#5 Countdown
いきなり国民の前で演奏しろと言われ、正直面食らった。
そもそも、やるにしても大きな問題が一つある。それはアンプがない事だ。
「アンプがなきゃ、まずデカい音が出ない。それじゃ、ギターの音は響かないぞ」
「ふむ……要は大きな音が出ればいいんでしょ? それなら何とかなるかもしれないわよ」
「え?」
何と都合の良い事に、「拡音魔法」なるものがあるらしかった。
主に本来は、戦の際の号令時や、国民への呼びかけの際に使われる魔法らしい。
確かにその魔法があれば、ギターの音を遠くまで響かせる事は出来るだろう。
だが、ただ音が大きくなっただけでは不十分だ。アンプには特有のひずみだとか、音の響き方がある。
完璧にとはいかなくても、少しでもそれに近い音色を再現出来なければ本領は発揮出来ない。
俺は団長に頼み、拡音魔法が使えるという団員を連れてきてもらった。
「彼女が拡音魔法の使い手、コローネよ」
「は、はじめまして。コローネ=トリニタリアです。よろしくお願いします!」
「雪村暁音だ、こちらこそよろしくな」
おずおずと差し出された手を握り返す。
栗色の綺麗な長い髪と、クリッとした目が印象的な可愛らしい女の子だ。
そして何より目をひいたのは、頭に生えている猫の耳のようなものと、腰から生えている長い尻尾のようなものだった。どうやら獣人のようだ。
「彼女はマオン族という、身体能力の高さもさる事ながら、特に聴力の優れた種族なの。マオン族は普通の人間には聞き分けられない音も聞き分けられるから、拡音魔法を得意とする子が多いわ」
なるほどな、と俺は感心して頷いた。
互いの紹介が済んだところで、団長は彼女に、俺の置かれている状況を説明していった。
「……というわけで、あなたの力が必要なのよ。協力してくれないかしら、コローネ」
「むむむ……なるほど。まさかアカネさんが、無実の罪を着せられそうになっているなんて……分かりました、私に出来る事であれば協力させてくださいっ!」
コローネが真剣な表情で俺の手を掴んでくる。会ったばかりの異国人である俺に、これほど親身になってくれるとは思わなかった。
きっと、根っからとても優しい子なのだろう。団長が彼女を頼ったのも納得だった。
「で、これがギターなんだが……」
コローネの前にギターを差し出す。
「おぉ~これがそうですか……ふむふむ、少し触ってもいいですか?」
俺が頷くと、コローネはギターのボディを撫でたり、コンコン叩いてみたり、弦に触れてみたりと興味津々な様子だ。
それとも、拡音魔法を使う上では対象物に直に触れて性質を把握する事が必要なのだろうか。
弦を強く弾いたコローネが、出た音に「ひゃっ!」と驚いて耳と尻尾を逆立てている光景を、団長が微笑ましげに見つめている。
なんというか、この二人は姉妹のような雰囲気を漂わせていた。よほど仲が良いのかもしれない。
「なるほど……面白い楽器ですね、これ。リュートと似ているようで、中身は全然違う。十八式の拡音魔法が合うかな……」
途中から何やらぶつぶつと独り言を言い出したコローネの頭に、団長がポンと手を置いた。
「それじゃ、後は二人で調整してちょうだい。私はそろそろ戻るわ。コローネ、牢の鍵はあなたが来たら貸し出すように見張りに言っておくから、明日もお願い出来るかしら?」
「もちろんです、シエラ様! アカネさん、一緒に頑張りましょうね!」
「あぁ、そうだな。団長も、ありがとう」
「お礼は演奏会が成功してからにしてちょうだい。頑張ってね、アカネ」
俺の背中をポンと叩くと、団長は階段を登って戻っていった。
それから俺とコローネは、アンプに繋げた状態のギターの音色を再現すべく調整を始めた。
具体的にはまず、コローネに拡音魔法をかけてもらい、俺がギターを弾いて音を確かめる。
俺が音のイメージを言葉で説明し、拡音魔法の出力やら帯域やら圧縮率やら、俺にはよく分からない要素をコローネが調整して、再度音を確かめる。これの繰り返しだ。
