#2 兵役生活
「おいアカネ! こないだ初めてモンスターを倒したんだって? やるじゃねぇか! これでお前も一人前の戦士だな!」
浅黒い肌の屈強な兵士、ジョニーが笑いながらバンバンと肩を叩いてきた。
「はははっ、いてぇなこのヤロー」
あまりの怪力に思わず文句を垂れる。
だがジョニーは気にした風もなく、手を上げながら笑顔のままだ。
「もうすぐ集合の時間だぜ、次の遠征もよろしくな!」
「おぅ、お前もなジョニー」
「わっはっはっ、あたぼうよ!」
俺が謎の国に来て3ヶ月が経っていた。
あのシエラという女に出会った後、俺はここ--フィラン城に連行され、シエラと二人で話をさせられた。
俺は自分がここへ来た経緯と、自分が突然住んでいた国とまるで違う国に来てしまった事を話した。
すると、シエラは驚くべき事を告げてきたのだ。
「それは恐らく、次元転移現象……何かの弾みで、全く異なる次元の世界へと転移してしまう現象ね」
「なっ……!」
なんだそりゃ。まんま映画や漫画の世界の話じゃねぇか。
まさか本当にそんな事が起こったのか?
だが、自分が体験した事を思い返すと、他に理由が思い当たらないのも確かだった。どうやら信じざるを得ないようだ。
「この世界には以前にも、そうして転移してきた者がいたわ。その男も、あなたのような格好をしていたの……だから気になって話を聞いてみようと思ったのよ」
「……マジか、俺以外にもそんな奴がっ!? そ、そいつは今どうしてるんだ?」
「……さぁね、大分昔の事だから。今頃どうしているのやら……」
なんだそりゃ。それじゃ、元の世界に帰れるのか分からないじゃねぇか。
……いや、分からなくていいのかもしれない。
どうせ帰ったところで、俺を待ってる奴は誰もいねぇ。
ろくでもない世界で野垂れ死ぬだけだ。
同じ野垂れ死ぬなら、どこの世界に居ようと変わらないだろう。
「……くくっ。ははははは……」
「……何がおかしいのかしら」
「いや、悪い……あんたを笑ったわけじゃねぇよ。俺には何もねぇな、と思ってな……全部失くして、挙げ句にこんな世界に来ちまうたぁ……滑稽な話だよな。ははははっ……」
俺が額に手を当てて自嘲気味に笑っているのを、シエラは少しの間黙って見ていたかと思うと……ハァ、と溜息をついた。
「……何だよ」
「そうやって自棄になっている姿を私に見せて、何と言ってほしいの? “可哀想にね”、とでも言ってあげればいいのかしら」
「あぁっ……?」
あまりの言い草に、俺は思わず身を乗り出しそうになった。
だがシエラの鋭い眼光に射抜かれて、まるで魂まで透かし見られているかのような錯覚を覚え、俺はそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。
「……怒る気力はあるんじゃない。なら、まだ大丈夫よ。あなたは生きているのだから、出来る事がまだあるはずよ」
「どういう……」
「私の部下になりなさい、ユキムラ」
俺は目を丸くした。
こいつは何を言ってるんだ?
会ったばかりのみすぼらしい格好をした男、しかも異世界人の俺に、部下になれだ?
シエラの意図を計りかね黙りこくっていると、シエラが呆れたように再度口を開いた。
「聞こえなかったの? 私の部下になりなさい、と言ったのよ。どうせ帰るアテもないのでしょう? それどころかあなたは、いつ死んでも構わないような目をしている。でもね、街中で死なれでもしたら面倒なのよ。知ってる? 死体の処理だって、手間がかかるものなの」
「そんな言い草……」
「だから。死ぬ覚悟があるのなら、せめて人の役に立ってから死になさい。いい? 今、この国は“魔軍マフート”と名乗る魔族の軍隊に侵攻されているの。戦力は向こうが上だけど、これまで何とか持ちこたえてきた。でもそれも限界まで来ている。どんな人でもいい、少しでも人員が欲しいのよ。街を見たでしょう? もはや国内にまで侵攻され、破壊や殺戮を受けてしまっている。兵も民も戦争で疲弊し、自分達の未来に絶望しきっている」
「はっ。そんなの……勝てるわけねぇじゃねぇか」
「勝ち負けは関係ないわ。死ぬと分かっていても、黙って殺されてやるほど殊勝じゃない。やれる事は全部やって、みっともないほど悪足掻きして、それでも駄目なら死ぬだけよ。だけど、何もしないで死ぬのだけは勘弁」
