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#4 捕らわれのギタリスト

 床がやけに冷たい。

 空気が湿っている。


 物音一つしないそこは、石で出来た牢獄だった。


「……う……」


 体が傷んで思うように動けない。

 あぁ、そうだ……俺は四人の男達にボコボコにされた後、この牢にぶちこまれたんだった。

 まがりなりにも3ヶ月間、軍人として体を鍛えられていなければ、死んでいたかもしれない。

 それくらい、奴らは本気で俺を殴り、蹴ってきた。

 全身には生々しい痣が残っている。

 無意識に手を庇っていたのには、我ながら笑った。もう弾く機会なんて、ないってのに。

 だが、おかげで指はなんともない。


 たった3ヶ月。それでも俺は、一緒に笑いあって飯を食ったあいつらと、ひょっとしたら仲間になれたんじゃないかって思っていた。

 だが、それは俺の希望的観測だったらしい。


 今思えば、いつも近くにはジョニーが居てくれた。あいつが緩和材になってくれていたからこそ、奴らも何とか俺という異物と接する事が出来ていたのかもしれない。

 その緩和材がなくなった今、俺はまた得体の知れない異物に戻っただけだ。

 少なくとも、俺をスパイや盗人だと簡単に疑える程度には、俺は信頼されていなかったという事だ。


 しかし、心のどこかでそれも無理のない事か、とも思う。

 この3ヶ月、この国の人々の姿を見てきて感じたものは、未来への希望など欠片もない事への絶望ばかりだった。

 戦力差は歴然、奴らが再び攻め込んできたら、その時こそ自分達は死ぬかもしれない。

 あえて口にする者はいないが、人々が日々その不安を拭えないまま生活している事は空気で伝わってきていた。


 その絶望を少しでも払拭するための、大規模遠征作戦。

 それが、スパイの存在によっていとも簡単に失敗に終わったのだ。

 我慢してきた不安や鬱憤が、“余所者”である俺に向けられても何らおかしい事はない。


 要するに、俺は捌け口なのだ。

 一番疑わしい者をスパイだと簡単に決めつけるのは、不安を少しでも解消したい欲求から来る行動なのだろう。


 そうしなければならないほどに、皆の心は追い詰められている。

 不安に押しつぶされそうになっている。

 だからといって俺に暴行を加えてきた事は、とても許容出来る事ではないが。


 思えば、クスリをやっていた元バンドメンバーもそうだった。

 自分の罪を軽くするため、俺にまで罪を被せようとしてきた。

 自分の不安を軽くするために俺を悪人に仕立て上げようとする、この国の奴らと同じだ。


 結局、どこの世界でも人間って奴は自分が大切なんだ。

 自分を守るために、平気で人を傷つける事が出来る。そういう生き物なんだ。


 だがそれは、生命としての防衛反応であって、俺自身もその(さが)から逃れる事は出来ないのだろう。

 神様は一体何だって、こんな(ろく)でもない生き物を創ったのか……


 吟遊詩人どもの気持ちも、今なら少しは分かる気がした。

 確かにこりゃあ、歌にしてでも神様に問いかけたいクレームに違いない。


「…… Soup of violence, betrayal and desire has been completed.(暴力と裏切りと欲望のスープが完成した)

 The sweetener which are love and a dream, etc. on probation has been added.(試しに愛だの夢だの甘味料を加えてみよう)