「あの、コローネ殿。そろそろ……」
気がつけば、鳥の鳴き声が聴こえてきていた。どうやら夜が明けてしまったようだ。
見張りが声をかけてくるまで、全然気がつかなかった。
「あ、はい、すみません! つい夢中に……アカネさん、また夜に来ますね!」
「俺も夢中になってたとはいえ、朝まで付き合わせて悪かったな」
「何を仰いますやら。必ず成功させましょうね!」
「あぁ……ありがとう、コローネ。よろしく頼むよ」
無邪気に手を振るコローネを見送ると、急に睡魔が襲ってきた。
ベッドに横たわりながら、俺は自分の指を見る。
こんなにギターを触ったのは久しぶりだ。この世界に来てから指先の皮も段々柔らかくなって、最初の内は自分がギタリストでなくなっていく感覚が怖かった。
段々と、もう二度とギターを触る事は出来ないんだ……と、現実を受け入れ始めている自分がいた。
でも今日、ギターを弾いてみて分かった事がある。
俺はやっぱり、根っからのギタリストだった。こいつに触れられる事で、こんなにも安心出来る。
俺の身体は、ギターを弾くためにあるんだ。
そんな事を考える内、俺の意識は微睡みの向こうへ融けていった。
夕方起きると、団長が木で出来たピックをいくつか持ってきてくれた。
「あなたの言う通り、作ってみたけど……こんな感じで良かったかしら? 一応、色んな厚さや大きさのを用意してみたけど」
いくつか手に取ると、少し大き過ぎたり厚かったり、反対に小さ過ぎたりと、あまりギターを弾くには適していなさそうなものがほとんどだった。
だがその中で、比較的手頃な大きさと厚さのものを見つけ、思わず笑みが浮かんだ。
「これなんか良さそうだ。俺のためにありがとう、団長」
俺が礼を言うと、団長が頬を赤らめて目を逸らした。
「れ、礼を言うのは早いって言ったでしょ? ……いい演奏をしなかったら、許さないからね」
やっぱり可愛らしい人だな。
思わず笑いそうになるのを堪えながら、俺は頷いた。
それから2日間、俺はコローネとギターの音質を調整し、それ以外の時間はライブで弾く曲を練習した。
何分、約3ヶ月のブランクだ。たった2日間だが、少しでも勘を取り戻しておきたかった。
団長は引き続き、議会に色々と働きかけてくれたり、部下を通して国民達に演奏会の開催を伝えたりしてくれたようだ。
そして今日、フィラン皇国中央大広場。
この場所は皇国の首都・ノスタリアの中心部に位置する広場で、かつては噴水に水が流れ、人々の喧騒が耐えない繁栄の象徴とも言うべき場所だった。
大規模遠征の際、フーガ師団約2500名が集ってもまだまだ余裕があった事からも、かなり大多数の人間が集まれる場所だというのが伺える。
国の重要事項等を国民に伝達する際、よくこの場所が使用されるらしい。
その場所に今、青空の元、首都ノスタリアの民が集まってきていた。
といっても、広場にはまだまだ空きが目立つ。見ず知らずの異国の人間の演奏会に、わざわざ足を運ぼうという人間はそう多くないのは当然だろう。
だが、これだけ集まったのだから俺としては上々だ。
「なぁ……何が始まるんだ?」
「何でも、異国の音楽を演奏するらしいよ」
「へぇ、面白そうだな。異国の吟遊詩人って事かな?」
それでも集まってくれた人々は、戦争の影響で娯楽の少ない今のこの国で、俺みたいな人間の演奏でも暇つぶしくらいには捉えてくれたのだろう。
ありがたいが、正直足が震えている。
ブランクのある中、久しぶりに人前で演奏するのだから当然といえば当然だが。
「お、おい……本当にやるのか?」
「ここまで来て往生際が悪いわよ。いい? あなたが死刑を免れる方法は一つ、国民の人気を勝ち得る事。十三賢人議会が確かな証拠もなくあなたを死刑台送りに出来るのは、あなたが異国の人間で、死刑にしたところで誰からの反感もないからよ。だけど、あなたが音楽家として国民に影響を及ぼす人物となれば、議会もあなたをおいそれと死刑には出来なくなるはず。この国においては、高名な吟遊詩人は城に招かれ専属の演奏家として重用されるほどの存在なの」