「なんだそりゃ。結局無駄死にじゃねぇか。そんな自己満足に俺を巻き込むんじゃねぇよ!」
「黙りなさい! あなたは私の部下になるの。そして、そのただ愚鈍に消費しようとしている命を私に寄越しなさい。そして最後は……」
真っ直ぐに、俺の心臓目掛けて。
「私が一緒に死んであげるわ!」
有無を言わさぬ言の葉を、突き刺してきた。
微塵の迷いもないその存在に俺は圧倒され、神々しさすら感じてしまった。
この人は、俺にないものを持っている。
俺にない全てを持っている。
あぁ、凄い。この人のように“活きて”みたい。
これは俺が渇望した、“命を燃やす活き方”そのものだ。
そう、そうだ……俺は元々は、こんな風に誰かの心を揺さぶりたくて。
自分の音が誰かの人生を変えるところを見てみたくて、音楽を始めたんだった。
今、俺の心は確かに、この人の言葉に揺さぶられてしまった。
こんな単純な演説で揺れちまうほど、俺の心はちっぽけだ。
何も出来ねぇ、ちっぽけな人間だ。
なら、黙ってこの人に従うのも分相応なのかもしれねぇな。
それに……
一緒に死んでくれるってんだ。
一人で死ぬよりは、悪くねぇ。
「……ロックじゃねぇか」
あぁ、やっぱ俺単純だわ……
こんな事で、泣いちまうなんて。
みっともねぇ……
どんな形であれ、誰かに必要とされる事が、こんなにも嬉しい事だなんて。
すっかり忘れちまっていたよ。
「よろしく頼むわよ、ユキムラ」
シエラがニッと笑って手を差し出してきた。
「……雪村はFirst nameじゃない。暁音、と呼んでくれ」
「オーケー、アカネ。よろしくね」
俺は頬を伝う熱いものを拭うと、差し出された手を強く握り返し、その瞬間からフーガ師団の……シエラ=フィラン団長の、忠実なる部下の一人となった。
フーガ師団。
皇国内はもちろん、フィラン皇国の統治するヨーノルド大陸、その属国や小さな村に至るまで使者を派遣して強者を探しだし、あらゆる武器・武術・魔法に精通する猛者をかき集めて作られた、世界最強の戦闘集団。
俺はそこに下っ端の下っ端の、更に下っ端として入隊した。
それからは地獄の毎日だ。
一日中訓練、訓練、訓練。
食って寝て起きて、また訓練。
とても人間の扱いじゃねぇ。
最初のうちは走り込み、素振り、筋トレ、森林でのゲリラ訓練をただひたすらこなす日々が続き、ある程度体力がついてきた頃からようやく剣術、槍術、組み手等を行わせてもらえるようになった。
娯楽なんざありゃしねぇ。
唯一の楽しみは飯だけだ。
仲間と馬鹿言い合いながら食う飯は、最高に美味い気がした。
そして、初めて一小隊の隊員としてフィランの外壁の向こうにモンスター討伐に向かったのが二日前。
人のような姿のモンスター……豚のような鼻と凶暴な性格、棍棒を武器として使うオークの群れだった。
その群れに遭遇した俺の所属する半人前小隊は、連携らしきものを取ってなんとかこれを撃破。
十五匹近い数のうち、俺が倒せたのはたった一匹だった。
だが、それでも槍を持つ手が震えたのを覚えている。
モンスターとはいえ、人に近い姿を持つ者の命を奪う感覚。
初体験の“それ”は俺のちっぽけな良心を苛み、呼吸を乱れさせた。
そこで、“これは人々の暮らしを守るために必要な事なのだ”、などと心にもない事を自分に言い聞かせてみたが震えは止まらなかった。
その後、正直に“シエラ団長の役に立つために”と言い聞かせると、ようやく震えが治まってきた。
やっぱ善人ぶるのは向いてないらしい。
大規模遠征作戦前日の夜。
俺が窓からフィランの夜景をボーっと見下ろしていると、後ろから肩を小突かれた。
振り返ってみると、目に映ったのは金色の女神。
「眠れないの? アカネ」
「そういう団長は?」
「私も眠れないの。ちょっと付き合いなさいよ」
見るとその手には、葡萄酒の入った瓶が握られている。
「……作戦の総指揮官が、作戦前夜に酒かっくらってました、じゃ洒落になんねぇっスよ」
「む。大丈夫よ、ちょっとくらい! 少しの飲酒は眠りを深くするんだからっ」
医学的根拠があるのかどうかよく分からない知識を披露しながら、シエラ団長が瓶に口をつけて傾ける。
「ほら。団長命令よ」
「へーへー」
団長が差し出した瓶を受け取り、瓶に口をつける。