 Well, dance crazily on the tongue of a god. (さぁ、神の舌の上で踊り狂え)……」


 ……こんな時でも歌詞を考えちまう。

 呑気なもんだな、俺も。

 これからスパイに仕立て上げられて、殺されるかもしれねぇってのに……


 咳き込む度に傷む体を丸めながら、俺の意識は再び深い闇に堕ちていった。




 ‡ ‡ ‡




「そんな……何故です。アカネを釈放出来ないとは、どういう事ですか!」


 私は怒りを必死で抑えながら、十三人の頑固ジジイ共に食ってかかった。


 フーガ師団を直接的に統括するのが、王の相談役でもあるこの十三賢人議会だ。

 第一師団長である私は、必然的にこの頭が石のように堅いジジイ共と会話を交わさねばならない場面が出てくる。

 保守的な意見ばかり並べ立てるこいつらに、私の立案した作戦を納得させるためにどれだけの労力を割いてきたのか分からない。


 しかも今回の作戦失敗のせいで、私の発言力は現在、地に落ちていた。

 とはいえ、元々はもっと早くに作戦を決行するはずだったのだ。

 それをこいつらが渋ってなかなか認めなかったせいで作戦の開始が遅れ、マフートの奴らに待ち伏せの準備期間を与えてしまった。敗因はそこにある。

 だが、こいつらは自分達の失態を認めようとせず、責任を全て私一人に押し付けてきた。


 そういう体質自体は、今に始まった事ではないのでもう、いい。

 私一人が我慢すれば済む事なのだから。

 だが今回のこいつらの発言は、とても許容出来るものではなかった。


「言った通りですよ、姫様。アカネ=ユキムラがスパイだという可能性は高い」

「それに、降って沸いたような盗みの現行犯。もはや疑う余地はないと思われますがね」

「どちらも確かな証拠はありません! アカネは私が見込んで入団させた男、そのような事をする者では!」

「……よいですか、姫様。今、長きに渡る戦によって国民や兵達の中で眠っていた不安・不満が、作戦失敗によって今にも爆発寸前まで来ている。アカネ=ユキムラがスパイとして吊し上げられれば、皆の不安も少しは解消されるやもしれません」

「真実はこの際、どちらでもいいのです。元々、あの者は異国人。容疑者が他に上がらぬ以上、アカネ=ユキムラには国存続の為の犠牲となってもらうより他ないのです」

「そ、そんな……! それが十三賢人議会の言う事ですか! 無実かもしれない者を犯罪者に仕立て上げるなど!」

「口を慎んでくださるかな」


 十三賢人議会の頂点、モーゼス=バルバトール。

 その深い皺の向こうから覗く有無を言わさぬ眼光に、私は思わず口を噤んだ。


「この国はもう、そうせざるを得ない段階まで来ておるのです。アカネの死刑は明日の決議にて過半数で可決される予定の、ほぼ決定事項。覆す事は叶いませぬ」


(狸め……!)


 この男の意見は、王ですら鵜呑みにしてしまう。それほどの発言力がこの男にはある。

 実質、この国を動かしているのはこの人とは思えぬほど無機質な老人、モーゼスに他ならない。

 十二人の老人達と共に何十年とこの国の政治を執り行ってきた実績が、その信用と存在感を良くも悪くも盤石なものとしていた。


「……失礼いたします」


 これ以上の議論は無駄と悟り、私は議会場を退出した。


 老人達の姿が見えなくなると、拳を思い切り壁に叩きつける。


「……このままじゃ、アカネが……!」


 私はひとまず、アカネに真意を尋ねようと地下牢へ向かった。




 ‡ ‡ ‡




「アカネ……起きて、アカネ」


 凛とした声音。

 うっすら目を開けると、シエラ団長が腰を屈めて俺へと呼びかけていた。


「……団、長……」


 眠気を頭の隅へ追いやりながら、体を起こして柵の近くの壁にもたれかかる。


「ビックリしたわよ……あなたが捕まったと聞いて最初にここへ来た時、全身ボロボロになってたんだもの。生きていてくれて良かった……あなたを折檻した兵達には、やり過ぎだと私から厳重注意しておいたわ」

「……心配、かけちまって……すまねぇ……」

「こんなに痣だらけになって……」


 団長が、俺の腫れた瞼にそっと触れてくる。

 細い指に撫でられる感触に、少しくすぐったさを覚えた。

 団長の顔を見ると、いつも気丈に振る舞っている彼女の眉尻が、八の字に歪められている。

 俺はよほど酷い有様に映っているんだろう。


「……一つ聞かせて。あなた、あの倉庫で何をしていたの? 私は、あなたが物を盗み出そうとしたなんて信じてないわ。スパイだなんてのは論外よ。あなたがそんな大それた度胸の持ち主じゃない事は、私が一番よく知ってるんだから」