「俺がギターを弾いたところで、国民にそう影響を及ぼせるとは思えないんだが……まぁ、いいや。当たって砕けろじゃねぇけど、ダメ元でやってみるよ」
「えぇ、その意気よ」
団長が俺の胸に拳を当ててくる。
「ちなみに、今回のライブ……じゃない、演奏会は許可取ってやってるんだよな?」
「許可? そんなもの取れるわけないじゃない」
「ま、マジかよ! そんじゃ、終わった後あんたが罰を受けるんじゃねぇか!?」
当然許可を取って進めている話かと思ったので、驚いた。だが冷静に考えれば、俺のような異国人が国民の前で演奏をするなんて事、上の連中は承諾しかねるだろう。
上手くいくかも分からないダメ元の策のために、団長の地位が脅かされるのは許容出来る事ではない。
俺は演奏会を中止しようと言い掛けて、広場に集まった人々の数にハッとなった。
「ふふ……これだけの数の人間が集まってしまったのだから、もう手遅れよ。今更後には引けないわ」
「……すまない。せめて全力で、演ってくるよ」
「そう来なくちゃ。まずは私が国民にあなたを紹介するから、私が合図したら舞台に出てきなさい」
「あぁ、分かった。頼む、団長」
舞台へと向かう団長の背中を見送ると、自分の心臓に手を当てた。
ドクン、ドクンと鼓動が激しく脈打っているのが分かる。
まるで死へのカウントダウンだ、などと禄でもない事を考えてしまう。
落ち着け。俺は昔、もっと大勢の……何万人もの前で、何度もライブをこなしてたじゃないか。今更この程度の人数にビビるわけにはいかない。
けれど、よく考えるとあの頃は俺だけじゃなく、他のメンバーもいた。
そもそも、元の世界の人々は俺らの音楽が好きで集まってくれてたけど、今は違う。
誰も俺の事なんて知らない。
それどころか、俺は異国の人間、相容れない存在。
演奏が始まったら、罵声や石が飛んでくるかもしれない。
勝手な事をしたから、終わったらすぐに連行されて殴られるかもしれない。
怖い。足が震える。
俺はこんなに臆病者だったか?
「フィランの民達よ、よくぞお集まりくださいました。私はフィラン皇国第七皇女、シエラ=フィラン。此度は、フーガ第一師団所属の戦士にして、類い希なる音楽家でもあるアカネ=ユキムラを紹介します」
大規模遠征作戦出発の時と違い、語りかける相手は国民なので、あの時とは一転して穏やかな口調だ。叫ぶわけではないので、今回は拡音魔法で広場全体に演説が聴こえるようにしているらしい。
この穏やかな顔は第七皇女としての、シエラ団長のもう一つの顔なのだろう。
「この国の繁栄を願い、曲を披露したいとの彼のたっての願いにより、これより“ギター”なる楽器を奏でていただきます。アカネ=ユキムラ、これへ」
名前を呼ばれた。もう戻れない。
まだ不安に苛まれ、整理のついていない心を必死で宥めながら足を前へと踏み出す。
あれ? 前にもこんな感覚を味わった事があったような……いつだったかな。
……あぁ、そうか。
あれは俺が、元いた世界で音楽を始めたばかりの頃……俺はまだ無名で、誰も俺達の事なんか知らなかった頃。
初めてライブの舞台に立った時、今みたいに足が震えていたのを思い出した。
今思えばあのライブは、小さなライブハウスで、たった七人の観客しかいないライブだった。
それでも俺にとっては、必死に練習した成果を初めて人に聴かせる事への期待と不安が入り交じった、大きな一歩だったんだ。
すっかり忘れていた……小さかった自分の、あの日初めて知った感覚。
誰かに聴いてもらえる事のありがたさと、自分の腕で全てが決まってしまう事の怖さ。
忘れちゃいけなかったんだ。
どんなに人気が出ても、ライブに慣れても、失っちゃいけないものだったんだ。
