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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

染色

 ひらり、と切り落とされた髪が舞う。

 それは黒雨のように思わず目を止めてしまう妖しさを孕んでいた。


 髪の持ち主である女の肢体は折れそうな程華奢で、過去に風に負けてよろけるんじゃないかと心配されたりもした。あれを言ったのは誰だったか。

 とにかく、女の名前は白羽沙織と呼ばれていた。何度も繰り返し苗字が変わっている為、女は今の戸籍上の名前は覚えていない。

 痛覚が通っていないとはいえ、自らの一部を傷付けることには抵抗があった。そんなことも女の中では既に曖昧な過去に消えている。

 風に乗って消えた髪が伝える。そうだった今日は弟の命日だ。水溜まりに映った女の顔は生前の弟に似ていた。

 赤い赤い水溜まり。いくらか涙で薄まっていても、涙より血の量が多い。

 私の内側には水溜まりがある。




 不覚、戦場でまどろんでいた。

 沙織は左右の手の甲に刺さった刃に強引に叩き起こされた。唯一の味方である我が身は健在だと痛みが知らせる。生きている。ならば目の前のヒトガタは?

 敵だ。あいつらは弟を殺した許されざる敵だ。水溜まりに波紋が拡がる。一回、二回、三回・・・・・・・・・・・・。

 どうやら、意識を飛ばしたのは数秒らしい。沙織は欲に塗れた醜悪な男達に髪を落とされたばかり、そして続けざまに張り付けにしてどうするというのか。

 お笑い草だ。もし沙織が『ただの女』なら、下卑た欲を受け止める器となり、男は楽しめただろう。そう、所詮、もしの話だ。

 誰にとっても残念なことに、悲しむべきことに、沙織はまともな人間ではない。彼女は血に縛られた一族の末裔、忘れられた忌み子なのだから。

 手の甲から流れた沙織の血が蠢く。赤い水溜まりが跳ねる。

 火炎を撒き散らし、すべての生物を死へと追いやる異能。沙織の肉体を依代に浄化は為される。怒りを糧に滅びを招く。前に切られた髪は燃料となり、地平線の彼方まで血を業火を天へと伸ばす。

 男達は瞬時に地上から消え失せた。彼らが存在した痕跡はもはや、ない。

 沙織が血を流す原因となった敵が燃え尽きるまで血は流れる。時に沙織のもので、時に敵のものであれ等しく灰に。

 燃えろ燃えろ。無に帰せ。

 沙織に触れられるのは弟だけだった。対となる異能で怒りを宥められるのは後にも先にも愛しい弟のみ。弟のいない世界では沙織が人として生きる術はない。いや、それ以前にあったとしても選ばない。

 「まったく、自殺志願者が多くて困ります」

 母に似ていた弟を追い出そうとした後妻。異能への嫉妬のあまり人を雇って襲撃した伯母。小銭目当てで姉弟を売ろうとした養母。弟の見ている前で沙織を押し倒した養父。権力をちらつかせて迫ってきた村長や地回りの親分。後ろ暗い生業を営む他の血族とその手先。国外の研究機関の奴ら。更には______かつての婚約者も。

 好き好んで火遊びをしたがる愚か者共を纏めて地獄にぶち込んでくれよう。


 弱き御身が縋るものは、はて、さて、はて、さて。天地の合間に獣は数あれど、狩人は見当たらない。はて、さて、はて、さて、はて、さて。

 沙織の血が踊る。陽気に、祭りを祝う音を奏でて。祭事には親しき者が集う、沙織がこれから起こす凶事は親しき者を奪う呪いだ。

 人の内側には水溜まりがある。

 水溜まりが繋がって海や川を作る。憎い敵の水溜まりを干上がらせ、人にして人に在らずのヒトガタを一網打尽に。

 沙織は科学の粋を極めた耐火防壁を素手で貫いた。熱は未だ褪めない。

 沙織は雨霰と降り注ぐ鉛弾を熔かしながら歩む。未だ豊かな水溜まりを澱みを目指して。

 居場所はわかっていた。灰となった男達に注がれた水を辿ればいい。堅牢な要塞に篭った卑怯者にお望みの末路を差し上げよう。

 出入口を炎の壁で塞いだときから逃げ場は失われた。要塞は炎に包囲されている。弟を殺した奴らは絶望してくれるだろうか?

 磨かれたように反射する壁面を炎が撫でる。すると、熔けた壁の奥に隠し通路が開いた。

 いよいよだ。沙織は口角を上げ、手汗を振り払った。手から離れた汗が発火する。汗すらも炎に変わることが不思議だな、と頭の隅で静かに笑う。

 「君達に悪いようにはしない、でしたか」

 隠し通路の『中』に隠された部屋にうずくまる男の頭を掴んで沙織は挨拶した。研究者風情のこいつが弟を葬り去った男で、また沙織の婚約者であった男でもある。

 髪の焦げる臭いが気持ち悪くてたまらない。なんでどうしてと喚きたくなる。家族同然の彼が、何故、どんな理由で弟を害した。

 「答えろ、灰谷。そこまでして私に引導を渡して欲しいのですか」

 「否定はしないよ。でも、他人の俺を気にかけるより、沙織は自分が燃えている訳を理解すべきだ」

 吐き出された呻き声に沙織が硬直する。目を背けていた真実に対面してしまった。ああ、かくまでも私の中に水溜まりがある。


 水溜まりは男達や灰谷と共有されていた。

 燃える。燃えている。沙織は最初から全貌を把握していた。その上で容認したのだ。

 「このまま誰かに奪われるぐらいなら」

 弟が楽しそうにあの町娘の話をした日、確かに私はほの暗い欲を認めざるを得なかった。

 そもそも、家業を継ぐ義務のある灰谷が沙織の婚約者になった時点でおかしいのだ。灰谷には触れたら燃えるか、最低でも火傷は免れない女を娶らねばならぬ義理がない。

 体外受精?沙織は体内の方が温度が高く、とてもではないが機具が耐えられるとは思われない。

 自分を騙していた。『悪いよう』にはしないとの言葉を曲解し、姉の立場を守るフリをしていた。

 沙織が望んでいたのは平穏ではなく、終焉だった。そこまで澱みを抱えていた。

 灰谷は『悪いよう』にはしなかった。結果がこれだ。沙織の本性を実に正確に見抜いていたと言える。

 弟殺し。罪が沙織を焼く。

 執着に狂った女を肚の中から小さな命が支えてくれていた。

 みんな燃えた。沙織以外の悪がすべて。沙織の中に水溜まりがある。赤い、涙と血の水の。


 人の内側には水溜まりがある。水溜まりが繋がって海や川を作る。流れはまだ途切れはしない。沙織は灰にならず、生き永らえた。長く、ひたすら長く。忘れられたままに。




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