……ん? ひょっとしてこりゃあ、か、間接キ……
「……遠征、よろしく頼むわね」
俺が一人で勝手に赤面していると、団長が俺の隣で景色を見渡しながら言った。
「言われなくとも。必ずや姫様のお役に立ってご覧に入れまさぁ」
「……その呼び方はやめてって言ってるでしょ。あなたがモンスターと戦ってる間に、後ろから脳天叩き割るわよ」
「すみませんでした」
この人なら本気でやりかねない。
これ以上弄るのはやめておこう。
「いい体になってきたんじゃない? 最初のみすぼらしい格好とは見違えたわ」
「そりゃああんだけ毎日しごかれりゃ、誰でもこうなりますよ……」
「ふふ。初めてモンスターを倒したのでしょう? もういっぱしの戦士ね」
「よしてくださいよ。たかがオークを一匹殺っただけだ。次はもっとデカい手柄を立ててみせます」
「そう……頼もしいわね」
そんな軽口を言い合いながら、段々と互いに口数も少なくなってきた。
ふと団長の方を視線だけ動かして見ると、夜風に金色の髪が靡いている。
そこから覗く横顔が一瞬だけ寂しそうなものに見えて、俺は不覚にも鼓動が早くなるのを感じた。
思わず視線を逸らす。少しの間を置いてもう一度見ると、先ほどの寂しげな表情が幻だったかのように、そこに居たのはいつもの自信に満ち溢れた目をしたフーガ第一師団長だった。
「……私の見てないところで死ぬんじゃないわよ」
俺はニッ、と笑みを浮かべてみせる。
「おぉよ。そっちこそ、約束は守ってもらうぜ」
団長が拳を差し出してくる。
俺はそこへ、自分の拳を突き合わせた。
そして今日。
俺はこれから、大規模遠征作戦に参加する事となっていた。
率いるは、フーガ第一師団長“豪剣のシエラ”様だ。
フーガ師団で最も重い剣を振るう彼女は、その岩をも砕く破壊力から第一師団長を任されている。
そして名前から予測出来る通り、王族らしい。
フィラン皇国の第七皇女であり、“王族自ら先陣を切って国を守っている”と言えば聞こえはいいが、実際のところは国民の王族に対するイメージアップのため、王の養女であるシエラ団長が上の皇女や王に利用されているに過ぎない。
シエラ団長は実際の血筋的には、かつてこの国で最強の戦士と謡われフーガ師団の元第一師団長を勤めていた、通称“破壊王ダイグ”の娘であり、彼女の豪剣はその遺伝子が成せる技とも噂されていた。
父親のダイグ殿が戦で亡くなり、母親もすでにこの世を去っていた彼女を、王が養女として迎え入れたのだそうだ。
「第一師団に伝令! 大規模遠征作戦に赴く者は至急、中央広場に集合せよ! 繰り返す--」
ついにその時が来た。
俺は二日前、初めてモンスターを屠った槍を両手で握り締め、中央広場へと向かった。
広場へ赴くと、フーガ第一師団から第三師団までの総勢二千五百名がほどなくして集結する。
出発の音頭を取るのはシエラ団長だ。
その横には、他の師団長も何人か揃っている。
第二師団長、“閃剣のヒューライル”。
第三師団長、“妖剣のハルメン”。
ヒューライル様は女性、ハルメン様は男性だ。
どちらも会話した事はないが、相当な腕を持つ猛者と聞く。
「おっ、始まるぜ。腕が鳴るな!」
後ろにいたジョニーが、興奮気味にそう言ってきた。
「皆、よく集まった! 私はフーガ第一師団長、シエラ=フィラン! この大規模遠征作戦の総指揮を取る!」
広場全体に響き渡るほどの大声で語りかけてくる。それだけで身が引き締まる思いだ。
「今回の作戦は、フィラン皇国の命運を決するものである! 我らフーガ師団は、まず魔軍マフートの防衛拠点であるペナンガル砦へ奇襲をかけ、これを奪取する! 拠点奪取の後、別方向から時間差でやってくる他の師団と合流し、魔都ヘルヘイムを強襲するのだ! 私にお前達の命を預けよ! 共に光を掴もうぞ!」
嘘つきめ。
あんたが一番、勝てっこない事知ってやがる癖に……それらしい事言ってら。
だが、いいぜ……ノッてやるよ。
俺のこの、本来なら糞の役にも立たなかったはずの命を使ってくれ。
それで魔族の奴らを一人でも多く道連れに出来るなら。
あんたの“活き方”に寄り添えるのなら、それは俺にとって、最高の活き様だ。
「出陣だ!!」
こうして俺達の遠征は、勇敢に、無謀に、静謐に。
確かな絶望を孕んだまま、始まったのだった。