「……さりげにバカにしてねぇか?」

「とんでもない。要は信用してるって事よ。ただ、私は本当の事が知りたいの」


 団長の言葉に少しこそばゆい気持ちになりつつ、その真っ直ぐな瞳を見つめ返す。


「……とある楽器に、目を奪われちまってな……盗ろうとしたわけじゃないが、どうしても弾いてみたくなったんだ……」

「楽器……? ひょっとして……リュートに似た形をした、亀裂が入っている楽器の事かしら?」

「そう、それだ。ありゃあ、ギターって言ってな……俺が元いた世界で、音楽やってた時に使ってたのと同じものなんだ。あんた、ギターの事知ってるのか?」

「ギター……そう、確かそんな名前だったわね。私が幼かった頃、父がそう教えてくれた気がする……」


 団長が懐かしそうに、そう呟いた。


「……父が……って、待てよおい。ま、まさか……」

「……そうよ。あれは私の父……ダイグの形見。異世界から来た父が、この世界へ迷い込んだ時に持っていたという品よ」


 衝撃の事実に、俺は息を飲んだ。

 団長の父親……“破壊王”と呼ばれた元・フーガ第一師団長ダイグが、実は俺と同じ世界から来た人間だった?


「え、どういう……まさか、あんたも……?」

「ううん。私はこの世界の生まれよ。前に、あなたと同じように異世界から来た人を知ってると言ったでしょう? あれは私の父の話。父が昔、私にだけこっそり教えてくれた、二人だけの秘密」

「と、いう事は……」

「父はこの世界に来て、フィラン皇国の貴族の娘だった母と結ばれ……私が生まれた。私は正真正銘、生まれも育ちもこの世界だけど……私にはあなたと同じ、異世界人の血が流れているのよ」


 今の話で、俺が微かに疑問に思っていた事が一つ、解消された。

 俺の事を気にかけ、あんな啖呵を切ってまで部下に誘ってくれた理由。

 純粋に人手不足だったにしても、俺一人に固執しなくとも、他にいくらでもアテはありそうなものだ。

 理由は単純だった。父親や自分と同じ、異世界人の血が流れる俺の事を、放っておけなかったのだろう。


「……すまない。親父さんの形見と知らず、勝手に弾こうとして……」

「ううん、いいの。私は弾けないし……父が生きていた頃は、二人の時に時々弾いて聴かせてくれたけれど……亡くなってから、誰にも弾かれる事なく倉庫に眠っていただけだったから。あの子もきっと、あなたに弾いてもらった方が幸せだわ」

「ははっ。結局弾いてねぇけどな」

「……弾きたい?」

「ん? あぁ、そりゃあ……でもほら、俺今捕らわれの身だし」

「弾かせてあげるわ」

「へ?」

「今からここへ持ってくるから……聴かせてちょうだい」

「え。良いのかよ?」

「大丈夫よ。この地下牢なら、地上に音が漏れる心配もないし。少し待っていてちょうだい」

(……まぁ、アンプにつないで弾くわけじゃないから大丈夫か)


