そんなことを……!」

「……なんでって言われてもな」


 振りかぶった短剣を振り下ろせば、額にでも心臓にでも突き立てることができる状況。

 殺されかけている。紛れもない命の危機だというのに、男は飄々とした態度をやめない。


「そもそも、なんでおまえはそんな怒ってるんだ?」


 どうして自分が今こういう状況に置かれているのか、それすらも理解できないような顔で、颯太に問いかけた。


「なんでって……!」

「だって、別におまえには関係ないじゃん。どうせ俺も見えてないし、バレないんだし」

「そういう問題じゃない!」


 姿が見えるとか、バレないだとか、他人だとか、そんなことじゃない。


「それは、やってはいけないことだろ!?」


 喉から、心から、振り絞るように颯太は吼える。


「こっちの姿が見えないことなんて関係ねぇよ! バレるとかそんなのはどうでもいいだろうが! 人を、何の罪もない人を傷つけて、殺して、それが悪いことなんだよ! どうしてそんな簡単なこともわからなくなってるんだ!」


 姿が見えないのだから、悪事は露見しない。そんなことはわかっている。颯太にだって、悪魔の囁きのようにそういった黒い考えは頭に浮かんだことはある。

 でもそれは、やってはいけないことなのだと律することができた。

 たとえ当然放り出された、一切の思い入れのない異世界だろうと、そこに在る人々は、確かに生きていたのだ。


「ソータ! どうしたの!?」

「開けるな!」


 部屋の外に待機するクインに向けて声を上げる。こいつの傍に、誰であろうと近づけることはできない。


「……急にキレて、訳わからねぇ奴だな、おまえ」

「だからっ、なんでわからないんだよ!」


 不必要に、まったく関係のない人を。何かを傷つけ、殺すことはいけないことなんて、誰だってわかっていると思ってきた。

 それでも目の前の存在は、善悪の括りなど関係なく、やってはいけないことを平気な顔してやってきた。

 そのことが、ただひたすらに腹立たしい。許せないし、許してはいけない。

 こいつがいたから、こいつがいたせいで、何人もの人が不幸な目に合ってきたのだから。


「たとえ姿が見えなくたって、誰にも気づいてもらえなくたって、そんな生き方をしちゃいけないってわからないのか!」

「いや、だってよ……」


 颯太が叫ぶ言葉の一つ一つが、まるで本当に理解できないとで言いたげな表情で。


「そんなの、ここに来る前からやってきたことだし、今更言われてもな……」


 呆れたように、口にした。


「ああそう、そうだ。俺、昔からそんなことやってたんだったな。ははっ、すげぇ、おまえと話してるとどんどん自分のことを思い出せる! 俺はそういう人間だったわ!」


 歓喜に声を震わせ、唾を飛ばし、ゴーストは濁った黒い瞳を見開いて颯太を見る。


「なんで自分のことがわからなくなってんだ!? そうだよ、そうだよ! 俺はそうやって生きてきたじゃないか! これまでも、その前からもずっと! なんで忘れてたんだ!?」

「……駄目だ」


 颯太の瞳から怒りが薄れ、代わりのものが浮かび上がる。

 こいつは、もう駄目だ。壊れているし、壊れたままこの世界にやってきた。悪人が悪人のまま、誰にも視認されないという、絶対に持ち合わせてはいけない特性を得てしまった。

 こいつはもう、この世界にいてはいけない。

 良心の呵責が欠片もない、根っからの悪人が誰にも気づかれずに悪事を成せる環境を手に入れてしまってはいけない。

 迷う素振りも、一切の躊曙もなく。


 颯太は、手にしていた短剣の刃を、目の前で笑い続ける男の胸に突き刺した。


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