パライタケネの戦い(2)
イスファーンは全軍を4つに分けた。
中央にはファルボド率いるカリア重装歩兵3万7000を配置した。イスファーン軍最大の兵力であり、長槍と大盾で武装したハカーマニシュ式の重装歩兵であるこの部隊は、機動力には劣るが持久力に期待することができた。左にはダルダニアとハカーマニシュの重装歩兵3万をおき、ダルダニア総司令キールスに指揮を委ねた。さらにその左のダルダニア騎兵、ハカーマニシュ騎兵計3000はハカーマニシュ王国の将軍カムランに任せた。伝統的に最強戦力が配置される右軍はパルティア軍が担った。パルティア歩兵2万は宿将オーランの指揮下におかれ、イスファーン自身はパルティア騎兵7000、カリア騎兵3000を率いて最右翼に陣取った。また、パルティア騎兵から3000を割いて若き勇将ミラードに預け、予備隊とした。合計10万3000の大軍である。
一方のカユーマルスは、軍勢を7つに分割した。その分け方はイスファーン軍とは大きく異なっていた。
寄せ集めであり、またオイラート兵の少ないカユーマルス軍は騎兵が不足していた。そのため、右軍、左軍、中軍はほとんどが歩兵で構成されていた。それぞれの軍は前衛と後衛に分けられ、前衛は混成軍、後衛はエリマイスとオイラートの歩兵が務めた。これは前衛で敵に出血を強い、後衛を温存するとともに、後衛を督戦隊として用いるという目的もあった。
左軍は混成軍1万、エリマイス兵8000から成り、手堅い用兵に定評のある宿将アーブティンが指揮を執った。中軍はカユーマルス自らが率い、混成軍1万5000、エリマイス兵1万2000で構成される。右軍は混成軍2万5000、エリマイス兵1万5000、オイラート歩兵5000から成り、猛将バムシャードに指揮を任せた。また右軍のさらに右側にはオイラート騎兵3000、エリマイス騎兵2000で構成される部隊をオイラートの将軍ドルジの指揮下においた。
カユーマルス軍は一直線に並んではいなかった。最も多くの兵力を有する右軍を前に出し、中軍は少し後ろに、左軍はさらに後方に陣取った。所謂斜線陣という陣形であり、右軍に兵力を集中させることで局地的な数的優勢を作り上げ、イスファーン軍の戦線を破ろうと目論んだのである。
戦いはカユーマルス軍右翼の前進により始まった。イスファーンもまた全軍に前進を命じた。
最初にぶつかったのはカムラン率いるイスファーン軍最左翼の騎兵とドルジ指揮下のカユーマルス軍最右翼の騎兵である。全体として見ればイスファーン軍の方が圧倒的に騎兵が多かったが、イスファーンが自身の指揮下に集中させていたためにこの騎兵戦においてはドルジ隊が優勢であった。間もなくカムラン隊は敗走し、ドルジ隊はそれを追った。
次に衝突したのはキールス隊とバムシャード隊である。斜線陣の特徴から言って、これは極めて妥当だった。バムシャード隊は4万5000というカユーマルス軍の半数近くを占める戦力を集中させた部隊であり、3分の2の戦力であるキールス隊に猛攻をかけた。しかしキールスの巧みな指揮とハカーマニシュ及びダルダニアの重装歩兵の持久力により、寄せ集めの混成軍が半数以上を占めるバムシャード隊は手こずった。
他の戦線でも激戦が繰り広げられた。ハカーマニシュ兵やカリア兵に比べると軽装なパルティア歩兵はカユーマルスの予想よりも早くアーブティン隊に達し、それは両軍の中央部隊がぶつかるのとほぼ同時だった。右翼に戦力を集中させていたカユーマルス軍は劣勢を強いられたが、督戦隊の存在により混成軍は死に物狂いで戦い、イスファーン軍は予想外に出血を強いられた。だがそれもイスファーン自らが率いる部隊が来るまでのことだった。騎兵1万から成るイスファーン隊はその接近だけでもカユーマルス軍に恐怖を与え、特に混成軍が浮き足立った。イスファーン隊がアーブティン隊の側面を突くと、混成軍は総崩れとなった。督戦隊たるエリマイス軍も止めることはできず、逆に混成軍に引きずられるようにして敗走した。イスファーン隊はアーブティン隊を突破し、そのままカユーマルスの本隊に突撃した。二方向からの攻撃を受けたカユーマルス隊は大混乱に陥った。もはや挽回は不可能であると悟ったカユーマルスはバムシャード隊にも伝令を派遣し、撤退を始めた。混成軍を盾とすることで、エリマイス兵は比較的秩序を保って後退することに成功した。
伝令を受けたバムシャードはすぐに撤退を命じた。だが一番最初に敵と衝突し激戦が繰り広げてきた戦場であるだけに既に乱戦状態となっており、命令はなかなか行き渡らなかった。そこに、突如として現れたカムラン隊及びミラード隊の騎兵が側面から斬り込んできた。バムシャード隊は混乱し、次々と討たれていった。バムシャード自身はなんとか血路を切り開き戦場を離脱したが、多くのカユーマルス軍将兵が屍をさらした。
「パライタケネの戦い」はイスファーン軍の大勝利に終わった。この戦いでイスファーン軍は2000の犠牲者を出したが、ほとんどがハカーマニシュ及びダルダニアの兵であり、パルティア軍の消耗は少なかった。さらに言えばカユーマルス軍に加わっていたハカーマニシュ兵や傭兵が多数投降し、それらを加えればむしろ兵力は増加した。
パライタケネの勝利により、イスファーンはマウソロス王伝説の最初の部分を再現することに成功した。完全なる「マウソロスの再来」となれるかはこれからの動き次第ではあったが、大きな一歩となったことは確かであった。