 突然の申し出に困惑しつつも、あのギターを弾ける事が嬉しく、そわそわしてしまう。

 しばらく待っていると、団長があのギターを持って戻ってきた。


「お待たせ、アカネ。……やっぱり、結構重いわよね、これ」

「……団長も女なんだな」

「殺すわよ」

「すいませんでした」


 団長は見張りから借りたらしい鍵を使い、牢を開けて中に入ってくる。

 俺にギターを渡すと、そのまま牢に設置されている簡素なベッドに……俺の隣に、腰を降ろした。

 距離の近さに、少し鼓動が早くなる。

 なんだか良い匂いもしてきた。


「さぁ、聴かせてちょうだい。言っておくけど、私は音楽にはうるさいわよ」

「何で上から目線なんだよ……まぁいい。そんじゃ、お言葉に甘えて弾かせてもらうよ」


 ピックがないから指で弾くしかない。

 逸る気持ちを鎮め、深呼吸を一つ。


 久しぶりの感覚を呼び覚ましながら、俺は弦に触れ音を奏で始めた。







「…………」

「……久しぶりに弾けてすっきりしたよ。ありがとう、団長」

「今のが……あなたの世界の曲? 父が弾いていたのとは、全然違う……」

「あぁ……俺の世界の音楽は、色んな種類があってな。今のはロックっていうジャンルの曲だ。これでも元の世界では、音楽で飯食ってたんだぜ」

「……私は、あなたを部下にすべきじゃなかったのかもしれない」

「……は?」


 突然の言葉に呆然とする。

 それは……俺の曲が、お気に召さなかったという事なのか。


「あの時、あなたは今にも死んでしまいそうなほど小さく震えて見えたから……どんな形であれ、生きてほしいと願って私の部下にしようと思った。でも、それは私のエゴだったのかも……あなたには、こんな凄い力が……音楽があるのに。あなたの生きる道を狭めてしまったばかりか、スパイ呼ばわりさせる結果になってしまった……」


 あぁ、そういう意味か。

 ちょっとホッとした。


「いや……それは仕方ないだろ。実際、あの時はいつ野垂れ死んでもおかしくなかったし……音楽出来るなんて一言も言わなかった俺が悪い。あんたが俺を救ってくれた事は確かだ。これでも感謝してるんだぜ?」

「……アカネ」

「なぁ……団長。俺は、死刑になるのか?」

「ばっ……」

「ははっ……図星か。団長、誤魔化すの下手くそだからな。さっきから、すげぇ辛そうな表情で俺を見るからよ……バカでも分かるぜ。スパイが重罪だってのも、何となく分かるしよ」

「何、それ……なんで、笑ってられるのよ。あなたはやっていないじゃない! 無実の罪で殺されそうになってるのよ!?」

「……そんな顔すんなって。どうせ、あんたが拾ってくれなきゃ死んでたはずの命なんだ……3ヶ月伸びただけ、儲けもんだったのさ」


 そうだ。罪を被せられる事には慣れている。

 それに……


「俺にあれだけ啖呵を切ったあんたが、この状況を黙って見てたはずはねぇ。出来る限りの事はしてくれたんだろ? それで駄目だったんなら、仕方ねぇよ」

「……馬鹿言わないで。まだ終わってない……正式な決議が行われるのは三日後よ。それまでに出来る限りの事をするわ。だから、勝手に諦めないで。これは団長命令よ」

「……分かったよ。わりぃな、団長……よろしく頼む」


 団長が、何を思ったか俺の目をじっと見つめてくる。


「アカネ。あなた、夢はないの?」

「……え?」

「夢よ。やりたい事。それを叶えるまで死ねない、って思えるような事。何かないの?」

「夢……夢、か。そうだな……」


 実は一つだけある。

 だが、俺はそれを口にするのを躊躇した。


「……あるのね。言ってごらんなさい」


 う。


「……絶対に、笑うなよ」

「笑わないわよっ」

「…………」


 俺は渋々、団長に耳を貸すようジェスチャーすると、ぼそぼそと耳打ちした。


「……くっ。ぶふっ。ふっ、ふふっ、あっはっはっはっはっ!!」

「思いっきり笑ってんじゃねーかっ!!」


 騙された。これじゃ言い損だ。


「あ~、笑った笑った、お腹痛い……ふふっ、でもいいわね、それ……気に入ったわ。あなたがそれを叶えるところを、私も見てみたい。……そうだ、それよ!」

「……ん?」


 どれ?

 なんだろう、何か嫌な予感がする。


「あなた、国民の前でギターを演奏なさい」


 その顔には、先ほどまでの悲壮な表情ではなく、いつもの不適な笑みが浮かんでいた。

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