失う事で、自分が大物になったような気になってしまうなら。
『ちっとバンドが売れたからって黄色い声援浴びて天狗になってたツケが回ったんだろ。いいお勉強になったなぁ、兄ちゃん』
3ヶ月前、元いた世界で言われた言葉を思い出す。
そうだよ、あんたの言う通りだ。俺は天狗になってたんだろう。
バンドが成功していた頃の俺は、バンドが売れたのは自分の実力によるところが大きいと思い込んでいた。自分がEclipseを引っ張っているのだと、そう思っている節があった。
そういう俺の思い上がりが、無意識の内に態度に表れていたのかもしれない。
ひょっとしたら、それが恋人や仲間との心に距離を作るきっかけになっていたのかもしれない。
本当は、薄々分かっていたんだ。全てに裏切られた原因が、100%相手のせいだけではなかった事が。それどころか全ての原因は、俺自身にあったのかもしれない。
一人で人々の前に立ってみて、ようやく分かった。俺が今までEclipseとしてやってこれたのは、仲間達が一緒にいてくれたからだったんだ。
舞台の中心まで進むと、ゆっくりと広場の人々へと目を向ける。
「あいつが……」
「余所者……」
「何、あの楽器……亀裂が走ってるわよ。壊れてるんじゃない?」
「不気味ね……」
「おい、どうしたぁ? 早くしろよ!」
「スパイって噂も……」
色んな声が途切れ途切れに聞こえてくる。
ふと広場の隅の方を見ると、俺を見て面白くなさそうに睨んでくる奴や、ニヤニヤして見てる奴がいた。
あれは……フーガ師団の団員達だ。
俺をスパイだと決めつけた連中や、泥棒だと勘違いして殴ってきた連中もあの中にいるのだろう。
国民にまでそういう噂が伝わっているのも、あいつらの仕業かもしれない。
「……ははっ」
今の俺は……いや。
元々俺は、ずっとちっぽけな人間だ。
大きくなったつもりでいても、それはただのまやかしでしかなかった。
ここでは俺を物珍しそうに見てる奴こそいるが、期待してるやつなんてほとんどいないだろう。
それどころか、憎まれてすらいる。
俺の味方はシエラ団長と、コローネだけだ。
舞台の斜め後ろを見ると、コローネが拡音魔法をかけるために金属製の杖を構えて控えている。
コローネと目が合うと、彼女は緊張した面持ちで頷いた。
……十分だ。俺は一人じゃない。
自由に弾こう。協力してくれた団長とコローネに、精一杯の感謝を込めて。
ジョニー……俺を庇って死んだ、あんたへの餞に。
あの世に行ったら、せっかく守ってやったのに死ぬなんてどういう了見だ、とかどやされそうだけどな……
そして何より俺自身が、これが終わった後、死んだとしても悔いのないように。
今の俺が出来る、最高のプレイをしよう。
覚悟は決まった。俺は確かな決意を胸に、ギターの弦にそっと指を触れた。
‡ ‡ ‡
「おい、分かってるな。あいつの演奏が少し波に乗ってきたら、石を投げ入れるんだぞ」
「へへっ、分かってるよ。盛り上がりかけたとこでぶち壊すんだろ? おめぇも悪い事考えるよな」
「ふん、スパイの演奏なんて成功させるかよ。まぁ、あんなひび割れた壊れた楽器で、まともな演奏が出来るとは思えねぇけどな。さっき出てきた時は笑ったぜ。ったく、団長も物好きだよな……あんな野郎の肩を持つなんてよ。ひょっとしたらデキてるんじゃねぇか?」
「ちげぇねぇや、ははっ!」
下品た笑い声でそう話すのは、遠征作戦失敗後の帰還中に暁音に食料を奪われたと主張した大柄の男と、その男といつもつるんでいるキツネ目の男だった。
団長に叱咤された後、彼は大勢の前で恥をかかされた恨みを暁音へと募らせていた。
どう恨みを晴らそうかと画策していた折、暁音が演奏会を行うという話を聞き、ここぞとばかりに邪魔する事を決めたのだ。
「あの野郎は絶対に許さねぇ……これが終わったら拉致って、俺様直々にぶち殺してやるぜ!」
不穏な呪詛が吐き出される中、暁音のギターから静かに音色が奏でられ始めた。