婚約破棄になったので原因の令嬢に会いに行く話
まあ、ジェーン様。よくいらしてくださいましたこと。
どうぞ中へ。ええ、そちらへお掛けになって。
……そんなにずっと扉のところに立っていらっしゃらなくても。食べたりいたしませんから。ふふ、冗談ですのよ。どうぞ、ご遠慮なく。
お手紙、拝読いたしました。ご婚約者様の……トーマス様のご無礼をお詫びに、とのことでしたわね。わざわざおいでくださって、ありがとう存じます。
……けれど。ねえ、ジェーン様。ほんとうに、それだけですの?
いいえ、責めているのではございませんのよ。ただ……あなた、嘘がお上手ではないのね。そんなにわたしのことをまっすぐ睨んでいらして、お詫びを言いにいらした方の目ではございませんわ。
ふふ。そんなにお顔を強張らせなくても。わたし、そのことで腹を立てているわけではございませんの。むしろ……その方がよかったと思っておりますわ。もし本当にただお詫びだけにいらしたなら、どうお応えすればよいか、わたし、困ってしまいましたもの。
どうぞ、お茶を。
……あら、そんなにカップから目を離さなくても。毒なんて入っておりませんことよ。
さて。
ええ、きっと、わたしも浅はかでしたのよ。あの夜、あの方と二人になってしまったのは。でも、まさかあんなことになるとは思っておりませんでしたの。あなたはお信じになって?
あの方はなさったことの意味を、ご自分でおわかりだったのかしら。わかっていてなさったのか、それとも本当に獣のように何も考えておいでではなかったのか。……どちらにせよ、たいして変わらないかもしれませんわね。
ねえ、ジェーン様。
あれからわたし、ずいぶん……ずいぶん、辛うございましたの。
ただ触れられただけ、と申し上げれば、それだけのことに聞こえるでしょうね。わたしも最初はそう思おうとしておりましたの。たったそれだけのこと、たったそれだけのこと、って。何度も何度も自分に言い聞かせて。
でも目を閉じると、あの方の顔が、あの方の息が、あの方の手が。求められてもいないのに、どんどん鮮明になってくるの。そのたびに起き上がって、朝まで灯りをつけたまま座っていたこともございました。
悔しかったのか、恥ずかしかったのか。自分でもよくわからなかったけれど、ただ涙が止まらなかったの。
あら、ジェーン様。
そんなふうにお手を握ったら、爪が刺さってしまいますでしょう……ええ、わかっておりますわ。あなたにもわかってくださるかしら、と思いましたの。触れられたことよりも、あの方がわたしをそういう目で見ていたということが。わたしのことを、そういうふうに扱ってもいい女だと思っていたということが。
それに、みなさんの目もそうなのよ。
すれ違うたびに、お茶会で隣に座るたびに。声に出しておっしゃる方はほとんどいらっしゃらないのだけど、目というのは正直でしょう。
あの娘、いったい何をされたのかしら、って。どんなに可哀想な目にあったのかしら、って。
……でもその目は、同情とは少し違うのよ。まるでわたしが珍しい見世物にでもなったみたいで。
血は争えない、とおっしゃる方もいらっしゃいますわ。
ご存知かしら、わたしの母のことを。ええ、そうですの。母は……まあ、お父様とたいへん親しくなさって。そのせいで──お気の毒に、前の奥様は屋敷を出て行かれることになりましたの。
ですからわたしもきっとそういう娘なのだろう、と。自分から誘ったのだろう、と。そうお思いの方が、いらっしゃることは知っておりますわ。
知っていて、どうすることもできないのよ。
悔しくって、悔しくって。でも声を上げれば上げるほど、みなさんの目がもっと光るでしょう。だから黙って、平気なふりをするの。
……ジェーン様、今、何かおっしゃろうとしましたでしょう。ええ、構いませんのよ。おっしゃって。
……そう。
そうね。あなたもそう思っていらしたのね。
こんなことを申し上げるつもりではなかったのだけれど。あなたにだけなら、と思ったのよ。あなたも、同じ目で見られていらっしゃるでしょうから。
ご両親が、婚約を解消なさったとのことでしたわね。
お優しいお父様とお母様ですこと。
まあ、嫌みではございませんのよ。本当にそう思っておりますの。もしあなたがこれ以上は嫌だと申し上げれば、きっとそれ以上は何もおっしゃらないでしょうね。次のお話をお持ちになるとしても、相手のことをずいぶん慎重にお調べになるでしょうし。
……ジェーン様、あなた、わたしのことをお恨みになっていらして?
構いませんのよ。わたし、そういうことに慣れておりますから。
でもね、一つだけ申し上げてもよろしいかしら。
あの方に振り回されたという点では、わたしもあなたも、変わりはないのではなくって。被害者、と申しますとずいぶん大げさに聞こえるかもしれないけれど。……でも、そうでしょう? きっと似たもの同士なのだわ、わたしたち。
そのカップ、もう空になりましたわね。もう一杯いかが?
遠慮なさらないで。どうぞ。
ねえ、ジェーン様。少し、お聞きしてもよろしいかしら。意地の悪いことをお聞きするかもしれないけれど、怒らないでね。
あなた、トーマス様と……ご結婚したかったのかしら。
そんなに眉を寄せなくても。ただ、わたし……気になりましたの。あなたが今、何を失ったとお感じになっているのかしら、と。婚約者を、ですの? それとも、もっと別の何かを。
あら。
目を伏せてしまわれた。
わからないのね。わからないうちは、決めなくてよろしいのよ。誰に何を言われても。あんな方のために、あなたが思い悩む必要なんてないのですもの。
……あら、もうそんな刻限ですの。ええ、引き留めませんわ。
帰り際にそんなお顔をなさらないで。怒りにいらしたのに、すっかりわからなくなってしまった、というお顔をしていらっしゃるわ。
ふふ。ごめんなさいね。
……もしよろしければ、またいらっしゃって。次はもう少し、長くいらして。そのくらいはよろしいでしょう? わたしたち、同じ側にいるのですもの。
あら。
今度は睨んでいらっしゃらないのね。
ふふ。
気が向いたときで、構いませんのよ。いつでも。




